雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

カツオとセックスワークは同じか否か問題

どちらも他人の不幸を喜ぶという意味では同じでその濃淡でしかないに決まってんじゃんいまさら何を騒いでるんだ…

https://anond.hatelabo.jp/20200503121929

疫病でカツオが売れなくて値崩れしてるから買うのが楽しみ

疫病で困窮した女性が風俗に来るから買うのが楽しみ

は何か違うのか?カツオを喜んで買ったやつは風俗に来るのが楽しみ発言を批判する資格は無い。風俗だけ批判するのはダブスタセックスワークを賤業とみてるんだ

らしい。
この程度のありふれた問に痛いとこつかれたとかはっとしたとか、これまで生物の原罪についてとか動物の権利とかヴィーガン思想の是非とか考えたこと無いのかこれまで何して生きてきたんだろうか。


一つ一つ書いていきます。

まず、知らないことを考えるのは不可能なので、目の前に安売りのカツオがあったらシンプルに嬉しい。同様に目の前に女体があったらシンプルにうれしい。そこは正として本題に進みます。


で、そこから先は知識と想像力の問題で、「もしも」カツオの向こうに困窮した漁業関係者がいたら素直に喜べない。同様に、「もしも」女体の向こうに困窮した女性がいたら素直に喜べない。
「もしも」の話ですが。


そしてここに2種類の問題があって、一つ目は多くの人にとってカツオから漁師を想像するのは女体から女体の持ち主を想像するより難易度が高い。女性の知り合いはいてもカツオ漁師の知り合いはいないことがほとんどなので。全てを平等に考える努力はすべきだけど実際問題としてそれは達成できない。ここを潔癖に解決するとスマホも肉食も服飾もすべてすてて完全自給自足しなければいけません。生存は偽善である。偽善であることを自覚しつつも考えることをやめてはいけない。ここで打ちのめされる人はこれまでどんだけ物を考えてこなかったのか…すごいなこれまで何して生きてきたんだろう。


で、本題です。
女体の向こうに困窮した女性がいたら喜べない。これが「事実であれば」だいたいすべての人が同意するでしょう。発端となった岡田という人を私は全く知りませんが岡田氏もおそらく目の前に困窮した女性がいたら楽しみとか言わなかったのでは。
だからもしセックスワークが他の仕事と平等であるならば女体の向こうに困窮した女性はいない。よって「不況によって風俗で働く美人がふえてて楽しみ」発言にも問題ない。


そうですね。その通りだと思いますよ。



私が言ってるはそこではなくて。
どの仕事だろうと向き不向きってのはあってだな。セックスワークが壊滅的に向いてない人もいてだな。なのに追い詰められた時に若い女というだけでセックスワークしか解決策を提示されない現実があるんですよ。按摩が立派な職業だと認めるのと、視覚障害者が按摩師になるしか生きていけないのを批判するのは矛盾します?

私は選択肢の無さという点で現在のセックスワークを差別している。


その上現時点でセックスワークは労働環境もブラックで法律にも守ってもらえないような状況です。
女体を前にして漁師よりよほど身近な存在である女性という存在が適正も無いのにそんな厳しいところに放り込まれる不幸を想像できず楽しみとか言ってしまうのはやばい。

というのが私の考えです。
なんかどうしてもフェミがセックスワークを賤業と思っていると吹き上がりたい人がいるようなので書きました。






で、風俗店にきれいなおねえさんが来るのが楽しみ発言をしたいのなら、「困ったら福祉に頼れる日本でセックスワークを選ぶのは自由なんだから女体の向こうに不幸な女性はいない!」
と言い切れるようにいろいろがんばればいいじゃないですか。生活保護拡充とか風営法をどうにかするとかBEとかやること無限にあるでしょ。よくあるじゃん自分の推しジャンルを堂々と推せるようになるために推しジャンルの地位向上に励む運動。鉄オタとかドルオタとかバイクオタとか。そういうの出てこないところが闇だなと思う。