雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

人が底抜けに残虐になる条件について考える

 虐殺とか殺人もそうだし、日常でのいじめやセクハラみたいなやつでも結局、加害者は悪いことをしている自覚は全くなくてむしろ正しいことをしていると思い込んでいるからやっかいだし、犯罪に罰を与える方式の現状では何も解決しないと思うという話。

 

たとえば虫が誘蛾灯に引き寄せられるみたいなのは「反応」で、人間が深夜にふらっとコンビニに行っちゃうのは「コミュニケーション」で、両者は光に集まるという同じ現象だけど全然違う気がする。

虫がコンビニの入り口に在る青白い蛍光灯に集まってばちばち焼かれる理由は、虫は光に引き寄せられる性質があるから、であって別に虫が光を好きだとか美しいと思ってるとかはたぶん無い。だから「なんて美しい光だろう、そばに行ってみよう」→誘蛾灯ばちーん→「ちくしょう騙された!」みたいな感情はたぶん発生していない。虫の神経系の容量的にそんな複雑な回路は存在しない。そこに光があった、光に近づくようプログラムされてた、近付いた。で終わり。近づいた、だから焼かれた、という因果関係を虫は理解しないし、そこで何が起こるかという期待や予想がそもそも存在しないから裏切られたとも思わず、感情が発生する余地がない。

 

 虫ならそれで問題ないけど、人間だとそれでは困る。

 

人間並みの複雑さがあるのに虫並の理解力しなない場合に何が起こるかと言うと、妙な固執というか相手への無関心と相手への支配欲の悪魔合体みたいなのというか、他人をモノとしてしか見ていない、つまりいわゆるひとつのアスペルガーとか呼ばれている現象が起こるのではないかと思った。そしてこれは認知症やら統合失調症やら境界性人格障害やら、とにかく他人の話を聞かずに自分をゴリ押しする現象すべてに共通で起こるし、「計算言語を愛する」という本来のアスペルガーの定義とは別に関係ない知能の低下なのでは。

 

虫が光に集まるのは、光→近づく、という反射回路を持った個体は外敵から逃げれたりエサにありつけたりというメリットがあることが多くて、そうやって何億年も淘汰されてきたから、光→近づく、回路が強化されたにすぎない。*1虫は「あの光のところにエサがあるぞ楽しみだな」とか思ってるわけではないので、光源にエサがあってもなくても焼き殺されてもそこに感情が発生しない。光→近づく で一つ回路が完成していて、その先エサがあれば エサ→食べる という別の回路が発生するし、誘蛾灯があれば 焼き殺される→暴れる という回路が発生するだけ。

 

これを人間でたとえると、コンビニ→近づく という回路があってコンビニがあったら万難を排して近づいてしまう。他の予定とか目に入らない。トイレが我慢できないのと同じくらいの切迫感でコンビニに向かってしまう。そしてコンビニに入店したら エサ→食べる という回路が発生して万難を排してからあげくんを買ってイートインで食べ始める。予定が押してるとか考えられない。

そして多分、人間ならここに『予測モドキ』が入る。たいていの人はこれまでの人生での学習で コンビニ→食料があるに違いない みたいな回路ができあがってる。

ここが人間特有の大変なところで、「きっとコンビニには食料があるだろう、だってコンビニは商売で流通もしっかりしてるし」みたいな『他者の事情の予測』ではなくて、自分の中のホルモンとか神経とかの『反応』として コンビニ→エサがあるに違いない を捕えているのでは。だからコンビニに食料がないというのは「コンビニの店員さんや本社の問題」という他者との関係性ではなくて、自分の体の中が反乱を起こしたような、たとえば自分の体が悪魔に乗っ取られて制御不能になって連続殺人を始めたとか、それくらいありえないことに感じるのでは。

そりゃ自分が連続殺人を始めたら全力で止めるし、止めるのが絶対正義で世界平和への貢献だ。それと同じくらいの切迫感でコンビニに食料がないことに怒るのが絶対正義になってしまうのがいわゆる固執というやつなのでは。

 

自分とは無関係に発生する現象なのに、自分のホルモンや神経の反射と区別がつかない現象というのがたぶん「他人が自分と違うことを考えているという発想が出てこない」つまり「自分が世界の中心で他人は道具としか捉えられない」なのでは。そしてそれは「他人を正しく人間扱いしたうえであえて残虐なことをする」とは全然違う。「他人を尊重したい気持ちを持つこと」と「でも他人を他人として認識できないからモノ扱いしてしまう」は両立する。

そしてたぶん、定型非定型に関係なく「他人を正しく人間扱いしたうえであえて残虐なことをする」といういわゆるテンプレ的な感情を持つサイコパスの数はかなり少ない。ゲシュタポ憲兵もトランプも安倍も他人の幸福を心から願っていて、だけど自分とは違う他者の存在を理解できていないだけ。

 

だから痴漢もレイパーもエロマンガも「相手の女は悦んでいた」という妄想をする。本気で嫌がって1mmもあえがないエロを私は見たことが無い。加害者も二次加害者も常に善意の塊で、自分の善意を肯定するためにどこまでも残虐に加害する。

私にとってこれを認めるのは非常に苦痛なのだけど、でもそう考えれば刑罰に意味が無いことが分かる。必要なのは他者という存在の理解で、それはフェイススケールだとかSSTだとかいうお勉強であって根性的つるし上げではない。

大切なのは加害者を殴ってスッキリすることではなくて次の被害者を出さないことだ。目的を間違えてはいけない。

 

 

 

 

 

*1:虫が光に近づく理由や進化については諸説あるけど本筋ではないので今回はかなり簡略化して考えます