雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

自己の連続性を信じている人がいる、ということ。

呼ばれた気がして(呼ばれてない)

http://kokoro.squares.net/?p=7763
世界の見え方が脳内物質の匙加減で変わるのなら自我の同一性なんて幻想なのではという古典的な問い。ですがかたくなに妄想を病理としてのみ捉える林氏がこれを考えるのは少し意外でした。

そしてなぜ多くの人が死や変容を恐れ否認するのかの答えがここにあると思ったので覚え書き。

私はよくおかしな人を見ます。公園のすみで素手で穴掘りしているサラリーマンとか、生魚を素手で掴んでいるご婦人とか。でも私以外のだれも彼らの存在に気づかず素通りしてゆく。
おかしいのは私なのか世界なのか、私に鑑別する手段はありません。私にとって彼らは存在していて、また別の誰かにとって彼らは存在していなくて、複数の現実が同じ重みで存在する。
我々は自分の体という独房の囚人にすぎないなんて小学校の理科の時間に習うじゃないですか。というのが私の認識なのだけどたぶん私の当たり前は多くの人にとって世界崩壊体験というか認知症統合失調症になってでも回避したいくらいの根源的な恐怖なのだと思う。



私はいちおう解離性同一性障害ということになっていて、気づいたら座敷牢だったり修羅場だったり餓死しかけていたり出血死しかけていたり先日も知らない場所に行ってたり、デバイスは複数所持、知らない人からラインやメールが来るのは当たり前で、行動履歴が支離滅裂なので逮捕なんてされた日には捜査が大変だろうなと思うわけです。
私は私の行動を把握していなくて、たとえば今タクシーでこの記事を書いているのだけどなぜこんな混タクシーに乗っているのかどこに行くのか何か目的か私は知りません。でもおそらく私は然るべき行き先を告げ目的地につけば然るべき行動をするのでしょう。
以前綿以外の私の動画を見たことがありますが、知らない服を着て知らない言語で知らない会話をする私を私と認識するのは私自身ですら難しい。

現代社会の常識と照らし合わせたとき、私は確かに狂人です。ですが私からすると正常だと自称する人たちのほうがよほど連続性を絶たれているうえにかたくなに断絶を認めようとせずちぐはくな行動を妄想に妄想を重ねて糊塗する姿は深刻に病識を欠いているように思えます。そういう意味で、かたくなに妄想を病識モデルで捉える林氏は私には一番ビョーキに見える。まぁ医者が一番おかしくなってるのは現場あるあるですが。


で、自我なんて幻想だと認めるのが苦痛過ぎて気持ち悪くキチガイ化するタイプの人はいったいなんなんだ。
このブログとしては「彼らは馬鹿だから仕方ない」と言いたいところですがたぶんこれIQ関係ないっぽい。彼らは積み重ねてきたこれまでが崩れること、自分の安全圏が脅かされるとことを阻止したいのではという気がする。
よくわかんないけどなんかネトウヨとかトランピアンや自民支持者と同じニオイがする。出したい答えが先にあって現実を捻じ曲げていることをメタ認知できない感じ。
世界中で妙な分断が進んでいる昨今、こういう人たちをどうケアするか考えていきたい。