はー私ってこう見えるんだ。そりゃ信者が増えるわけだ。
たまたまみつけたとあるブログなんだけど、なんというか、どの記事もひとつ残らず全てが一貫している。個人のやっているブログなので本人としてはおそらく思いつきをその都度書いているだけなんだろうけどとにかく全てが正しい。間違いというのが存在しない。一見矛盾するように見えても読み込むと繋がっていることがわかる。質の高い推理小説のように、バラバラに見える事柄が全て伏線になっていてかならず華麗に回収される。
これが学校の授業のように、著者は初めから全てを理解しているが初学者のためにわざと細切れにして見せているとかなら分かる。研究して確実に分かったことだけを記述しているのでも分かる。それは読者としては「断片的な事柄に見えるが読み込むと全てが繋がっている」体験にはなるかもしれないが著者の中ではもうすでに確固たるものがある。いわば仕掛けのある手品で、手品師は仕掛けを理解している。
でもそうでなくて、本人にもよくわかっていない思いつきの断片を適当に並べているだけなのに一切の矛盾がない。仕掛けの無い手品みたい。
ゴールがみえない試行錯誤をブログという形で記録する場合、ああかもしれないこうかもしれないとあれこれ仮説をたててあれは間違っていたがこれは正しかったとかいう結論になるのが普通だと思う。でもそういう、あのときはこう思ってたけどよく考えたら違ったわごめん、みたいなのが一切ない。
そして信者すごい。笑った。著者が何か記事を上げると「著者様が我々迷える子羊に何を伝えたいのか」考察大会がはじまる。著者様のお言葉全てが正しいはずで、矛盾しているように感じてしまうのは信心が足りないからだみたいなのが平然とまかり通っている。なぜ適当な思いつきを書いてみただけなのにこんなに信仰されてしまうのか。。。
まぁこの手のタイプは実際間違ったことなんか書きようがないんだけどね。考えを書いているわけではなく見えてるものを書いてるだけだから。
群盲象を評す、みたいな。それぞれの盲人は全体図を把握していないしバラバラなことを言うけれど全体としては正しい、みたいな。そんな。
おそらく私やあのブログ主は問題の全体図を把握する能力はあまりない。ただ質問されてその都度「柱のようです」「扇のようです」などと答えてるだけ。とくに何も考えず、今自分が触っているものを答えるだけなので本人としては別に何の苦労もない。
でも支離滅裂に見える言葉を全体図の中にプロットしてゆくと象の姿が浮かび上がる。
これを全体を把握する傾向のある人からすると、とてつもなく巨大で人間なんかにはとうてい理解できないほどの混沌をなんの苦労も無く言い当てている大宇宙の賢者みたいなものに見える。ただの群盲なんだけども。
私の場合は単純にIQで殴っている部分が多くて、たとえば複雑な平面図をみて脳内で立体として理解するとかそういうことが私にはできるからすげーとなるんだなと思っていたし実際その面も大きいのだろうけれど、なんというか問題に「触れる」というか?そういう私の能力はもしかしたらものすごく貴重なもので、群盲が象を触ってあれこれ感想を言う的なのは誰にでもできることじゃないかと思っていたけど実は違うのかもしれない。
じゃあ群盲なのに象を触れない人がたくさんいるってこと?
そういう人は何をどう理解してるわけ???