雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

頭の悪い人が自分の考えを否定されると発狂する現象が諸悪の根源なのでは説

最近頭の悪い人向けの教材を作っていて何を作っているのかさっぱりわからなかったのだけどだんだんわかってきた。頭の悪い人向けの教材は前提条件を書けないんだ。そしてそれは女を配分せよインセル問題であったりだれも責任を取りたくない消極的濃厚延命医療であったりダイヤモンドプリンセス号であったりだいたいの問題の根底になっている。

 

「これまでの理論ではこれが説明できません。よって新しいこういう考えを導入するとうまくいきます」

が書けない。

「これまでの理論ではこれが説明できません」の時点で「これまでの理論を否定するのかー」が沸いてその後の説明は全て否定される。それはもうこの期に及んで現政権を肯定する人くらいの超理論によって否定にかかってくる。とにかくこの世の全てを否定してしまいには呪詛をまき散らし始めてお話にならない。

 

それでたぶんこれは、自分がダメであることを認められない現象なのだと思ってみた。

これまでの理論はダメだった、これまでの勉強はダメだった、これまでの実績は勘違いだった、とかを認められない。だからまともな議論ができない。インセル問題であれば、ママで娼婦な奴隷が欲しいと思う自分のダメさを認められないから女を憎む。

いいじゃんダメなもんはダメで。人間なんてだいたいダメなんだし。いまさら多少ダメでも誤差の範囲じゃん。

と思えれば、自分のダメな気持ちをどう解決するかという話ができるけど、それができない。ヤンキーや見栄とメンツで生きている。

 

それでこの仮説で一番納得だったのが患者家族問題です。

私は患者の立場も患者家族の立場も経験したし立場上いろいろな患者と家族の話を聞くのですが、とにかく一度患者認定されるとすべての人権が奪われる。とくに統合失調症認知症。もう人間扱いされない家族のオモチャに成り下がる。そして家族は家族で自分の考えを奪われて患者にお仕えする奴隷になってしまう。あの気持ち悪さはなんなんだと思っていたのだけどおそらくあれは患者家族が自分自身の感情を語る言葉を奪われる現象なのだと思う。

家族が「あの人の病気が心配で」と話し出すと焦点は患者になり目的は「患者の病気をどうにかすること」になる。心配だという気持ちは自分だけの物なはずなのに、それを解決するためには他者である患者をコントロールするしか手段が無い’(と思わされる)。でも患者の病気は患者の病気なので、家族のお気持ちでどうにかできるものではなくて、家族のお気持ちは患者の行動に振り回される。たぶんモラハラとか共依存とかも同じ仕組み。

 

たとえば胃瘻とか。

「なんか心配だから」という家族のお気持ちをヨシヨシするために患者は胃に穴を開けられてチューブで食べ物を突っ込まれて管を抜かないようにベットに縛り付けられてうめき声をあげると「うるさいから」という家族のお気持ちによって筋弛緩剤を投入される。肺炎になるとか痩せるとか栄養が取れないとか死期が早まるとかいう不都合を予防するのは患者のためというけれど本人食べたくない食べれないと意思表示してんじゃん誰のためって家族のお気持ちのためなの明白じゃん。

だけど「我々家族のエゴのために嫌がるばあちゃんをベットに縛り付けて胃に管を突っ込み食物を流し込む鬼畜の所業を強いているのだ」と堂々と主張するのは発狂するくらい耐え難いことらしい。

いいじゃんべつに人間らしくて。ばあちゃんの胃にいくら何をつっこんでも自分の胃は痛くならないんだし、人は他者に対して無限に残酷になれる。にんげんっていいな。

その自分の残虐さを認めたうえでないと話しかできないじゃん。だからみんな頭が悪くて同じ問題を何度も何度も何度もぐるぐる繰り返してて、なんでみんなこんな簡単なことできないの?

できないならできないでしょうがないから、自分が自分の汚い部分を認められないということを認めてそれを前提に話をすればいいのにそれすらできないの本気で訳が分からないんだけどほんとなんでなの頭の悪い人ってみんなそうなの??