雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

己の生い立ちを語ってみたら思った以上にカオスで苦笑い

 

 

たぶん、私にとって最も原始的な感情は悲しみとか憐れみという類のものだったように思う。

 

子供の頃、当時私は「本家のおひいさま」として実家の蔵で大半の時間を過ごしていたのだけれど、目の前で起こっているのはニュートラルな現象にすぎないはずなのに、なぜか私の心はそこにままならない悲しさとか生をまっとうできないことに対する憐れみだとか、そんな勝手な判定をつけてしまうことを不思議に思っていた。そしてなんの選択権もなくただ眺めているだけだというのに、目の前に起こる現象に意味づけをしてここにはない未来を願ってしまうヒトという仕組みはなんと罪深いのだろうと思っていた。

私は蔵の白壁しかしらないはずなのに、ままならない、だとか、生を全うできない、だとか、一体何と比較してそう判定しているのだろうと、そしてその判定に対して沸き起こるこの感情は一体なんなのだろうというのが当時は分からなかったけれど、選択権を完全に剥奪され自分のことも他人のこともただ眺めることしかできなかった当時抱えていたあの感情はたぶん「祈り」という言葉が一番近かったのではないかと今ではそう思っている。

 

今思うと、私の家が神道系でわりと救われていたのかもしれない。これでキリスト系だったりしたら人間の生き様を人間が判定するとか罪悪感半端無いのかも。いやでも神道系だったからこそ「おひいさま」を擬似的な神として隔世に閉じ込める的なことが発生しちゃったわけなんであんまよくなかったのか…?

 

 

あと、なんとなくノリで自分の生い立ちを語る的なことをしてみたんだけど、これすごいおもしろい。自分のナラティブを自分で能動的に組み立ててくってリアルタイム歴史改変すげぇ。

でも私の人生はすごく説明しにくいってことが分かった。

これが普通の虐待とか貧困とかだったらまだ共感のベースがあるけど生まれたときからずっと蔵に閉じ込められてたりとかどこのファンタジーだよと。そんでなんだかんだで大人になって楽しく悪徳業者とかやって人生謳歌してるとかほんと意味わかんねー。何がどうしてそうなった。いっそ舞台を大正時代とかにしてファンタジーですみたいなことにして小説家になろうとかで書いたほうがよっぽど収まりいいんじゃね。

 

てか「自分のナラティブを能動的に選び取る」というのが目的であれば生い立ちが事実であるかどうかというのは関係ないので、記憶や事実に拘らずいろんな設定で書いても別に構わないのかもしれない。

 

たとえば

  • ごく普通の中流家庭に生まれ、姉は優秀だけど私は優秀じゃなくていつも比較されて育った、とか。
  • 嫌われるのが怖くていつも他人の顔色を伺っていたら本当の自分が分からなくなった、とか。

こっちのがずっとほんとっぽい!全部ウソなのにめっちゃほんとっぽい。これならわりと共感してもらせそう。私的にはさっぱり共感できないけども。

 

 

いやでも、生い立ちを捏造するというのはおもしろそう。

現在の私の寄って立つところとしてどのような物語が一番しっくりくるのか、また他人も納得するのか、みたいなのを考えてみたい。