雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

感覚過敏の原因について仮説を思いついたので書く。

感覚過敏だという人が苦手。だってあいつら魚の鮮度も見分けがつかないくせに生魚は感触が気持ち悪いから食べられないとかわがままいうんだもん。鶏肉と蛇肉の区別もつかないようなお子様舌は黙って猫缶でも食ってろ。

という気持になるんだけど、過敏と鈍感は矛盾しないどころかむしろ同じ事象の表裏だという解説を聞いてなるほどと思った。

hedgehogx.hatenablog.com

 

それで今回、無限増殖する刺身にタンポポを乗せ続ける、みたいな中世みたいな仕事をやってて思ったんだけど、感覚というのはうすっぺらいメモ帳を運ぶアリみたいな仕組みのセンサーなのではないだろうか。

 

うすっぺらいメモ帳は軽いのでアリが一匹だけの小さな力でも大きく動いてしまう。そうするとアリ一匹に振り回されている感覚過敏の状態。一匹のアリに過剰に反応して、他のアリのことは入力されないから気づけない。過敏と敏感が両立する。本人からすると気まぐれに引っ張るアリに振り回されている状態だけど、他人からするとたかがアリ一匹に大騒ぎして他のことを無視するワガママな人に見える。

そして暴走車に乗っている人は自分の今いる位置を把握できない。だから自分が座標ゼロになるしかなくて、主観では「相手が突然怒り出した」とか「何もしてないのに友情が壊れた」みたいなことになるけど周りからすると「あいつが突然失礼なことをした」「自分の都合のいいときだけ連絡してくるやつ」みたいになって、他人の目線で考えられない空気が読めないということになる。たぶん私がむかついているのはここ。自分がどう動いているのかを客観的に見ることができないところが嫌い。

おそらく定型の言う「空気を読む」には二種類あって、「普通ここはこういう行動をするだろう」という常識みたいなものを覚えて実践するというコンテクストの共有を求める場合と、それとは別に自分の今いる位置を把握するという単純に空間把握の能力の場合がある。コンテクストの共有に関しては別にしなくても苦痛じゃないんだけど、空間把握はね…IQが30離れると会話が難しくてだな……

頭がいい人は穏やかだとか優しいだとか逆に冷徹だとかいろいろ言われるのはこのあたりの能力差なのでは。

 

いや空間把握的な空気を読む、に関してはできない人は無理してもしょうがないとおもうんだ。脳みその作りの違いは超えられない。だけどせめてその土台になる、自分が安定する、に関してはどうにかするとお互いに幸せなのではないだろうか。躁鬱病みたいに自分の気分に振り回されるのは本人にとっても不幸せだろう。情緒が安定している人は能力や傷害の有無にかかわらず支援を受けやすく可哀想ランキングの上位に上がりやすい。

 

なので、可哀想ランキング上位の可哀想強者としては、なぜか反感を買いやすいタイプの人は感覚を安定させる方向でやってみたらどうだろうと提案したい。性格を変えるよりはよっぽどとっつきやすいのでは。

 

感覚は薄っぺらいメモ帳をひっぱるアリみたいなセンサー、と思ってみた時、感覚を安定させるのは四方八方に引っ張る複数のアリだ。

現代社会では視覚からの情報だけが強く入って来やすいので、意識して視覚以外の情報を取り入れるとかどうだろう。とりあえずスマホはちょっとお休みしてみる。足つぼとかストレッチとかやってみる。風呂に入ってみる。髪を梳かしてみる。床掃除とかしてみる。料理してみる。外食してみる。スーパーに行って野菜をさわってみる。みたいな。

ここで過敏で鈍感な人はセックスとか自傷とかパチンコとか大音量のロックとかストロングゼロとかの強い刺激を求めてしまいがちなんだけど、あえて弱いアリを沢山増やす。弱いアリが増えれば増えるほど安定する。

 

てかこれは文化資本の話だな。

文化資本というのは情緒を安定させるための感覚入力をどれだけ知っているかなんだろう。

そう思ってみると子供のころの私は正しく狂人だった。そのあたりはまた気力のあるときに書くかもしれない。