雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

プライバシーを事細かに聞いてくるやつらが嫌い

お仕事は?結婚は?お子さんは?出身地は?大学は?お子さん夏休みいつから?旦那さんの出身地は?連休どこ行ったの?ご両親はどこに住んでるの?

みたいなことを根掘り葉掘り聞いてくるのやめてくれ自我が崩壊する。

 

この間久しぶりに根掘り葉掘り聞いてくるタイプの人に捕まってしまった。ああいう奴って自分が質問した癖に答えるとかぶせぎみに相槌打ってくるのなんでなん。

質問してくるくせに私の話したことは覚えてなくて「お子さんいくつだったっけ?」「x歳です」「そうだったねー」とか相槌打ちやがって、私おまえに子の年齢の話をしたの初めてなのに、あたかも以前聞きましたみたいな保険かけんな。きっと全然興味ないことを聞きまくってどんどん忘れてて、私の子の年齢だって一度聞いたってすぐに忘れる程度の話題なのに無理やり聞いてきて、でも「こいつ私の話聞いてないしすぐ忘れやがる」ということは悟らせたくない姑息なババアめ。興味ないなら聞くな。忘れたなら覚えてない振りするな。なぜおまえのへたくそな演技を見せつけられたうえあまつさえ共演者に仕立て上げられなければならないのか。

そのくせやたらに細かいところまで覚えていたりするから適当に答えると後々矛盾が生じたときにつっこまれる。「あれ一人っ子?弟さんいるんじゃなかったっけ?」「あの病院って入院できたかしら?」みたいな。

単発の質問ならまだいいんだよ。「今年の夏なにしてた?」「具合悪くて入院してました」「ふーん」なら。そこで「何の病気?」も、ギリギリまだ許せなくもない。「まぁ、いろいろと過労で」とか誤魔化せる。普通そこで切り上げるでしょ別に私に興味あるわけじゃないんだから。私言葉濁したんだから、聞かれたくないんだろなと察したりもできるでしょ。そこで「どこの病院?」も、まだ分からんでもない。病名を追求せずに自然に話を逸らせるために聞いたと思わなくもない。でもそこで適当な病院名を答えたら「主治医は?」だぜ??「だれだったか忘れました」って言ったら「男性?女性?ひげ生やしてた?」とか特定にかかりやがった。隠す余地を与えない。「言いたくありません」と言ったら「なんで?」と返された。信じられない死ねばいいのに。

なんで?なんでそこまで事細かに聞くの?私の主治医があんたになんの影響があるの?最初に適当な嘘ついたらどんどん嘘が大きくなってとりつくろうの大変。じゃあ正直に答えろって感じなんだけど、正直って何?私の人生の膨大な時間を数秒のシンキングタイムで過誤なく数文字にまとめろと?私のつまんない人生程度、数文字でまとまんだろと?

きいっとああいう人たちは人類は誰でも数文字に収まる人生を送ってると信じて疑わないんだろうな。大学行って就職して寿退社して養われて家買って子育てして。たまに旅行したり映画観たりして。そういう数十種類のラベルだけで人生が片付くんだろう。ラベルの並べ方だけが個体識別の方法で、だから『入院』というラベルがあったらそこに『病名』というラベルを張らなければ気が済まない。ラベルに収まらない人の存在を想像したこともないのだろう。

 

 

別に私は何もかもをオープンにしてるので、バレて困るということは無いので、どこの病院になんの病名で入院してたかとかいつ誰と旅行してたかとかを隠したいわけではない。ただ普通に答えられない。ご結婚は?とか言われても、私が結婚していたかどうか本気で分からない。旦那さんどんな人?とかも、本当に本気で分からない。なんなら写真を出してきて「この中にあなたの配偶者はいますか」とか聞かれても分からない。昨日どこにいたかも、今朝何をしていたかも、何の仕事をしているかも、子の名前も年齢も、私自身の年齢も名前も分からない。

 

私は多重人格なので表に出ている人格の記憶以外は想起できない。

 

…とかいうことであればまだ話は単純だったんだけどねー。。。

残念ながら現実には安っぽいマンガの設定よりはるかに複雑だ。

 

 

私は記憶にラべリングして分類するという、人類があたりまえに行っている機能がとても弱いです。あと現代人が当たり前に持っているはずに時間の感覚も無い。暦を発明する前の人類みたいな世界観で生きてる。

たぶん普通の人は膨大な記憶をそのまま保存することができず、「○年に結婚」とか「昨日のご飯はハンバーグ」とかいうラベルだけを保存して生データは破棄している。だから「結婚」というキーワードで検索したときにぱっと「○年に結婚」がヒットする。

でも私は日常生活という生データにラベルづけせずにそのまま保管している。朝起きて歯磨きして顔洗って服着替えて冷蔵庫からハム出してトースト焼いて、みたいな私の捉えたものを視覚と聴覚と嗅覚と触覚とあとなんか分類できない感覚全てを覚えている。もちろん忘れていることは沢山あるし、私が注目していた部分以外は覚えていないけれど、とにかくできるかぎりの生データをできるかぎり恣意的な紐付け無しに残している。この性質は研究者としては非常に優れていて、全ての偏見無しに全てのデータを扱えるのが私の秀でた部分です。ていうかみんなラベルに振り回されすぎ。

 

記憶にラベルを張るということは、生データを別の何かに変質させ破棄することだ。元の画像データを捨ててサムネイルだけ残すみたいな。誰かの人生そのものと、誰かの人生を切り取ったルポ映画みたいな。どんなに綿密な調査をしてもそれはルポであって人生そのものでは無い。

記憶はラベルに引っ張られる。一度『幸せな結婚生活』というラベルを張ってしまうとその後結婚生活に分類された記憶は全て幸せな結婚生活フォルダに分類され幸せな結婚生活にそぐうものに改竄される。だから私は極力ラベルをつけず、私は私が結婚しているかどうか子がいるかどうか知らないし、なぜ結婚したのかなぜ子をつくったのか彼らとどういう時間をすごしているかにラベル付けしない。

 

でも人間はラベルをつけたがる生き物で、私が結婚して子がいて離婚もせず一つ屋根の下生活しているというと勝手に幸せな結婚生活のラベルを張ってくる。ほとんどの会話はラベル無しでは成立しない。

なので私は私の人格を分割して、対外的なラベルをつける権限を持つ人格というのを設定することにしています。彼は私の脳内に住む私ではない物なので、彼のつけるラベルは私の判断に影響しない。私にとって私の人生とは彼の作った無味乾燥なエクセル製年表の暗記です。

 

 

ただねぇ…

あまりにトンチキな人生なのでラベルもトンチキになってしまうっていうか、普通にイメージされる結婚とか実家とか仕事とか家族とかと、私の結婚とか実家とか仕事とかがあまりにかけ離れすぎてるっていうか。

「実家どんなとこ?」→蔵の中しか知らない

「学生の頃は何してたの?」→イタコとかヒモとか。セックスとか自殺未遂とか。

「いい大学ね。受験大変だったでしょ?」→受験程度で苦労の意味が分からん

「ご主人とはどこで出会ったの?」→住所不定の逃亡生活してて駅で寝てた時

「なんで結婚したの?」→私の方は処女でないと書類で証明できれば現人神やめれるかなって。夫側は家業を継がないためには無関係な血筋を混ぜる必要があったらしくて。

「旦那さん優しい?」→どんな奴なのか未だによく知らんし顔も覚えてない。

「お子さんかわいいでしょう」→誰の種かも分からないし正直私の産んだ子という実感すらないし、やっかいな遺伝子を持った者同士として多少の連帯感と強烈な同族嫌悪しかない

「お休みの日は何してるの」→遁走

 

これを過不足なく伝えるとなると我が一族の血塗られた歴史を数百年ほど遡って説明することになるんだがよろしいか。おまえが聞きたかったことはほんとにこれなのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論:天気の話が最強。