雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

潔癖処女だと思われる

なんか、セックスの存在すら知らない処女だと思われる。

なんでや。私は処女懐胎したんかそれとも単性生殖か。ナメクジかなるほど。

でもある程度親しい人にはきつめのSだと思われてる。

私の自認としてはどっちかというとMだと思ってるけどMですって言うと、はははこやつめ全世界のMに謝れこのスーパー攻め様がと言われる。解せぬ。

 

とかいうのを、こないだ酔った勢いでブクマ全部ぽちった同人誌が届いたら8割が右三日だったのを眺めながら考えていた小夜歌至上主義のhedgehogxですこんにちは。お小夜は天使。

 

多分一般的なセックスや恋愛というのは未知の相手に夢見るみたいなのがデフォルトで、だから多くの人は「よく考えもせずに」異性愛者になってしまえるのだと思う。よく考えずに相手を選んでいたら「結果的に」異性ばかりになっていたとか、よーく考えて試行錯誤したうえで異性愛者という「自認を持つに至った」というのならわからないでもないけど、「深く考えずに手近な相手を選ぶ」のであれば、わざわざ接触する機会の少ない異性ではなくて同性を選ぶほうが私としては自然に感じる。でも恋愛脳のウェイは異性というよく知らない存在を一番身近な他人として選択する自身の不合理を自覚しない。

だからたぶん、一般的にいう恋愛というのは異性という自分とは違う存在に勝手にいろいろと投影して幻想をみている状態のことなのではないかと思う。

少女マンガに出てくるイケメンでスパダリな王子様キャラだとか、男性向けエロに出てくる昼は淑女夜は娼婦だとか、なんかそういう風に異性を自分とは全く違うファンタジーだと思うからこそ自分の願望を投影できてしまう。メディア世間一般で言われている恋愛と実際の人間関係は違うので、現実的には幻影を投影している人は少数派かもしれないけれど、とにかく漫画や映画や新聞やニュースではそういうことになっている。

 

そもそも、挿入する/されるという非対称性が非常に強固なテンプレとされてる時点で、やっぱり共通幻想としての恋愛は自己の願望を投影することなんだろなと思う。

 

昔、住所不定の逃亡生活をしていたときに女性だけの職場にいて(察して)たまに荷物を持って来る男性にとてつもない魅力を感じたことがある。びらびらした着心地最悪な服で常に爪や髪を気にして相互監視の中汲々と生きている薄暗い洞窟の中で、汚れを気にしないジーンズと運動靴で重い荷物を軽々持つ太陽のあたる広い『外』の匂いのする存在は、纏足みたいなハイヒールとコルセットみたいな服でボンレスハムのように締め付けられた私とは全く別の生物のように感じた。もしあのとき彼が私に微笑みかけて一緒に逃げようと言ったら何の迷いも無く私の全てを捧げていたと思う。

まぁ冷静になってみればあんなのただのヤンキーなんだけど。

 

たぶん、何も考えずに異性愛者やってるタイプの人というのはあのときの私のように、自分ではない存在に自分の願望を投影していて、そういう思考の中では挿入する/されるという非対称性を崩されることは自分の願望を否定されることで、だからセクシャルに関するマイノリティを見ると不安を煽られて迫害に走るのだろう。

 

あと、普段私は愛でたい甘やかしたい対象が右側な本を読むんだけど右三日に関してはあのおじいちゃんならたいていのこと経験してそうだから何やっても対称性が担保されるという安心感で読んでる気がする(すごくどうでもいい)

 

 

 

で、そういう非対称性こそが恋愛という価値観のなかでは、対称性にとことんこだわる私の選ぶ人間関係は恋愛にカウントされなくて、そういう意味では私は恋愛もセックスもしたことが無い。そのあたりがにじみ出る喪女臭というか処女臭になるのではないかと思った。

自己の身勝手な願望を投影するとか5歳のときにすでにうんざりしてたんで、恋愛が投影なら私は一生処女でいいや。