雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

理解できないものの存在が耐えられないという心理を想像してみる

たとえば中身の見えない箱があって、その中には何色か分からない紙が入っているとする。色は分からないがとにかく紙が入っている。としたら私はその箱に興味を持たない。紙なんて別にどこにでもあるし。別にそんな得体の知れない物をわざわざ使わなくても。これが紙でなくて猛毒とかの私に危害が加わりそうなものだったらしょうがないからどうにかしようと思うけど。

でも何色か分からない紙の入っている箱が気になってしょうがなくて箱をあけて何色の紙なのか確認するまで落着けないという人がわりといて、私としてはそういう人は何らかの理由で紙が何色かがその人の人生に影響するのだろうなと思っていた。

 

でももしかしたら、不確定要素そのものが不快という人がいるのだろうか。

私に一切関わりのないもの、たとえば月の裏側の模様がどうなってるかとかそういうことまで分かってないと不安で仕方ないというような。

なにそれどういうこと。めちゃくちゃ生きずらそう。地球に住むの向いてなさそう。

 

それ自体はそういうこともあるかもしれない。甘いものが嫌いな人もいるし辛い物が嫌いな人もいるし不確定要素が嫌いな人もいる。

ただ不思議なのは、不確定要素の存在を知らずに大人になってしまったような人がわりといるということだ。世の中は不確定要素だらけなのに、よく分からない自分ルールを強引に適応して自分の中で理屈をくっつけて確定要素だと思い込むことで心の平穏を保とうとする。ここまではわかる。不確定要素が嫌いすぎてどうにか排除したい気持ちになる。これもわかる。でもそれが通用するのはせいぜい幼稚園入園まででは。毎日怒涛のように襲ってくる不確定要素を体験し続けてなぜ疑問に思わない。最近ずいぶん精度が上がったとはいえまだまだ外れる天気予報を毎日見てなぜ不確定要素の存在に気づかない。スーパーでキュウリが売ってたり売ってなかったり、朝顔が育ったり枯れたり、カブトムシがいたりいなかったり、世の中は不確定要素だらけでは。なぜ気づかない。

もしかしたら近代生活は不確定要素に気づかなくても済んでしまうのかもしれない。

きっちり時間通りにくる電車にのってそれなりに精度の高い天気予報を見て都会のスーパーで通年売ってるキュウリを買っていつでも売ってるアマゾンで本を買えば全て予測可能な生活が成り立ってしまうのでは。それにしても解像度低すぎかよとは思うけれど、世の中の人の9割は私より頭が悪いのだからその程度の粗さでも気づかないのかも。アスペルガーには農業が効く(かもしれない)

 

 

不確定要素が不安で仕方ないとか、私のように時間の繋がりが分かってないとか、そういうのは嗜好というか性向というか、好みの問題だと思う。性的嗜好と同じで自分の嗜好は一生変えられないけれどそれはそれとして他人の嗜好を理解することはできる。私はポリアモリーだからお前もそうしろとか言い出す奴は別の病気。

でも性的マジョリティでマイノリティを受け入れがたいとか傲慢なことを言い出すやつらはみんな「考えたことがなかった」と言う。「ずっと自分があたりまえで、それ以外の嗜好があることなんて頭の片隅にすらなかった」「差別する気はない」と。この考えたことがなかった、考えないことを許されてきたことが社会的強者の傲慢。

それで、これが私がアスペルガーの人に対して思ってきたことなのかも。なんであんなに傲慢でいられるんだろうと思ってきたけれどそれは本気でこれまで一度たりとも考えてきたことがなかったからでは。そんな甘ったれた世界でぬくぬくと生きてきてボクチャンこれからも甘ったれでいたいからおまえらボクチャンのために犠牲になるの当然だろ!と言われても。犠牲になってやる義理ないんで。

 

そう思うとこれはもしかしたら近代精神医学の禁忌、発達障害は育て方で決まるみたいなものになってしまうな。

アスペルガーは元々不確定要素を嫌う素養を持ち、かつ脳の可塑性の高い幼少期に不確定要素を体験しなかった場合に発現する。これは掛け算で、不確定要素を嫌う素養がそれほど高くなくても幼少期の生育環境が極悪ならアスペルガーになる。だから不確定要素を極力排除した現代生活ではアスペルガーが多くなる。これはとてもしっくりくる。

私の知ってるアスペルガー診断済みやアスペルガー傾向があるっぽいと私が勝手に思ってる人達はなんというか経験の幅がとても狭い。土を触ったことがない、ミミズを見たことがない、木に登ったことがない、海で泳いだことがない。これは生来の不確定要素を嫌う素養のためそれらの経験を拒絶してきたというのもあるけれど、どうも聞いていると家庭環境も影響がありそうで、そういう多様な不確定要素を家族ぐるみで排除していることが多い。それでそういう家庭環境が主な原因なタイプは多様な経験を積むことでアスペルガー要素が弱まる。それで完治みたいな感じになったりした人を知っている。

あとやっぱり知能。

不確定要素を嫌う素養を持ち、幼少期に不確定要素を極力排除した生活をしても、知能が高ければ数少ない不確定要素に気づくことができるので、その場合は不確定要素を嫌う嗜好を持つけれど不確定要素を理解しており、恐れたり憎んだりしない。それで私がよく接するような人たちはこのタイプが多くて、なんか世間で言われているアスペルガーと違う。一昔前の素朴な自然科学ならいざ知らず最近のサイエンスの最前線に立つなら不確定要素を理解する知能は必須なのでそういうのしか生き残れないのだろう。

ただ彼らは自分の望む世界が決して実現しないことを悲しんでいる。そういう意味ではやっぱり彼らは地球生活が向いていないのかもしれない。私も人のこと言えないけど。

 

 

あと不確定要素自体が怖いというよりトラウマになってるようなのもありそう。

子供のころ親の機嫌という不確定要素に左右されて暴力を振るわれたとかがあれば不確定要素イコール不安要素になってしまいそう。ここに不確定要素を嫌う生来の嗜好が加わるとさらに不安が強化されて修正できなくなったりしそう。このタイプ多そうな気がする。不確定要素に怒り出す人は切羽詰まっているというか追い詰められているというか自分が正義だと思い込まなければ崩壊するような危機感を感じる。

この場合はパブロフの犬のような、Aボタンを押したら褒められてBボタンを押したら叱られるみたいな不確定要素を極力排除した人間関係を作っていくほうがいいのかもしれない。そう思うと私が妙に好かれるのも分かる。私の基準は私の気分でコロコロ変化する不確定要素ではあるけれど私は言語能力が高いので変化の根拠は常に明示できる。あとモノ扱い。こういうタイプはモノのように扱ってあげるとよくわからないが喜ぶのでSMのようなSMでないようなよくわからない関係が成立する。わからん。