雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

自傷の原因とか依存とか身体拘束とかいろいろ

だらだら書いてたら何を言いたいのか自分でもよくわかんないけど、なんか病んだことかいてます。せめて目次的なものをつけてみた。

 

 

依存

依存症というほど大げさなものではなくても、やめられないとまらないかっぱえびせんみたいなものは誰でも一つ二つあると思う。

私の場合は活字を読むことに依存していた。多分今でも依存している。

日常生活をそっちのけにして虚構に夢中になる現実逃避という意味ではゲームでも本でも同じだと思う。そして私はそういう依存のしかたをしてきた。当時テレビゲームなんてなかったから本と文章に依存したのだけど、別に本が大好きだから読みたかったわけではなくて濁流に飲み込まれそうな意識を引き寄せることさえできれば依存先はどんなものでもよかった。

何一つ安全が保証されていない環境におかれたとき、Aボタンを押すとダッシュしてBボタンを押すとジャンプする、というようなごく単純な報酬系を際限なく繰り返すこと、というのは心の安定をもたらす。ゲームの中には明確なルールがあり達成可能な目標があり全ての現象に意味がある。親の機嫌次第で怒鳴られたり殴られたりする現実とは違う。

 

自傷

ただ当時私はゲームに依存できる状況ではなかったので、秩序を回復したいという欲求は自傷に向かった。生きものを切りつけたら血が出るという単純な因果関係と、自分の体を切りつけたら痛みを感じるけれど他人を切りつけても痛みを感じないという自他の区別のために薄く浅く傷をつけていたのだと思う。もっとも、痛みに関してはすぐ麻痺してしまうから自他の区別という点ではあまり成功しなかったけど。

そう思うと自傷はけっこうやばい部類に入る依存なのかも。いまさらだけど。

死ぬために切ってるわけじゃなし傷跡が残るほどのもんでもなしたいしたこと無いじゃんということで私の中で自傷はゲーム依存と同じ程度のものという認識だったけど、よく考えたら深い傷を作っちゃって傷跡が消えないとか神経を傷つけちゃったとかそういうのは単純に外傷としてやばいけど、それだけでなくて痛みが麻痺しちゃうというところも地味にやばいのかも。

なんか、恒常的に自傷してる人って傍から見ていてなんとなく気づいてしまうんだけど、あれは自分の体を守る警戒心の無さから来るのかもしれない。手をつないだりするとてきめんに分かる。手首の傷が見えちゃうとかそういう物理的なものではなくて、手の感触が鈍い感じで分かる。そういう人の手は割れ物を梱包するぷちぷちでぐるぐる巻きにした上から触ってるみたいなもさっとした感触がする。オタクにしか分からないたとえだけど、とらのあなで買った同人誌はぷちぷちの入ったダンボールで梱包されて届くんだけど、その感触。アマゾンの箱ほどがっちり隔絶はしてないけど中に何が入っているか分からない程度にもやもやしてる。

 

摂食障害

そういや拒食や過食も私としては自分の体へのコントロールを取り戻そうとする行為という位置づけなのかも。たいていの人は自分の体への復讐として摂食障害を起こすっぽいけど。身体を壊すための毒物みたいに食物を使うのではなくて、少なくとも自分の中の理屈としては身体によいものをきちんと食べてる。それが傍から見ると異常に見えるだけ。

 

死への希求

そう思うと、私の衝動の中で自殺願望だけが異質なのかもしれない。

他は少なくとも自分の中では生存欲求に基づいた合理的な行動だけど、自殺だけはそうじゃない。大概の自殺願望は生きたいという願望の裏返しだと言うし私にとってもそういう側面があるかもしれないけど、なんかもっと、ロウソクの火を吹き消すような気づいてたら死んでいたみたいな願望。たぶんそんなに生に執着していないから死にも執着していなくて、めんどくさいなぁとか生きてる意味ないなぁと思ったら簡単に死んでしまう。そうやって死んじゃった人何人か知ってる。

 

拘束

ていうかよく考えたら、自他の区別をつけるという意味なら怪我する必要ないじゃんね。痛覚でなくて触覚を使って、撫でるとか触るとかでいいじゃん。

と、思ったけど、よく考えたら撫でるとか触るとかしてると対象を取り上げられてしまっていたからだな。常に監視されていて、少しでも何かに興味を持つと取り上げられていた。自分の体はさすがに奪われないから体に跡を残すしかなかった。あんま傷が増えると怪我しないようにということで縛られたりもしたけどロープで跡が残るから私的には目標達成できるんで問題なかった。むしろ合法的に跡を残せるから安心感があった。

精神科でよく問題になる身体拘束とかも、用法をちゃんと守ってさえいればかなりいいシステムだなと思う。むしろ積極的に拘束してほしいくらいなんだけど相当アッパー系の病み方しないとやってくれないのでちょっとさびしい。いやむやみに拘束しないのはすごくいいことだと思うしスタッフさんの努力と神対応すげぇって思うんだけど。私みたいなファッション拘束愛好家はひっこんでろみたいな話だろうけど。

 

というわけで安心感のある拘束いいよね。

なんだろ、自分の選択を放棄できちゃうところがすごくラク。自傷エスカレートしないようにアクセルとブレーキを同時に踏み続けなくてはいけないみたいなところがあるから、ブレーキ機能をロープに丸投げできてしまう拘束プレイはわりと好き。田口ランディの小説でそういう感じの話があった。

でも私がしたいのはSMじゃないっていうミスマッチがさびしい。支配とか羞恥とかそういうのいらないんで。むしろそういうのされると醒める。ほーら恥ずかしいだろ、とか意味分かんない。恥ずかしいのはそんな行為を強要している側であってそれを強要されてる私は被害者でしかないんで何されても別に恥ずかしくない。淫乱だとか言われましても。私が淫乱なんじゃなくてお前が勝手に興奮してんだよバーカとしか思えない。痛いのとかすぐ麻痺するし。ちがうんだよ私がしたいのはSMじゃなくて契約に基づいたdomsubなんだよ。。。

だけどなぜか私の周りにはsubが集まってきちゃう。そうか私は天性のdomなのかなるほど納得だ(←オイ)よいMはよいSになれるんだぜ…

 

なんかもう何言ってんのかよくわからないのでこのへんで終わっときます。