雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

仕事に飽きてこの先の人生に迷ってる

最近何かにとりつかれたような勢いで別分野の勉強をしている。もちろん一銭にもならない。なのに徹夜しながらひたすらがりがり勉強してる。

 

そもそも私がこの分野を専攻した理由がこの分野が死ぬほど嫌いだからなんだよねー…ていう。

 

以降、私の専攻分野を料理として描写します。料理に恨みはありません。おいしいごはんだいすき。

 

料理がとにかく大嫌いだ。料理に関わるくらいなら潔く死を選ぶくらい大嫌い。だけど料理は反撃できないほど弱ったタイミングを狙って執拗に人生に関わってくる。やめてくれ俺は料理なんか食べたくないんだこのまま餓死するんだ放っておいてくれと言っても強制的に口に詰め込まれ依存させられ死を選ぶことすらできない状態で生きながらえさせられる。猫が獲物の鼠で遊ぶかのように、選択の自由も人権も存在せずただ料理人のオモチャとして弄ばれる。

進路を考える年頃のころ私はいかに料理から逃げ切れるかを考えるのに大半の時間を費やしていたように思う。そして料理を回避するためには料理を知るしかないという結論に至った。料理を専攻してからも料理の弱点を見つけるため鬼気迫る勢いで勉強した。卒業して就職してからも、大嫌いな料理を望む人たちに高品質な料理を提供することに血道をあげた。

憎くて憎くて頭の中の大半がそれに支配される、それはもはや愛ではないかと思ったこともある。おそらく私は私を受け入れてくれない愛してくれない料理を憎むことで料理に振り向いてもらいたい料理に愛されたいのだと、思考の全てを料理が汚染する状況はそうでも思わないと耐えられなかった。

 

まぁ別に愛なんかなかったわけですけども。

 

いろいろ勉強して根回しして金もためて、今後料理に関わらなくても生きていけそうという目途が立った途端に料理の全てに無関心になった。

料理に関する文章が全然頭に入ってこないし料理に関する会話は聞き取れない。葬式でひたすらクソ長いお経を聞いてるみたいな退屈さ。あるいは興味ない製品のセールストークを聞いている時のような。いみわかんねーなつまんねーとぼやっと思うだけで感情はひたすら凪いでいる。

 

私は本当に心底料理に興味が無くて、興味が無いものをぐいぐい押しつけてこられることだけがこんなに憎かったのかと思うと人間の心理はおもしろい。

同時に役割を要求することの危うさを考えたりもする。男らしさ女らしさ親らしさ母親らしさ社会人らしさなど様々な自分に適合しないロールを演じることを強要された人はきっとすごく苦しいけど周りには理解されなくてすごく大変だと思う。

 

あと、憎しみは愛の裏返しというのはいやよいやよも好きのうちと同種のハラスメントにすぎないのだということも理解した。

単に嫌いで顔を見るだけで殴りたくなるのであればそれは顔を見なくて済むよう離れたらそれで済む話で、そこでその構造を強要してくる側に病理がある。

 

 

てことで、一銭にもならない他分野の勉強を粛々と進めようと思います。