雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

医療について考えると襲われる無力感について個人的な感想

大量殺人やら裏口入学やら女性受験生差別やら、いろいろと業界がにぎわっていますね。

それで私も便乗して前回、現代日本医学のブラックさを解消するための方策なんかをとても雑に放り投げてみたのですがこれ妙にメンタル消耗が激しくてなんなんだろう。

hedgehogx.hatenablog.com

 

病院をサロン代わりにしている暇人を駆逐する、とか、医学研究者と現場の医療労働者は別の資格にする、とか、我ながらわりとマトモなことを書いたなと思うのです。

でもじゃあそれをどう実践していくかと思ったときにものすごい無力感に襲われる。そんなんできるわけないじゃんという気持ちでいっぱいになる。なんかもう考えれば考えるほど、むしろ問題なんかないんじゃないか?医療は女性を排除して馬車馬のように働く男性が増えればみんなハッピーなんじゃないか?現状で全く問題なんか無いよね?みたいな気持ちになる。

 

この思考のブラックホール感知ってるこれ学習性無力感!

 

こういう無力感にロックオンされてしまうと、すべてをデリートする人が多いです。ここに問題なんか何もない。苦しんでいる患者も人生をつぶされた家族も存在しない。私は彼らを救う善行をして感謝されている。しょうがないじゃん仕事なんだから。

逆に怒り出す人もいます。目の前で死にそうな人を見捨てろというのか!

たぶん他にもいろんな人がいるのでしょう。ただ少なくとも一つ言えるのは、ここに確かに問題がある、ということです。問題なんかないと言い張りたいくらい巨大な問題がここにある。

 

私の狭い経験の中では、この状況になってしまったときには、もう理論的な解決とか言ってる場合じゃないです。理論とか合理とか考えようとすればするほど目の前の死体が見えなくなる。理論的思考のセキュリティホールを突かれてる状態です。

だから正しいとか正しくないとかはいったんおいておいて、思ったことをどんどん表現するという段階が必要です。お互いがんがん手斧を投げ合って傷だらけになってやっと問題の輪郭が見えてくる。

 

ということで、私としては障害者と老人はみんな死ね!と大声で叫んでおきます。

みんながみんな生に執着してると思うなよ。当事者の意志が確認できない人を生かすのは、ケアする側の自己陶酔にすぎない。

医療が神の領域に踏み込んでしまった現在では、たぶん優生思想に変わる新たな命の選別思想が必要なんだと思う。そしてそれはたぶん自己決定とかそういうところになるのではないだろうかと私はうっすら思ってる。

 

しかし、この話題ほんとつらい。。。。