雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

己の偽善に直面している

なんかもうこの人間の罪悪感とかバグでしかないじゃんねなんなのこれ。

捨て猫がかわいそうというなら自分で飼えよ。たった数万すら払う気も無いくせに野良猫保護センターに電話だけはするとか逆に迷惑でしかないし、何より腹がたつのは電話したことで何か猫のためにしてやった満足感を得てしまうこと。猫はお前の感動ポルノじゃない。
そして仔猫を捨てるやつ。死ね。これまでお前が捨てた猫と同じように餓死しろ。そりゃ自分で殺すより捨てるほうが楽だよねあわよくば誰か拾ってくれるわけだし。他人の善意で食う飯はうまいか。







公園に猫が捨てられていた。この炎天下にダンボールからでることもできないくらい小さな猫たちのかたまりだった。
人が集まってきて、々にかわいそうだの不憫だの言い出して、誰かがエサを買ってきて、誰かが野良猫保護センターに電話をはじめた。でも保護には一匹あたり3万かかると言われて人だかりはなくなった。今頃彼らはきっと仔猫のために手を尽くした満足感にひたってるのだろう。たった12万支払う気も無いくせに。

こういうことは私が知るだけでも二回目で、近所に屋外多頭飼いの猫屋敷があって、そこの猫と模様がそっくり。だから私のやるべきことはその家を襲撃して猫たちを一匹残らず捕獲して青酸カリで殺すことだ。それをしない以上全ては偽善でしかない。目の前の仔猫を拾うというのは、たった数万を惜しんで猫を繁殖させ離乳するまで数週間育てたふわふわの毛玉を公園に置き去りにできてしまう精神性を持ったサイコパスの成功体験を強めることでしかなくて、きっと次の繁殖期にもまた同じように飢え死にする仔猫が出る。だからあの家に乗り込んで虐殺しない以上次善手は仔猫を見殺しにすることだ。 


なのに自分で水すら飲めない仔猫を見るとこの私ですら手を伸ばしてしまう。多産多死の生物のことも知っていて、この一匹を救うことで成功するサイコパスの思惑も、被災地に送る千羽鶴の殺意を覚える迷惑も、分かっているのに、だれも幸せにしないと分かっているのに私は私の罪悪感を慰撫するためだけに仔猫に手を伸ばし不幸の連鎖を繋ぐ。


この、目の前のちいさいののことしか考えられなくなるのなんなの生物として間違ってないか。


そしてたぶん、多頭で野外で猫を飼う人も安楽死に反対する人も障害者はかわいそうだから政治参加させないという人も老人に管を突っ込む人も加害者家族に連座制を求める人も、今の私と同じように知性を放棄して無敵の正義の中にいる。