雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

子供に判断させる教育の是非

以前、「子供のころウサギを飼いたいと言ったら親がウサギの飼い方を調べるように命じられ、ノート3冊分調べた結果ウサギを飼うのは無理という結論に至った」という子供の頃の思い出ツイートが上がっててもやったので書く。


動物の場合、賃貸だとか転勤族だとか維持費がエグいとか生餌が用意できないとかワシントン条約にひっかかるとか、なにをどうやっても絶対飼えない条件がある場合があって、そういう場合は理由を話して諦めさせる。
だから私ならたぶん、子供にウサギの飼い方を調べるように言った時点で私自身はウサギを飼う覚悟は決めてる。子供が世話を放棄しても私が死ぬまで面倒みる。でも子供の年齢や能力によってはその私の判断は言わずにまず子供主体で調べさせてまずは子供に判断させることはあるかもしれない。
たぶんその場合、自分で調べて考えて判断する能力がある子供は「やっぱウサギを飼うの無理」という結論になる可能性は高いと思う。生き物を飼うなんて真面目に調べ思慮く責任感が強いほど躊躇う。未経験ならなおさら。
あと玉子の実験はさせるかな。生き物を飼うというのは世話の手間よりもむしろ時間を細切れにされて人生全てを捧げさせられることの苦痛のが遥かに重大だと思うから。
でもそしたら子供はもう確実にこんな大変なの無理飼えないってなる。



で、そしたら医療と生命倫理について話し合うかな。
母さんはウサギを飼えると思うし仮に子が世話を放棄しても母さんが最後まで面倒みれると思ってる。しかし母さんにとってウサギの世話は適切な広さのケージを用意し毎日餌と水をやり排泄物を処理する事のみであり、病気になっても濃厚治療はしない。言わば健康で文化的な最低限度の生活を提供することにしか責任を負わない。負えない。
ただしこれはあくまで母さんの考えであり、あなたが世話するのも病院に連れてくのも止めないし金のことなら(ある程度は)心配すんな
て言う。

でもこれわりと勇気いるやつかもしれない。私の子育てはまさに最低限度の生活を保証することしかやってきてなくて、それの是非を子に問うてる形になるわけで、これでオカンの飼育方法は信頼ならんとか言われたらやっばちょっとへこむかも。己の心理ままならねぇ。



たぶん自分で調べて自分で判断しなさいというのは無理な注文で、知らないことなんかどんだけ調べても仮説しかたてられない。やってみなきゃわからなくてやってみないと成功か失敗かわからなくて、でも生き物に関しては失敗だからって捨てるわけに行かないからその場合成功のハードルを限りなく下げておく、具体的には最低限度の世話を目標にし可能な限り自動化システム化して手抜きできるようにして、あとあんま大っぴらには言わないにしてもどこまで無理なら見捨てるかその場合どうやって見捨てるのかまで考えて予め見捨て方を調べておく。

改めて書いてみたら、子を、てか部下を育成するのにはものすごい丁寧なステップが必要。それをスキップしていきなり調べて行動して責任取れというのはパワハラだなと思いました。