雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

コロナ自粛で犠牲になるものと、犠牲者の口を塞ぎたい人達の存在

たぶん多くの冷静になれない人達の認識では、コロナは人命と娯楽を天秤にかけているっぽい。遊びと人の命だったら人の命が優先だろ、多少の不便くらい我慢しろ、我慢できないのは欲望を抑えられない底辺阿呆か社会転覆を狙うテロリスト、という。

そしてコロナに警鐘を鳴らす専門家の認識では、コロナは人命と概念としての経済を天秤にかけている。彼らは気楽に自粛を要請する。家に閉じこもるくらいどうってことないでしょリモートすればいいじゃないこっちは最前線で戦ってるんだから素人は黙って閉じこもってろ、という。

 

で、コロナは現在の人命と未来、あるいは、老人と深刻な経済苦を天秤にかけているのだということを考えている人はどれくらいいるのだろうか。

 

まず前提として、コロナでは老人と基礎疾患のある人の致死率が高い。ということはコロナの人を全て見捨てれば医療崩壊は起きず医療費のかさむハイリスクな人達だけを殺すことができる。やるかどうかはともかく。

まずそれ前提ね。

だからコロナでの自粛というのは大多数の健康な人を守るか、少数のハイリスクハイコストな人をわずかながら延命するか、という対立になっている。

 

 

 

その前提に置いて、コロナ自粛を叫ぶ人達は自分が何を守るために誰にどんな犠牲を強いているのか自覚しているのだろうか。

たぶんしていないよね。

 

ハイリスクハイコストな死にかけの人達を守るために無関係なおまえらの人生棒に振ってください困窮してください家賃払えずホームレスになってくださいでも老人を生かすための年金はきっちり収めてください!

て、言えよ正直に。

自粛しない人達や命を軽視する人達を敵視する前に、自分の加害性を自覚して。せめて人殺しの顔をしろ。話し合いはそれからだ。

 

 

 

 

ところで実際、コロナ自粛で経済的に困窮する人ってどれくらいいるの?わたくしなんだかんだで経済的に恵まれているので正直よく分からない。なんならコロナで収入増えた。ボッチ大勝利。

たぶん、今日のご飯が買えなくて餓死しますとかいう人は日本ではいまのところあまりいなくて、たぶんもっと分かりにくい形で、なけなしの貯金を全て失って事業を畳んで一家離散生活保護コース、とか、学費が払えなくて高卒で低賃金労働者コース、とか、家に閉じ込められてDV毒親コース、とか、教育の機会を奪われて低学歴単純労働者コース、とか、なんかたぶんそういう形で一生を歪ませるような困窮が多いのではないだろうか。よくわからないけど。そしてたぶんそういう分かりにくい困難は声を上げずらくて、人の命を救うためという美しいお題目に抵抗できずだまって自己責任を内面化してしまうのではないだろうか。

たしかに目の前で生きるか死ぬか、というのは分かりやすい。そして一生をじわじわと蝕む経済的ダメージは分かりにくい。

だから人は未来を犠牲にして目の前の人命を救いがちだ。でも死んでしまえばそこで終わりだけど、一生を再起不能にさせられるのは何十年も下手すると100年近く自分と自分の周りに毒をふりまくことになる。医療が発展していなかった昔であれば人命を救おうにもできることが少なかったけれど、今は80の寝たきり老人を生かすために無限のリソースをつぎ込むことができてしまう。できてしまうからこそどこかで打ち切らないといけない。

コロナ自粛に反対するのは勇気がいる。目の前の死にかけの他人よりも自分自身のほうが大切なんだと言い切り、死にかけの他人を救うためにおまえは餓死しろと要求してくる「慈善に満ちた善意の」助言に抗わなくてはいけない。

 

 

 

ここまで書いてきて思ったんだけど、これたぶん無理だわ。

貧困は自尊心を傷つける。あと言いたかないけど貧困に甘んじるくらいの人だからこそ貧困なわけで、自分自身を守るための権利を主張できる能力があるんだったらとっくになんとかしてるよね。実際私だって賢く粘り強くあの手この手で権利を獲得してきたからこそ今こんなにのんびりできているわけで。就職氷河期たちだって大人しく棄民されネットで愚痴るだけなんだからコロナ氷河期だってそうなるわな。

私は貧困に至る精神性をなんだかんだで好ましく思っていて、自尊心が低い人達のなかにも私の愛した人たちがいて、私は彼らの現在陥っている困窮に対して怒りたいのだけど、でも肝心の彼ら自身がそれに甘んじるのなら私から何かできることはない。