雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

自分の延命するかどうか問題

ぼくのかんがえたさいきょうのびょういん

まず、飯がうまい。
それで医療措置はとりあえず包帯巻いて壊死したら切断する程度。点滴すら無く況や呼吸器や胃ろうやVHをや。ただし麻酔や鎮静剤や睡眠薬だけはたらふくある。無痛分娩でたまにあるみたいな本人がボタンを押すと薬が勝手に注入されるやつがあってやばい薬をどかどか投入できて気づいたら死んでる。
それでさらに贅沢言うなら、毎日一時間心理士が話を聞いてくれるの。心理士の代わりに坊主や牧師も選べる。ていうかもうAIでいい。私だけのAIとずっと会話していたい。



みたいなのがいい。



インフルや食あたりや自殺未遂や飢餓や大怪我やとにかく何でもかんでも具合が悪いときに私が求めてるのは、予算が潤沢にあってスタッフに余裕がある精神科病棟の個室なのよな。そしてたぶん多くの人の「顧客に必要だったもの」も精神科病棟の個室なんだと思う。





で、若い頃の私は設置してゴニョゴニョするだけで確実にアレできるキットを常に持ち歩いていて、万一医療にアクセスしてしまった場合にも医療措置を拒否する旨を書面に残し知人に周知していた。


でもいろいろあって、ほんとにわけがわからないいろいろがあほみたいに発生して、しばらく生きていることに責任を感じざるを得ない時期が続いた。主に仕事と子供関連で。仕事の責任とか子供には母親がいないとかわいそうとか全ての人間はかけがえのない存在とかそういう一般的なレベルではなく。
私がいるかいないかで歴史の分岐点になりかねない感じになってしまっていた。いやさすがに歴史は言い過ぎだけど身の回り100人くらいの向こう10年くらいの命運を握ってしまっていた。


いくらちゃらんぽらんでもこれはさすがに責任を感じたので、医療を受けない宣言を一時保留にし、10年を目処に期間を区切ってある程度の延命を受け入れることにした。その間にいつ死んでもいいように体制を整えた。


今はその目標はだいたい達成できつつある。
なので再度医療を受けない宣言をしたい。できるだけ早くしたいのですごい勢いで仕事を片付けている。






いやでもほんとこれ微妙な問題よな。私みたいに積極的に覚悟がキマってしまっている奴にとっては簡単な問題だけど、そうでないどっちつかずな人にとって私くらいの年代の延命はかなり迷うところだと思う。

たとえばコロナで肺炎をこじらせたとして、基礎疾患無し20代前半くらいならエクモまでいっても回復の可能性があるから試してもいい気がする。逆に基礎疾患あり100歳なら抗生物質すら無しでさっさと死んだほうがよさげ。
じゃあ20と100の間のどこなら線を引けるか。
でもなんか明確に、外科でも内科でも「こいつはもう積極的治療の意味無くね?これ以上は拷問でしかなくね?」みたいなラインがある。現場はわりとその感覚を共有している。何かもう壊れる一方で回復はしないラインというか。死神に片足を掴まれているような。
あのなんとなくこれはやばいみたいなあれを明確化できればすっきりするのかなぁ。