雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

理解できないことを頭が悪いだけと解釈してみるブーム

自分に理解できない現象はなんでもかんでも理由を「相手の頭が悪いだけ」に帰結しておけば平和になるのではないかという仮説を思いついたので、ためしに手当たり次第頭が悪いことにしていってみようと思います。

 

でもそもそも、理解不能な現象を「相手の頭が悪い」と解釈することがすでにめちゃくちゃ頭が悪げでソクラテス先生に苦笑いされそう。

私は基本的に理解不能な現象は「自分の頭が悪い」と解釈してこれまでやってきてそれは間違っていないと思うけど、それが出発点だとどうしても「じゃあ自分の頭をよくしよう」という流れになって、そうすると自分の頭というすでに出来上がった枠組みに何かを加えるとか新しく増設するといった発想になる。でもたぶん必要なのは自分の持ってるパソコンにメモリ増設するとかではなくもっと斜め上の、パソコンじゃなくて猫を用意してみるくらいの発想の転換なのだと思う。

コンピュータに何をどう足しても猫にはならない。なので最近はあえて「相手の頭が悪い」を出発点にしてみている。

 

で、謝ったら死ぬ病の人も頭が悪いだけなのだろうきっと。

togetter.com

 

 

普通に考えたら間違ったり失敗したりしたらさっさと認めて次に行けばいいのにそこで依怙地になって信頼を失ってまで守るべきものは何なんだ。彼らにとって時間と信頼と穏やかな人間関係よりも価値のあるものは何だ。

たとえば謝罪は不名誉を引き受けることと同義であるという文化圏にいるとかであれば戦略的に謝らないというのは合理的だろう。でも間違っても誰も責めないのに絶対に謝らないのは意味が分からない。そして日本においては、少なくとも一言謝ったら全力で撲殺されるのが合法、とかはない。どう考えても誤っておいた方が得な気がする。

自分の非を認めないというのは単にエラそうでムカつくというだけでなく建設的な話ができないということでもある。ミスを認めてくれないと、あなたはここでミスするのね、じゃあミスを誘発する因子を排除しましょうみたいなことができないので仕事にならない。だから私は謝ったら死ぬ病の人とは仕事しない。死ぬ病の人はそうやって関係をどんどん狭めていってしまってやっぱり損だと思う。

とか、考えれば考えるほど謝ったら死ぬ病は不可解になる。

 

なのできっと、彼らは頭が悪いだけなのだ。

 

謝ったら死ぬということは謝らなければ死なないということで、でもすでに過失が発生している以上謝っても謝らなくてもすでに詰んでるのになぜこれ以上自殺点を稼ぐのかというのが疑問点なのだけど、彼らの中では謝らなければ詰んでいないからこそ謝ったら死ぬのだ。

つまり、彼らにとってミスは謝った瞬間に発生する。

謝るとその瞬間に虚空から過失が錬成される。謝らなければ過失そのものがこの宇宙に存在しない。いや、過失があるということはうっすら感じているからこそかたくなになるわけだから存在しないというよりは存在が確定しないと言ったほうが近いかもしれない。物質は確認するまで存在しない。シュレディンガーの過失である。

新生児は見えないものは存在しないと思っている。だから目の前にお菓子があってもその上に布をかけたら新生児にとってはお菓子がこの世から消えたことになる。この現象は大人でもわりとあって、たとえばホラー映画を見た後に押入れを開けるのが怖くなるというのも同じ現象だ。もしも押入れにゾンビが潜んでいる可能性があるならさっさと開けて確認したほうがいいけれど開けてゾンビの存在が確定する気がするから開けられない。

 

 

謝ったら死ぬ病はもちろん、依存症や統合失調症のみえすいた嘘、反ワクチンやホメオパシー、ニセ医療、大企業や政府の欺瞞を認められない政治的に極端な人たちなど、シュレディンガーのミス誤認でけっこういろいろなことが説明できるかもしれない。

 

 

 

まぁ謝ったら死ぬ病に関しては単に建設的な解決とガン詰めの区別がついてないだけかもしれないけど。別にミスした人を責めても何も変わらなくて、こいつはこの条件ではミスする、じゃあどうすればミスしなくなるかあるいはミスしても平気な体制を作るかミスするような仕事をなくすかミスするような仕事をさせないようにするか、などを考えたいだけで、個人を責めたりとかするほど暇じゃないんだけど。そのへん理解できないとすれば全ての改善案がガン詰めに聞こえてしまうわけでなんか気の毒だなと思う。

今後はなぜ解決とガン詰めの理解ができないのかに関して、シュレディンガーのミス誤認以外の要因も考えてゆきたい。