雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

他人をモノ扱いする心理を考えてみるやつ

なんというか、世界がプレイヤーキャラである自分と、それにかしずくノンプレイヤーキャラだけになっていまうような。他の人をモノのように思ってしまうような。なんかそういう現象。

 

依存症とか暴力とかコロナ自粛論争とかいろいろ問題の一端はこれだと思うんだ。

 

だいたいの場合暴力を振るう人というのは自分を悪だと思っていなくてむしろ正義だと思っている。自分の考え方だけがこの世に存在する唯一の正義だと思うからこそ、そこからはみ出すものはどう扱ってもよいと思ってしまう。自分が正義だと思って他者を攻撃するのはまだ他者を敵とみなしているぶん「軽症」で、もっと重度になると自分が正義だと自覚すらしないし他者を攻撃している自覚も無い。コロナ自粛厨はこの境地に足をつっこんでいる。かれらの中には「コロナ自粛を主張する高尚な俺」と「自分の楽しみのために高齢者を殺しに来るブーマーリムーバー」しかいなくて、「生活のために働かざるを得ない経済弱者」は存在しない。従って「経済弱者を殺している俺」も存在しえない。彼らは人殺しの顔をしない。

とにかく「俺にとって都合の悪いことを主張してくる他者」が存在しないし「都合の悪い他者を踏みつけている俺」も存在しない。彼らの中では都合の悪いことを主張してくる他者なんてのは道端の石ころみたいなもので速やかに排除するのが正義となる。

 

それでたぶんこれはセクハラや性的搾取がなぜこれほど罪深いかという話にもつながる。世の中全てが無料のキャバクラだと思っているような輩はもっともっと「重症」で、攻撃している自覚が無いどころか自分にとって都合の悪いモノを排除している自覚すら無い。全ての他者は自分の思い通りに動くと思っている。テトリスをやっててゲームオーバーになってむかついたからコントローラーを床に叩きつける、くらいカジュアルに暴力を振るう。

だから彼らは反省しない。少なくとも被害者が望むような反省はしない。

コントローラーを乱暴に扱ったことをママに叱られたガキは「コントローラーを投げてごめんなさい」をするかもしれない。でもそれはコントローラーに謝ったわけではないしましてコントローラーがコントローラーとしての役割を放棄して権利と自由を主張することを尊重するわけもない。他者をゲームのノンプレイヤーキャラだと思っている心理構造の根底をどうにかしない限り、加害者をどれだけガン詰めしても出てくるのは「コントローラーを投げてごめんなさい」しかない。これは被害者にとってはもちろん加害者にとっても不幸なことだ。

 

 

以前パワハラを繰り返す人に「なんで?今どうしてその発言したの?その意図は?私にどういう気持ちになってほしくてその発言したの?ねぇねぇなんで???」と詰め寄った時に「傷つける意図は無かった、それ以前に自分の発言が他人に聞かれているという自覚すらなかった、自分だけの独り言のように感じていた」というまさに膜理論のようなことを言われてぞっとした。女は女であるというだけでこんな怪物を相手にし続けなければいけないのだ。なんなんだ私が何をしたっていうんだ。

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それで本当に意味が分からなくて気持ち悪くてそいつのこと心底嫌いになってそれ以来そいつとは会っていなくて連絡は全てブロックしてて、もうとにかく気持ち悪い。あれに会うかゴキブリ主食にするか選べと言われたらゴキブリ選ぶ。

 

とにかく気持ち悪くて考えないようにしてたのだけどちょっと考えてみた。

そしてたぶん、人間は考えるキャパを超えると省エネモードみたいなものが発動して他者がNPCになるのだと思う。だから私もキャパを超えたら他者をNPC扱いしてる。この現象をちょっとちゃんと考えてみたい。