雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

多くの人が共有する子供時代の傷つきを想像する

気の重い仕事があるので逃げ出したい気持ちでいっぱいです。でもこれまで逃げ回ったかいがあって今回これ以上無いくらいフルサポートで仕事できるのでこの機会にやっつけておきたい。嘘。全てを捨ててインドに行きたい。それかチーズクリーム蒸しパンになりたい。


それで、私は全身ボーボーだし化粧もせずなんなら顔も洗わないけど、それで文句を言われたことは無い。
と思ったんだけどよく考えてみれば女やめてるブスみたいなのは私に対する誹謗中傷としてありふれているし、ヒールが折れて適当な靴屋に入ったらクソババアに靴よりまずヒゲを剃れと難癖つけられたりしてたかもしれない。そういう輩は言葉の通じない妖怪かなにかだと思ってるから記憶に残ってなかった。

私が人間判定するような普通の大人なら他人の毛なんかに文句つけないし、ていうか他人の顔や服装なんか見てすらいないし、それ以外のやつなんか妖怪でいいじゃんもう。

という冷静な判断ができなくなるのは、
1 周りに妖怪しかいない
2 トラウマスイッチ踏み抜き
のどちらかだと思うんだ。
1の場合はご愁傷さまなんだけど、見てるとそうでないのに妖怪を無駄に人間扱いしてしまうケースも結構あるんたろうと思う。
化粧は女の嗜みとか眉毛書いてないと外に出れないとかすっぴんを見られるのが嫌だから立ち会い出産断るとか母親が外出するときは必ず晩御飯作り置きしておかなくてはとか、それ誰に言われてんの?そんなガバガバなこと言うやつ簡単に論破できるしできない環境ならさっさと逃げ出したほうがいいし、まさかとは思いますが林先生案件では?

妖怪を人間扱いせざるを得ないときというのは妖怪に自分の生殺与奪を握られていると感じるときで、握られているかどうか判定は実際に握られているかどうかではなく過去の経験やトラウマみたいな不合理な理屈で導き出される気がしている。
で、私の場合経験やトラウマのありかが平均とかけ離れ過ぎているから普通の人にとっての地雷原で平然とタップダンスが踊れるし逆にどうでもいいところで見えない妖怪を怖がる。今回みたいに!今回みたいに!!カイミジンコになりたい。

普通はたぶん多感な学生時代ってやつがあったりして、自分の放った言葉の意味も分からない救いようのない馬鹿な男子とかに言われた一言に深く傷ついて一生引きずったりしてしまうのではないか。中学校の同級生に言われたとか親に言われたとかそういうくだらない一言をまるで世界の真実のように思いつめて乗り越えられない人は沢山いる。どんなに不合理だと分かっていても馬鹿な男子の一言のせいで一生強迫性障害のように化粧をし続ける。

というか、多感な時期に受けた強迫観念を維持することが人生そのものっていう人がわりとけっこういて、彼らにとっては世間体という幻想に従うことだけが人生の意味で、いや化粧しなくていいし出世していいし別姓でいいじゃんというように強迫観念を消してしまう運動は自分人生の意味がなくなってしまうように感じるのでは。

生きる喜びとか学問の探求とか好き勝手に好きなものを食べて好きなところに行って好きなことをするみたいな積極性を発揮したことが一度もなくて、これさえできれば全てを捨てても構わないという情熱も無くて、ただただ子供時代に刷り込まれたプログラムに沿って動くだけの人生。

なにそれもはや妖怪ていうかペッパー君じゃん。

人の皮をかぶったペッパー君となんかまともに話が通じるわけないし彼らに必要なのは教育ではなく刷り込みなので、ペッパー君は現状どういうプログラムが刷り込まれていて、どういう刷り込みをすれば私にとって有利なペッパー君になるのか考えていきたい。