雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

統合失調症が幻聴幻覚を『私物化』する弊害について

ジャンププラスで掲載された漫画「ルックバック」に統合失調症を思わせる幻聴幻覚をもつ殺人犯が登場したため、これは統合失調症への差別を助長すると騒いだ人がいて、さらにそこに精神科医斎藤環氏も懸念を表明して、最終的に殺人犯の動機が妄想から無敵の人に変更された件について。




藤本タツキ先生の『ルックバック』作品内の表現を修正、主に凶行の犯人の言動が"無敵の人"となる
https://togetter.com/li/1753639
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要約としては、
ルックバックを統合失調症だから差別!と主張している人達はあの殺人描写を『安易な幻聴描写』『殺人犯のステレオタイプとして何も考えず描写したに違いない』『練り込まれた物語のなかでここだけ安易な表現』『理不尽な死なら殺人でなく天災でも事故でもよかったはず』
というふうに断定していて、それはあまりに幻聴や妄想への理解がなさすぎじゃないか、その解像度では誰も得しないのでは、という懸念があるという話です。




まず、斎藤環氏の記事について。
「意思疎通できない殺人鬼」はどこにいるのか?
https://note.com/tamakisaito/n/nbeac7a25626b
私意思疎通できない狂人に殺されかけたことがあるんですがそれは。
そら私を襲った犯人だって診察室で大人しくしてる時には話も通じたでしょうよ。シロクマもそうだけど精神科医って自分がどんだけ下駄を履かされてるか自覚すらせず務まるとかさすがお医者様のお仕事は違いますなぁうらやましどす
そして斎藤環氏は今回の修正を支持してるみたいだけど、統合失調症は殺人者にしちゃダメだけど無敵の人はいいんか?無敵の人は精神科の顧客じゃないから問題ないてことか?



なんかもう今回の件発端になった人からしてうさんくささ満載で、精神疾患患者のことなんかよりPVのが大事な人達が湧いてるわけなんだけど、でもそれとは別に精神疾患当事者の懸念はたしかにあると思う。ただでさえ偏見にさらされているのにさらにそれが加速するかもしれない心配はたしかに存在していて、その心配を表明する権利も意義もある。
で、そっから先、今後精神疾患はどう扱われるべきなのか、みたいなのを私なりに考えてみた。




まず、幻聴は誰のものか問題について。

今回のルックバックの殺人犯が統合失調症への差別を加速させるから配慮しろと主張している人達は、統合失調症だから殺人したんじゃない、幻聴と殺人は無関係、という建付けで批判している。

また、あの殺人犯は理不尽な死の象徴であり、そこに幻聴描写は蛇足であるという解釈をしている。
それはそれで1つの解釈として間違いではないんだろう。その場合、ルックバックは「成功した創作者の貴重な才能が理不尽な死によって奪われた話」となる。かなり薄っぺらい。良くも悪くも努力友情勝利。

でも、私のような何者にもなれなかった努力友情勝利だけではどうもならない現実に打ちのめされた中年ババアにとってあの幻聴犯人は主人公たちなんかよりよっぽど突き刺さる。たぶん何かしらの創作をしたことがある人なら分かると思う。

「絵画から自分を罵倒する声が聞こえた」

創作の闇をこれほど端的に表す言葉があるだろうか。痛い。痛すぎる。まじむり闇堕ちしそう


でも私みたいな雑魚だけでなく私からみたらキラキラ大成功してるように見える神絵師も「絵画から自分を罵倒する声が聞こえた」瞬間がたぶんあって、各自がそれに対峙して折り合いをつけて生きていく、たぶんルックバックはそういうパンドラの箱の底の希望の話で、だからあの犯人ですら救われた世界線が描写される。




幻聴だから統合失調症!差別!修正しろ!みたいな言説は我々が向き合ってきた葛藤を全て「ビョーキ」に回収するもので、たぶん今回の件とその他の差別との1番の違いはここなんだと思う。

葛藤を表現することを規制して葛藤を「ビョーキの症状」に押し込めてしまえば、幻聴幻覚症状へは通院投薬しか手立てがなくなる。じゃぁ「絵画から自分を罵倒する声が聞こえた」精神状態に片足を突っ込んだ私の問題は投薬で解決するのかって言ったら、投薬は一時しのぎにはなっても根本的解決にはなんら寄与しないわけで。投薬だけで問題に向き合わなかったら一生薬漬けコースもありうるわけで。投薬は必須かもしれないけど投薬だけで解決もしない。
発熱はインフルの症状とか腹痛は虫垂炎の症状とかと同じノリで幻聴は統合失調症の症状、と断定してしまうことで葛藤が語れなくなり、解決できなくなる。


だから「幻聴は統合失調症の症状(だから軽々しく描写するな)」という主張は、統合失調症でない者からすると「私の葛藤を無かったことにするな」という反発を生むし、「幻聴は統合失調症の症状例外は認めない」というのはじゃぁ薬漬けになるしかないねという結論になり当事者のディスエンパワーメントになる。誰も得してない。



今回のルックバック騒動は、幻聴と統合失調症をノータイムで強固に結びつける言説を肯定し、統合失調症当事者の寛解の妨げになる呪いになってしまわないか。



精神疾患が一生治らなくて座敷牢に閉じ込めて置くしかないスティグマだった時代、精神疾患患者は怠けてるだけやる気出せば治ると信じこまれていた時代には、幻聴も妄想もうつ状態もれっきとした病気です!症状は患者さんのせいではなく病気のせいです!!という主張が必要だった。例えそれで薬だけに頼って薬漬けになろうとも薬を飲まないより何万倍もいい。(実際私もその風潮のおかげて精神科にアクセスできたので感謝している)
でも令和の時代にその思想はデメリットのほうが大きくなりつつある。もう一歩進んだ戦略が必要ではないか。


いやでもまじで、幻聴とか妄想とかほんと普通に発生するから。そんなのなった事ないって人はかなり幸せな人生を送ってきたか病識無いかの2択。わけわかんないこと言って暴れてる人はカワイソウなキチガイなんかでなくたまたまストレスを抱えちゃっただけの普通の人だから。
現実で起きた悲しい事件の犯人も、病気だから閉じ込めろとか極悪人だから厳罰を与えろとかではなんも解決しない。犯人にはそうなるしかなかった事情があって、誰もが犯人になりうる。だからこそ誰もが救済される必要がある。
という方向に持っていった方が全方位得すると思う。