ちょっとわかった気がする。
これ自我をどう定義するか問題なのでは。
何が俺に対する差別なのかエスパーして救ってくれなきゃ差別!
とかいう人類史上稀にみる理屈を展開してて、なかなか興味深いなと。
人種差別であれ女性差別であれ障害者差別であれとにかくだいたいの差別反対運動はだいたい同じ道筋を通る。どんな種類であれ弱者はまず生存権、それから自由権、職業選択の自由、政治参加の権利、みたいなのを順次要求していきた。でも弱者男性論はこの道筋を踏襲しない。どうやら弱者男性というやつは日常生活の中で殴られたり犯されたりそれを告発したらセカンドレイプされたりということは全然ないらしい。まじか。なら何も問題ないじゃん。なのに何を騒いでいるんだ。あと暗数になってるはずの男性被害者どこ行った。
そしたら「モテるためにカッコつけたり、就職するためにリクルートスーツ着たりするのは欺瞞であり悪」みたいな論調の人がいて、なんかそういう自意識で生きてるからこそ「何が差別かエスパーして救ってくれなきゃ差別」なんていう理屈が出てくるのかなとちょっと思った。人間とか生命に対する認識が私とかけ離れすぎている。
商品を売るセールスマンとして考えてみるとわかりやすいかも。
「女が下方婚しないのは女のワガママ女が意識をアップデートすべき」とか主張できてしまうというのは、「わが社の製品を買ってください買わないのはワガママ」とか言ってるのと同じでなぜそんな商品が買われると思った。自分が結婚したいから相手が変わるべきってもう徹底的に相手が不在。
私の周りにも結婚しなかったり上方婚を選ぶ高給女性がたくさんいる。彼女らは家事育児を担って家庭を支えてくれる主夫を必要としている。でも婚活市場で家事育児を担って家庭を支えてくれる男性に出会えない。私は婚活したことないから分からないけどとにかくもう専業主夫男性はSSR並みらしくて、そんな砂金探しみたいなことするくらいなら家事代行を頼んだほうが早いという結論になるらしい。
そもそも彼女らは最低限の家事はできるので男性ほど主フを切望していない。また、主夫を娶っても結局妊娠出産というデメリットは女性にのしかかり、また女性は男性より職を失いやすく高給の仕事に再就職できる可能性も低い。男性のように結婚して一人前という価値観もない。だから現状では専業主婦に比べて専業主夫の利用価値はかなり低い。
かつ、自分より収入の低い男性というのは地雷であることが多い。なんか知らんがすぐ拗ねる、怒鳴り散らす、暴力をふるう、女に収入で勝てないから力でねじ伏せようとしだす。最初は取り繕っていたのに何年も付き合った後「本当は高給取りな君といるのがつらかった」とか言い出して低収入女性と結婚するとか、高収入女性と結婚して主夫やってるのに低収入女性と不倫してたとか、やべぇ話がわりと耳に入ってくる。しかも家庭内暴力に対して警察も行政も及び腰で、ひとたびDVをされたら職もキャリアも全捨てして命がけで逃げ出さなければいけない。これは高キャリア女性ほど失うものが大きい。
現状では、男性にとって下方婚に大きなメリットがあるのに対して女性にとって下方婚はさほどメリットがなくむしろ生命を脅かす莫大なリスクを負う。だから女性は下方婚に及び腰になる。
という状態のところにですね、「下方婚しないのは女のワガママ」ですよ。ワガママ。これだけのリスクを負うのをワガママと。いや別にワガママと言う自由はあるかもですが、そしたらじゃあワガママ貫き通すね絶対下方婚しないね、と言い返す自由もあるわけでな。
「わが社の商品を買え、買うことによっておまえにメリットはほとんどなくデメリットは大いにありキャリアと安全を脅かすリスクもあるが、とにかくわが社の商品を買え買わないのはワガママ」とか、なぜそれが通用すると思った。
でもわりとこれ、セールスが下手なセールスマンがやらかすところだったりする。
「わが社の製品を買ってください理由は買ってもらえると私が儲かるからです!」という視点から脱出するのにはかなりの教育と努力と才覚がいる。相手の目線にたって相手にとってのメリットを増やしデメリットを減らすというのは言葉にすれば簡単だがいざ実行するとなると難易度がかなり高い。
「俺は何が差別なのか明言しないがお前は俺の考えをエスパーして俺を救え」「本気で考えれば何が差別か分かるはず」「人間扱いしろ」とか、いやがらせにしか見えないけどたぶんあれ本気で言ってるんだと思う。
そりゃフェミニストも「女性を人間扱いしろ」というけどね、それはさんざんケツを揉むな合意をとれ痴漢するな出世させろ選挙権よこせと100年近く具体例を挙げつづけてそれでもしらばっくれるやつらに向けていったのであってな、初手で「人間扱いしろ」とかふわふわしたこと言った弱者は歴史上いないのよ。てかそんな曖昧な要求してたら弱者は死んでたのよ。ふわふわした要求を当然のごとく出せるのが強者の強者たるゆえんで、具体例が出せないところが弱者男性が強者であることの証明になってしまってるの分からないかな。分からないんだろうな。
ケツを揉まれてどんなに悲しくてもみじめでも恐ろしくても、相手の男はニヤニヤ薄ら笑いを浮かべてる。私にとってこれほど尊厳を奪われる行為でも、加害者にとっては楽しい遊びにすぎない。そんな状況に常日頃直面していれば、「本気で考えれば何が差別か分かるはず」なんて寝言はとても言えない。だってやつらは本気で真摯に考えて私のケツを揉むことを楽しい遊びだと結論づけているわけで。私とやつらでは見えているものが全く違うわけで。
でも男性ってそういうタイプ理不尽にほとんど直面しないらしいね。
男性がぶつかる理不尽は、カースト下位者がカースト上位者にいじめられるというタイプのもので、カースト下位者もカーストの価値観を内面化している。女性は男性優位社会のカーストを強要されるところに苦悩があり、男性はカーストから逃げられないところに苦悩がある。
でもだったら、はよそのカーストから脱出しなされとしか言えないわけで。カースト内部にいる以上勝ってても負けてても自由じゃないわけで。でも脱出できる知能がないんだったら、ええぇぇこれどうしたらいいんだろ