雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

発達障害は個性なんかじゃなく障害なんだから自覚しろという話

1彼女は海が好きだ

2彼女は海が好きだった

 

Q今も彼女と付き合っているのはどちらか

 

 

という問いが分からない人がいるらしい。
そんなん分盲じゃん会話通じなさ過ぎて日常生活送れない。

 

ここで私が問題にしているのはこの設問に対して「厳密には答えはない」と思ってしまうことではないです。

あと、定型は「無意識に質問者の意図を汲んで解釈する」ではないです。

これは「質問者の意図を汲まず全ての可能性を検討するアスペ」vs「質問者の意図を汲んで唯一の回答を導き出す定型」の『個性』の違いとかでは決してない。

 

togetter.com

 

 

定型は「現時点で自分が考えうるすべての可能性を検討する」は当然行った上でさらに「質問者の意図を汲む」を行います。

で、アスペの何が迷惑かって、「(現時点で自分が考えうる)すべての可能性を検討する」だけを行って導き出した答えをペラペラペラペラしゃべりだしてしまうところです。おまえの解釈なんかしょせん「(現時点で自分が考えうる)すべての可能性」でしかなくて、そんなんおまえにとってしか重要でない。ということが分かっていない。おまえの幼稚で浅い読解なんか退屈すぎて聞いてられないんだわ。

なんか、自分の考えたことが他者にとってどれだけの重みがあるのかが分かっていない。

 

 

 

これ確かに曖昧な問題で、設問につきあっているかどうかの情報は含まれないので厳密には「その問いは成立していない」が正解で、彼女は海でおぼれて以来海が嫌いになったのかもしれないし海より山が好きになったのかもしれないし、過去も海が好きで今でも海が好きかもしれない。なんなら海というのは彼の名前なのかもしれない。

それはそうなんだけど、「今も彼女とつきあってるのはどちらか」と聞いた相手にその自分解釈を滔々とくっちゃべってしまえるその神経がわからん。「今も彼女とつきあってるのはどちらか」と聞いた以上、今問題なのは「つきあってるかつきあってないか」であってそこ以外は枝葉なのよ。

 

 

「醤油いる?」って言ったら「醤油いるorいらない」以外の答えを求めてはいない。そこで目玉焼きに醤油をかける是非についてとかそういうの聞いてないから。そんな講釈何十分も聞かされたくないしあまつさえ醤油をかけるなど言語道断塩こそ至高とかとかやりだして、朝の忙しい時間にわざわざ目玉焼き作ってやってこの後も出勤の準備が押し迫ってるのになぜ醤油派の私の嗜好を否定までされねばならんのか。

 

これでアスペ野郎の解釈が傾聴に値する素晴らしいものだったらまだ救いがあるんですよ。だけど「彼、彼女というのは一般的な三人称であるドヤァ」とか。中学校の文法レベルのこと言われても。

そもそも彼というのは本来は「誰そ彼」のような特定できないだれかのことで、特定の個人を表すようになったのは明治以降の英語の影響で、かつ「彼女」という言葉がでてきたのは昭和の庄司薫くらいからで、日本語における「彼女」はロマンティックラブイデオロギーの台頭によってできた「彼」に対する「彼女」であり英訳するならsheではなくgirlfrendなんですよ。そして「海」というのも、文学においては無意識であり無自覚な欲求の生まれる場所であり広大な世界の暗喩でありその人の本質であり感情を示す。だから「彼女」にとっての「海」がどのようなものであるかを語ることはガールフレンドの人となりを語ることとイコールになる。

いやここで、彼女が海でマグロ一本釣りする話が始まるかもしれないし、深海に潜るSFものかもしれないし、必ずしも「海」が無意識の暗喩であるとは限らないよ?限らないということは定型も十分わかってるよ?

 

 

 

というのが分からない、というのがアスペがウザい理由なんだなと。

 

 

定型がいきなり「彼と彼女がつきあってる」と言い出したときには、アスペが思うような解釈は一通り済ませた上で言ってんの。そこで「いや彼女は海が好きなだけで彼とつきあってるかどうかは関係ない」とかそいういう周回遅れのことをまるで俺様だけが発見した新解釈みたいに語りだすのほんと邪魔くさい。話が進まない。

 

みんなぼやかしてるけどASDは個性じゃないよ障害だよ。発達障害とか曖昧な言い方してるけど普通に知的障害だよ。定型にとって1+1くらい瞬時にわかる問題をめちゃくちゃ努力しなきゃわかんない知的障害。それで定型が割り算とか微積とかの話してるときに「俺は1+1が分かった!」とかって殴り込みに来るのやめてまじやめて。