雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

景気回復なんて簡単だ。なぜ賃金が回復しないかプロに聞いてみたので小並感を書く。

未来を犠牲にして税金をじゃぶじゃぶ投入しているのに一向に景気回復しないのはなぜなのか、ずっと疑問だった。

 

そしたら友人の経済学者がそんなこともわかんねーんかばーか、みたいなすっごい憐れんだ目をしてめちゃくちゃ分かりやすく教えてくれた。せっかくなのでそれを8ビットくらいしかない脳みそで解釈して偏見を山盛りにしつつまとめてみた。

 

 

 

追記:続きも書いた。

hedgehogx.hatenablog.com

そもそも『賃金が回復する』とは

いわゆる景気回復、昔みたいに終身雇用で給料が上がっていって定年退職したら悠々年金生活で医療費無料、という状態を起こすためには、労働者一人当たりの生産性を高めなければいけない。

つまり、「景気がよい」という状態を作り出すためには一日8時間働いて年商3000万~数億くらい稼ぎ出して、その中から給料やら税金やら年金やらを捻出する必要がある。それくらい稼がないと年金も医療費も賄えない。

 

でも一人当たりの労働量はどんなにがんばっても一定である。どんなに優秀な社畜でも一日20時間とか30時間働くことは不可能だ。だから時間当たりの生産の密度みたいなものを爆上げする必要がある。

 

生産密度が爆上げできる仕事とは

たとえば、手作業で箱を組み立てる仕事をしている人がいるとする。彼はどんなに熱心に働いても一日に100個しか箱を作ることが出来ない。だがそこに機械を導入すれば一日に1000個でも1億個でも作ることが出来る。これが生産密度を上げる仕組み。要するに大量生産をすれば能率が上がる。

それからたとえば、100部しか売れない新聞でも一億部売れる新聞でも作る手間は同じ。だから同じものが大量に売れれば売れるほど能率が上がる。

 

豊かな時代は貧乏とイコール

バブルの時代というのは、皆が同じものを欲しがった時代だった。

だから一度生産ラインを作ってしまえばあとは少ない労働でめちゃくちゃ儲かって笑いが止まらない。

 

だけど現代では、最低限のものは皆持っていて、欲しいものが分散している。

単にテレビ、ではなくて、何インチだとか画質がどうとかブルーレイが見れるかとか端子がどうだとかデザインがどうだとか、細かく細かくランクわけされたものがほしい。

車、ではなくて、色だとか形だとかカーナビだとか電子ロックだとか搭載オーディオだとか、細かく細かく違いを指定したい。

 

現代の産業はオーダーメイドにならざるをえなくて、一度作った生産ラインを使いまわしできない。だから一人当たりの生産の密度は下がる。

 

 

医療と福祉は貧乏量産装置

医療と福祉に何百兆円と税金が投入されているのに、看護師も介護士も給料が上がらないのはなぜだろうと疑問だった。

 

hedgehogx.hatenablog.com

 だけど考えてみると、医療福祉は究極の一対一サービスだから生産密度がすごく低い。

医者はどんなにがんばっても一日数十人しか診察できないし、看護師だって一度に数十人しか見れない。だからスタッフ一人当たりの売り上げは決まってきてしまう。だから医療福祉分野のスタッフは人手不足だけど万年貧乏になる。市場原理が働かない。

 

例外は薬価で、薬は処方さえすればどんどん儲かる。面倒な処置や手術をしなくても処方箋に一行書き加えるだけで数万円の利益になる。だから医師の給料は高い。だから江戸時代みたいに、自前の薬草園から採ってきた薬草をごりごり潰して丸薬にした薬しかなかったら医師の給料は低くなる。実際江戸時代の医師の給料と地位はとても低かった。

べつに医師が医療に責任を負っているから給料が高いのではなくてそれだけ稼ぐツールがあるから高いだけ。

介護士の給料が安いのは介護が下等な仕事だからではなくて彼らが一対一のサービスを提供しているから安いだけ。

なんとも非情だけれど、これが市場の神の手というやつの現実だ。

 

多様性と豊かさは等価交換

多様性と豊かさは両立しない。

バブリーな豊かさは「皆が同じものを欲しがる、皆が同じ仕事をし同じライフスタイルで暮らし同じ趣味を持ち同じ価値観を持つ」という社会でしか実現し得ない。

一人ひとりが自分の好きなように生きて好きなものを欲しがる社会、つまりマイノリティに優しい社会は生産性が低くなり、食うや食わずのカツカツの生活となる。

 

 

景気回復の犠牲になるもの

「景気がよい」という状態は「皆が同じものを欲しがる」とイコールで、だから景気回復するためには皆が同じものを欲しがらなければいけない。

 

「皆が同じものを欲しがる」という状況は欠乏と直結する。

スーパーやコンビニに食料が溢れていてスマホとPCが標準装備で電車が1分に1本通っている生活をしている以上、「皆が同じものを欲しがる」という状況は生まれない。

でも逆に、飢えている人は100%食料を欲しがる。だから食料を売ればめちゃくちゃ儲かる。だけど飢えていない人は栄養価だのオシャレだの安全性だのごちゃごちゃうるさいことを言う。だから儲からない。

 

 

景気回復なんて簡単だ。

 

景気を回復させるためには、何かを決定的に欠乏させなければいい。食料は手に入らずネットは繋がらず住む家も無くなれば皆同じものを欲しがり出す。

なんだったら一度ミサイルでも落として国土を焼け野原にすればいい。

 

逆に、それを望まないのだったら景気回復は不可能だ。

その等価交換を受け入れる覚悟があるのか、まずそこをよく考えなければいけない。豊かになりたい、無限のサービスを受けたい、だけど今の便利さは手放したくない、なんていうのは将来の負債を増やし若者を使い潰す言い訳でしかない。

 

だから私は望月優大さんみたいな人にすごく問いたい。

hirokimochizuki.hatenablog.com

あなたは「よりよい社会」「豊かな社会」を実現すべきといっているわけだけど、それはつまり一人当たりの生産性を上げる「みんなが同じものを欲しがる」社会を要求しているわけだけど、それはマイノリティにとってとても酷なムラ社会なわけだけど、そのあたり自覚して主張していますか?あなたの求めているのは全員が量産型ザクみたいに同じ生活をして同じものを買う社会なわけだけど、落伍者は容赦なく潰されるわけなんだけど、そんな人生を肯定しているのですか?と聞いてみたい。

 

景気回復とファシズムの親和性

そのあたりよくわかってなくて、多様性を尊重しつつもバブリーな豊かさを実現すべきという主張をしてドロ沼に嵌っているのが現代なのだと思う。

そしてバブリーな豊かさのために個の多様性を犠牲にしてもよいという老害がトランプであり安倍であり都民ファーストでありベネズエラであり、世界中に不気味に渦巻くアンチリベラル、ファシズムシンパなのだろう。

 

 

だからやっぱり、景気回復なんてしなくていいと思う。

だれかさんではないけれど『平等に貧しく』なればいい。というより自由と豊かさを享受以上平等に貧しくなることを受け入れなければいけない。

小さくこつこつ働いて、ひと一人カツカツで生きていける程度の収入を得て、病気や怪我で働けなくなったら余計な延命治療をせずに穏やかな死を迎える。

 

貧しくて困ることなんてあんまり無い。

現代の貧しさは個性を尊重し多様性を重んじる対価としての貧しさ、いわば趣味の貧しさである。

いいじゃんそれで。むしろそれでなんか困ることある?

せいぜいフォアグラやキャビアが食べられないとか、シェラトンに泊まれないとか、芸者遊びができないとか、外車やクラウンに乗れないとか、延命治療できないとか、それくらい。そんなんべつにやりたくもない。

 

一対多を前提としたバブリーなものは得てして質が悪い。銀座の飯は超不味いし、芸者の話はつまらない。地元の有機野菜とか、おもしろいことやってる起業家とかのほうがよっぽど楽しい。

 

hedgehogx.hatenablog.com

 

 

 

相模原の大量殺人を肯定する理由

再三言っているけれど、私は相模原の大量殺人を肯定する。

多様性を重んじる社会、一対一のサービスが充実した社会では、自分ひとりで生きていけない人は生きられない。それはキリストの言う他殺と自殺の禁止とは意味が違う。医療が神の領域に踏み込んでしまった現代における重度障害者とは、一般人が素朴に想像する障害者、乙武さんやバニラエアで炎上した人や24時間テレビに出てくるような軽い障害の人達とは全く違う。現代社会は本来であれば死ぬべき人を、誰も望まないのに生かしている。

 

 

hedgehogx.hatenablog.com

 

 

 

新しい貧しさ、新しいファシズム

実際貧困や福祉の中に入って体験してみるとよく分かるのだけど、「貧しい」とか「弱者切捨て」という言葉の意味が昔と全然変わってきているのだと思う。

 

自由の対価としての趣味の貧しさと、天保の大飢饉みたいなガチな貧しさは混同してはいけない。

キリストの説いた弱者像と、神の領域に踏み込んだ現代における弱者像は全然違う。

 

 

もちろん、現代においてガチな貧しさやガチな弱者切捨てが無くなったなどと言うつもりはない『平等に貧しくなる』過程でガチな貧困に突入する危険性を無視するつもりもない。それらは以前脅威で有り続け手厚い対策を必要としている。

 

でもそれとは別に肯定すべき趣味の貧しさと趣味の弱者切捨てというのも発生していて、それらを旧来の貧困と同様に救おうとするのはつまり 景気回復=落伍者を許さない社会 を肯定することで、だからこそ政治活動をすればするほど若者は政治から離れていく。

 

 

まとめ

すごく長くなったけど、なんかもう貧しくていいじゃん。稼げなくなったら死ねばいい。別に医療も教育もいらないから普通に平穏に今日をすごせればそれでいいよ。といういつもの主張でした。