雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

人間関係クラッシャー素質の一端を省みる

最近男性も自分の受けた被害を言葉にできるようになってきたようで喜ばしいことです。相変わらず妙に攻撃性が高いですが、これまでやったことないことをやろうとしているその心意気は買いたいところ。

 

それとは全然関係なく、己のクラッシャー気質について少し分かったことがあるので書く。

私がいろいろおかしなひとをひきよせてさらにおかしな人にしてしまう理由は沢山あるのだろうと思うけどとりあえず一個分かった。頭の回転が速すぎるというのはじわじわと他者の精神を蝕むらしい。

 

いや私普通に頭いいだけだけど!あと日常生活が下手すぎて生活にエネルギー割くことをあきらめてるからそのぶんエネルギーが余ってて他の人のことも良く見えるだけ、つまり私がただの引きニートでまっとうに働いている人達にダメ出ししてるだけなんだけど!!

中程度に頭の回転が速すぎる場合、たとえば夏休みの子供に早く宿題やりなさいと言って反発されるみたいなことが起る。これはこれで毒だけど少なくとも毒を受けているということ自体は自覚できて反発することはできる。

でも私相手の場合反発自体が起りえないっていうか。

なんか、お腹すいたなご飯食べたいなとか思う隙もなく完璧なご飯を用意してしまう。いや私としては私に見えている情報から判断して普通に適切なことをしているだけなんだけど相手からしたら羽生の将棋くらい先を読んでるらしい。ごはん食べたいなと思ってからご飯が出てくれば「この人が僕にご飯をつくってくれた」という認識が生まれるんだけどご飯食べたいと思う前に用意されたらそれすら生まれない。ご飯の存在を意識することすらなく空腹も満腹も感じない。逆にご飯食べたくない時にご飯を用意したらウゼー余計なお世話みたいな気持ちになるけど、それすらない。私は、ちょうどごはんを食べたいなという欲望が生まれる瞬間にご飯を用意してしまう。それも常に完璧に。

みたいな状況らしい知らんけど。

 

たぶん生きてるということは己の中の欠乏感というか渇望というか欲望と言うかそういうのを自覚してそれを満たされて満足するというのがわりとかなり根本的なこと思うんだけど、私の傍にいるとそれが満たされない。満たされない渇望感すらなく、発生し得ない。私は私の周りの人の生きる実感を奪う。培養液に漬けられた実験室の生物みたいにさせてしまう。

 

 

いや私は普通に私に分かることをやってるだけなんだけども!

私は私のご飯を作って、それが結果として誰かの役になっているだけで、だれかにご飯作ってあげることすらないんだけども。ていうか、「あなたのためを思って」は誰の幸せにもならないというのが私のセントラルドグマなんで、だれかのためにご飯を作ってあげるという行為を己に禁じている。私は私のエゴを満たすためだけに生きる。他人のことなんかどうでもいい。不幸でも野垂れ死んでいても別に。苦しいの私じゃないし。好きにすればいいじゃない。

なのになんなのなんでこんな依存してくんのみんなして。

そういうのやだから死ぬ気で逃げ出したんだけど。なんでもう何十年もたったのにいまだについてまわるかなもー。