雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

なんでまだ生きてるのか考えてみたけど全然たいしたことなかった

コメントいただいたので考えてみた。けどほんとぜんぜんたいした理由が出てこなくてこんなんですまんって気持ちになった。

 

世の中つまんないなと思うし最近もまたロクでもない出来事があったりして心底うんざりしていたりもするし、なんなら死にたいとか気軽に口走ったりもするけど多分私は当面死なないと思う。

生きることにあまり執着はないから、死ぬほうが合理的だと判断すれば別に死ねばいいんじゃない?とは思う。実際そうやって合理的に死を選んだ人を何人か知ってるけど、まぁそれはそれでよかったんじゃね、としか思わない。むしろ生きることにしがみつく人とそれを介護して疲弊する人のほうがずっと意味が分からない。蓼食う虫も好き好きなんで別に口挟んだりしないけど。

 

たぶん、死にたいという不幸は私基準では不幸ランク中くらいなんだと思います。不幸ではあるけれどどん底ではない。

死にたいなと思うということは現状がヤバいということを知るくらいの自由があるからで、全ての選択肢を取り上げられて監禁されていたころには自分が能動的に死を選べるなんて思いもしませんでした。

だから、不幸とか死にたいとか死にそうというのは私にとってわりと新鮮な感覚です。「やべー今死にたいとか思ってる!実際死にかけてるすげー、ほんとに自分で死ぬことってできんのまじで?やっちゃう?三途の川渡っちゃう??」みたいな。ディズニーのパレード見るような。わーでかい光ってる着ぐるみ踊ってる!あっちで花火上がった!次は何出てくんのかな??て感じ。テンションうぜぇw

多分私が昔何度か死にかけたり殺されかけたりしたときに死を選ばなかったのはこのウザい好奇心のせいです。もしかしたら死後の世界もおもしろいかもしれないけどそれより目の前で起こることとそれによって引き起こされる感情のおもしろさを選びました。

 

 

そんなたいして面白くも無い人生の中、今現在私がまだ死を選んでいないのはただひたすらに「めんどいから」でしかないです。ろくでもない答えでごめん。

いやほんと、死ぬのってめちゃくちゃガッツいるから。身体と頭がありえないほど消耗した状態でありえないほど精神を削られてそれでやっと死ねるかもしれないなレベル。しかも現代日本では信じられないような医療介入をしてくるから油断できない。ほんともう考えれば考えるほどめんどくさいので、とりあえず今日も生きています。なんとなくはじめたRPGが多少クソゲーでも惰性でエンディングまでやりこんじゃうタイプです。隠しステージも隠しボスも見つけます。

でもちゃんと終活はやってる。いろんな医療福祉機関にコネつくったり死に際をどうしたいかの文章を家族と弁護士交えて作ったり、どういう障害のときにどういう医療措置をしてほしいか逆にして欲しくないかを家族や友人と情報共有したり。葉隠れのごとく死に際を毎日シュミレーションしてる。

 

そして多分、死にたいと思わない現在の私は不幸ランクがMAXなのだという見方もできると今回いろいろ考えていて思いました。

私は今自分が不幸だとは思っていません。でもそれは今以上の幸福を想像できないというのと同義です。不幸を撒き散らす養豚場の豚が全て粛清された後の世界を私は想像できません。バカがいなくなればいいのに、というのは、東から昇る朝日がまぶしいから地球の自転を逆回転にしたい、くらい現実味のない解決策に思えます。

すごい、自分の中に「抗うという発想を思いつかないくらい絶対的な真実」を発見してしまった。私はバカを滅ぼすという発想を持てない。数日考えたけどどうしても持てない。

なんかほんとすごい。私は今まさに自分自身の認知の限界に触れている。これがうわさに聞くバカの壁ってやつか。よくいろんな人が無自覚にぶつかって超えられずに人生台無しにしてるやつ。そうか私が人生を台無しにするのはこの壁なのか。

 

質問ありがとうございました。おかげでおもしろいものを見つけることができました。