雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

半生を振り返る

自伝を自分で書くという罰ゲームみたいな仕事をしている。

そもそもな、アレすぎて非公開にせざるをえない情報が多すぎてな、仮に全て公開したとしても膨大で煩雑で非日常すぎて誰にも分かってもらえない。ああいうのは相手と自分の共通点を見つけて親しみを感じるために語るのであってだな。父と母と兄がいて勉学にはげみ切磋琢磨しみたいなそういうの期待されてるぽいんだが、そもそも遺伝上の父はもちろん遺伝上の母すらよくわからないんだごめん。

 

とりあえず成育歴は全てぼやかしつつ、私がいつ何をどのように考えどう検証しどういう結論に至ったかを書きだしてみた。思った以上に波乱万丈だった。煩雑すぎる個々のエピソードを全て削って思想の変遷だけを眺めてみると、なるほどこれは我ながらキチガイだと思った。雑に例えると「小学1年生で1+1を習ったところから着想を得て小学2年生のころ相対性理論を構築」みたいな感じ。なんでたしざんが相対性理論につながってしまうのか。。。どっからその発想が出てきた。ネットも無い時代にどこからその知識持ってきたんだ。

これが普通に学校に通って普通に勉学に励んでいたとしても相当あたまがおかしいけれど、実際は図書館すらない田舎の街で座敷牢に閉じ込められてほとんど外に出たことない状態だったわけで、ほんとなんでなんだちょっときもちわるいな。

 

 

とか思えるくらいに俗世に馴染んてきたんだなとしんみりした。

 

 

目や耳から入ってくる情報をどうやって解釈するかは多大に教育の影響を受けていて、一般的な教育を受けたら一般的な解釈ができるようになるし、一般から大きく外れた教育を受けたら一般ではありえない解釈をするようになる。人間は自分の自覚以上に生育環境に大きく依存している。

だから当時の私の環境では私のような世界の捉え方をするのが自然なことで、私にとって私の在り方はあたりまえでしかない。

 

 

 

 

なんかちょっと今へこんでいるんだけど、なんていうか私にとっての唯一絶対の「当たり前」をマジョリティの共有幻想というフィルタを通じて解釈してしまってなんかなんだろう魂を売り渡した気分というか。自らの手で羽衣を明け渡した気分というか。繭の中でまどろんでいた時間が少し懐かしい。

 

 

ま、じゃあもう一度座敷牢入るかって言われたら絶対拒否するんだけども。

あの場所から出て世俗にまみれて泣いたり笑ったりして暮すことを選んだことに微塵も後悔はないんだけども。ていうか、知ってしまったことに由来する喪失、を無効化するために解離という手段をゲットしたんでこの悩み自体すでに無効化してるんだけども。

まぁいいやたまにはちょっとへこもう。