雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

生きものになれる展がおもしろくなかったので行かなければよかった

せっかく帰省してるからって行ったけど、案の定つまらなかった…

妙に高い入園料、キレイすぎる動画、見え隠れする電通プロモーション、スポンサーが講談社、などでまぁ予想はしていたけど、子供にはそんなオトナの事情なんて分からないのでこういったものがどれだけつまらないか実地で教えるのも大切なこと、かもしれない……

宣伝だけ仰々しいものは得てして中身はすかすかであるということを知らずに大人になってしまうと変な詐欺とかにつかまるかもしれないからね、子供にとってはよい勉強だったということで、うん。いや正直めっちゃ無駄な時間だったけど。

 

この企画の目玉が「水の上を走るトカゲになろう」なんだけどどういう仕組みなのかと思ったら、水の上にビニールがしいてあってその上を走るだけだった。それで何が学べると?バシリスクが水の上を走ることができる仕組みと、ぶよぶよしたビニールの上を走る際の力学は全然違うよね?何一つ疑問の解決に結びついてないよね?ジャングルを模した観葉植物もいかにもありものを並べただけ。ここどこのジャングルよ?なんでこの植物生えてるの?みたいな生物学的な考察は一切されていなくて愛を感じない。ディズニー映画の背景のほうがよっぽど考証してるわ、てレベル。

そして「ペンギンになって敵から逃げろ」は斜度10度くらいのぬるーい滑り台。しかも南極の厳しい生存競争について学ぶという建前なのに、自分からサメの口に飛び込むというわけのわからないデザイン。ペンギン自殺してんじゃん。現生するペンギンが絶滅した巨大サメの口に飛び込むのを模してるとか何から何まで意味が分からない。ペンギンだったらもっとさぁ、南極のえげつない生態系とか環境破壊とか進化とか、いろいろエピソードあったよね?

「ダンゴムシになって丸まろう」てほんとにただ丸まるだけ。しかも作りが雑だからそんなに丸まれない。何がしたかったんだ。土の中の生態系はまだ未知の部分も多かったり観察方法もいろいろ工夫されててロマンあふれる部分だというのにそういうの全部どうでもよくて、ダンゴムシスーツを着れればそれで満足なのか。

巨大な図鑑っていうのも、別になぁ。なんかでかい声をだしてみようとかそんなんだった。巨大っていうからにはもっと生物の巨大さを実感できるようななんかとか、 あんなでかい液晶やらセンサーやら使う予算があるならいろいろやりようはあったじゃん。なんかもう全体的に学問や生物に対する愛を感じない。

 

その他全体的に、それっぽいコスプレをした子供の写真をとってSNSに上げたい親のためのイベントでしかなかった。何かを伝えようとか学んでほしいとかそういうの一切無し。だったら家で写真とってフォトショで加工してればいいじゃん。

 

 

 

全ての努力は無駄であり根絶すべきだと思ってる

努力するとか正しくあろうとするとか、そういうのを必要とするという時点で既に負けが確定してるんでやるべきことはその場で努力することではなくて、努力を強要する場をいかに消滅させるかに全力を尽くすことだと思うんだけど、そう思わない人は結構いるんだなぁ、ていう。

 

b.hatena.ne.jp

こんな記事を読んだんだけど、「がんばってなくてずるい」と思っちゃう時点で負けてるよね!やるべきことはずるい他人を断罪することでも、ずるいという感情を抑圧することではなくてなぜ己はずるいと感じてしまうのかを突き詰めることだよね。

「学校にはいっぱい決まりがあるけど、強い決まりと弱い決まりがあるよ」という説明をします。

「強い決まりは、守らないと誰かが傷つく決まり。弱い決まりは誰かが傷つくわけじゃないけど、守れたら素敵な人になれる決まり。姿勢とか、食べ方とか、手いたずらしないとか。がんばって守ったら自分が素敵な人になれるし、まわりの人も一緒にいてもっと嬉しくなる。」

 んーと、その場合の『素敵な人』っていうのは『管理者の都合の良いように使いつぶされる素敵な奴隷』でしかない、というメタ視点が元記事には全く欠けていて気持ち悪かった。

まぁ、理不尽な決まりを黙って守ってくれる大人しい良い子がいっぱいいたほうが教師としては便利だろうからね。そういう心理の延長でベルマークやプルタブ集めが横行しているんだろう。ほんと気持ち悪い。

 

強い決まりと弱い決まりがある、という説明自体はよいものだと思うんだ。ただ、決まりの根拠として「素敵な人になるため」というのに危険な香りがする。

素敵な人って何?姿勢が悪くて食べ方が汚いなんてサイコーにクールでロックで素敵、という価値観だってあるわけで。自分がどのような集団に属して何を成し遂げたいのかから、自分にとっての素敵を逆算する作業をしないで漫然と「素敵」を目指すと管理者にいいように利用されるだけの人間が出来上がってしまう。

 

 

あいつはザボってるからずるい、と思うんなら自分もサボればいいじゃん。自分が我慢してるから他人がラクするのが許せないんだから、サボって自滅する他人なんか構ってるヒマがあったら自分をとりまく環境を整備することに全力をそそいだほうがいい。

小学校のクラス運営のために自分の人生をすりつぶすとか無駄の極み。

宿題なんかやらなくていいし授業なんか聞かなくていいし学校なんか行かなくたって別にいいじゃん。自分がどのようになりたいか、どのような人と関わりたいか、から逆算して自分が守るべきルールを適宜検討していくのが人生。

 

実際に子供が小学校に行って思うんだけど、学校ってほんとにシステムに従うことしか教えない。システム自体に疑問を持つとか、どのシステムに属するか選択するとか、そういうの全く教えずに社畜を育成している。社畜になりたい人にとっては居心地がいいのかもしれないけどそうでない人は意識して自衛しなければいけないなと思いました。

身体表現性障害あるいはヒステリー症状で足首が動かない体験

解離性同一性障害だの統合失調症だの摂食障害だの発達障害だのこれまでいろいろ言われてきたけどしっくりきたものがない。私がその病名を名乗るのはほんとにその病名に当てはまる人に対する偏見を強めてしまうのではないかという危惧もあったりする。

 

そんな中、これだけは自信を持って言えるぞというのが身体表現性障害です。

医学と人体をガン無視した理不尽すぎる症状の数々は、ほんともうちょっとまじわけわかんない。

 

とりあえず私の場合、足首が動かなくなる。よくわかんないけどとにかく動かない。

足首というのは単体で動かす筋肉や神経はついていなくて、足首を動かすと必ず膝とか足の指とかも動くようにできている。つまり足首が動かない場合は膝や足の指にも何らかの障害が出ていないといけないんだけどそういうのは一切無いという、人類の構造をナメくさったなんちゃって麻痺になる。なんなのその麻痺(笑)みたいなノリのやつは。当然神経系や靭帯などの損傷も一切ない。なのに足首だけが動かない。

 

なんなの!ほんと意味わかんなすぎて超腹立つんだけど!

 

そして、この麻痺(仮)は関節位置覚の消失なのではないかという仮説を得ました。

毎回狙ったように超忙しいときになる(というか、忙しいからこそ症状が出るというのが正しい)ので適当にテーピングで固定して放置してたんだけど、この間ちょっとしっかり麻痺()に向き合ってみたところ、筋肉や関節や神経系には憎たらしいほど問題なかった。あと触覚にも問題なかった。

でも関節の位置感覚がなくなっていて、今自分の足首がどれくらい曲がっているかが感覚的に分からない状態になってた。目で足の位置を確認すれば分かるんだけど目をつぶって足首を曲げられてもどれくらい曲がったか分からない。あとたぶん痛覚もわりといかれてるっぽくて靭帯や関節が無理な方向に動かされて怪我しても自分では気づかない。

だから筋肉が麻痺したのではなくて、自分の足が今どうなってるかのフィードバックが無いからどれくらい力を入れればいいのかが分からないという状態っぽい。

 

まぁそれでもなんで足首の関節位置覚のみが消失するのかは分からないんでむかつき度は変わらないわけだけども!

 

でも少なくとも対処法として関節位置覚を補正するために足首を弾性包帯かなんかでぐるぐる巻きにすればいいんじゃないかなとかいろいろ対策を立てれるような気がするので今度やってみよう。

 

あと、身体表現性障害は関節位置感覚の消失から生じる動的フィードバック不足による麻痺様症状である、という仮説を立ててみると、突然視力が低下する身体表現性障害も生理的目震やサッガード現象が減少して視線が固定されてしまうから、という仮説が成り立つなと思いました。眼球も視覚野も正常でちゃんと見えてるんだけど一点のみからの視覚情報だから情報が少なすぎて見えない現象。

たぶん自覚してる人はあんまりいないだろうけど、リアルタイムのフィードバックが無いというのは感覚にとって致命的だ。GPS機能が使えないナビみたいなことになる。

たとえば眼筋が麻痺して眼球が動かなくなると眼球や視神経に一切問題が無くても視力がゼロになってしまう。

 

そう思ってみるとけっこう思い当たる節がある…

 

なので現段階での私の身体表現性障害の原因仮説としては

  1. 生来の運動機能障害
  2. 無自覚な長期圧迫による末梢神経麻痺
  3. 関節位置覚の消失

の3つっぽい。

んーと、そう考えてみると、末梢神経を圧迫して一番最初に障害されるのが関節位置覚だと整合性とれるなぁ。たしか麻痺の程度は神経の太さに影響されたはず…深部感覚って何神経だっけ……

あのあたりの分野は魑魅魍魎と利権が跋扈しててめんどくさいんで気力があるときに調べてみようと思いました。

 

セクハラmetooは支援するのにレイプ告発はセカンドレイプする地獄感

セクハラ被害をMeTooしたはあちゅうさんは「お前の活動は嫌いだが」という前置きをつけてもなお「お前の告発は支持する」と言われたよね。お前は最低だからお前なんかセクハラ被害にあって当然、という人はほとんどいなかった。

はあちゅうさんは、どんな行いをしている人であっても被害にあったら被害者なのだから、被害者である点においては擁護され権利回復されるべきであるという理性的な扱いをされた。

 

でさ、グラビアアイドルをしていたらセクハラやレイプ被害にあったとMeTooした石川優実さんは?山口準強姦罪の被害者の詩織さんは?OB訪問したらセックス強要された増田は?

note.mu

news.yahoo.co.jp

anond.hatelabo.jp

 

なんでそういう人に「おまえがセックスを売ったのだからレイプされて当然」て言えんの?

彼女らは別に悪いことしてないよね?童貞いじったりもしてないし、謝罪文を撤回したりもしてないし、そもそも謝罪文を出さなければいけないようなことをしてない。なのに「おまえが誘ったから悪いんだろ」てどうしてそういうこと言えんの。はあちゅう氏に「被害者と加害者は両立する」とか言えるんだったら「被害者の落ち度が仮にあったとしても加害者を肯定する理由にはならない」ってなんで言えないの頭の中どうなってんの。

 

 

多分、上司と食事に行くとか、男の前で酒を飲むとか、仕事を断らないとか、そういった、普通にだれでもやるだろその程度、みたいな行動を女が行ったというだけで「セックスOK!」というサインだと思ってしまうからこそ「誘ったお前が悪い」という言葉が出てくるのではないかと想像したのだけど、違うかな、どうかな。

 

あまりに分かってない人が多すぎてどうすればいいかわかんないんだけど、とりあえず前提として、体育会系男性がやってセックスの誘いにならない行動は女性がやってもセックスの誘いじゃないんだよ。

 

体育会系男性が上司と酒を飲んでも仕事を断らなくても、セックスの誘いだとは思わないでしょ?あんた松岡修造と酒飲んだら修造とセックスするの?ボブサップがオファーを受けたらボブとセックスするの?しないよね?良識的な大人ならしないよね??

だったら女性が酒を飲んでも仕事しててもセックス関係ない。

 

なんだかもう、女=セックス、みたいなのやめてよほんと。

なんで女ってだけで普通に仕事したり友達と遊んだりするだけでセックスに合意したことになんなきゃいけないの。下半身に脳がついてるオヤジは全員滅びてほしい。

 

 

はあちゅう氏は間違ったこと、ではなくて、間違いを認められない広告業界体質が問題。

はあちゅう氏がセクハラを告発した問題のおおまかなまとめ

  1. はあちゅう氏、電通時代の元上司の岸氏のセクハラをbuzzufeed上で告発
  2. 岸氏、謝罪してアカウントを閉じ以降無言を貫く
  3. はあちゅう氏、自身の過去の童貞に関する発言を批判される
  4. はあちゅう氏、童貞いじりは善意だからよいと主張
  5. よっぴー氏、はあちゅう氏を擁護
  6. はあちゅう氏、童貞に関する発言を謝罪
  7. はあちゅう氏、他人の個人メッセージを入手して改ざんして公開??(よくわからん)

てことでいいですか…?

なんだか内輪モメすぎてよくわからないんだけども、はあちゅうとかよっぴーとか誰よ。

 

この件に関しては先人たちがきれいにまとめていてくれる

tyoshiki.hatenadiary.com

kyoumoe.hatenablog.com

 

だけど、どうもこの話、はあちゅう氏やよっぴー氏といった広告業界の人と一般の人の感性がずれすぎてるのでかみ合ってないような気がする。

 

 

まず、よっぴー氏をはじめ、あちゅう氏を擁護している人はこの問題をセカンドレイプ問題だと思ってるっぽい??

たしかに、はあちゅう氏は被害者なのだから完全な被害者でなければいけないみたいな叩き方をしてる人もいるのかもしれない。

でもセカンドレイプしたい人は「キレイな顔してるから狙われて当然」とか「枕でのしあがったんだろ」とか言うんじゃない?せめて「過去に一度でもモラルのない発言をした人は他人を告発する権利は無い」と言うんじゃない?そういう発言は許しちゃいけないよね。もしはあちゅう氏がそういうことを言われているなら

一番先頭を走ってた彼女に矢が刺さってハリネズミみたいな姿になっているのを見て、誰が後に続くんだって思うわけです。

  ヨッピーのブログ

は正しいと思う。

そしてはあちゅう氏やよっぴー氏やブコメを見る限りそういう風に捕らえてる人は多いっぽい。

 

 

 

はあちゅう氏が批判されているのは「モラルのない発言をしたことを告発されたら否定したこと」でしょう。うっかりモラルのない発言をしたこと、ではなくて、やらかしたことを間違いだったと認めないことが問題。

山口準強姦罪事件の伊織氏に「シャツの第一ボタンをあけてるセクシーな格好をしてるから美人局」だの「男の前で泥酔するのは合意と同じ」とか言ってるクズと、今回はあちゅう氏の自己弁護発言に対して問題提起してる人は全く違うことを言ってる。

被害者であれば過去の加害を全てチャラにできる、というなら今回告発された岸氏だって「俺だってさらに上の上司にもっとすごいセクハラを受けてるから被害者」とか言い出したら無罪になるんですがそれでいいんですか?

ブコメでも「被害者は過去の発言全てが批判にさらされ謝罪を要求されるなら、今後告発する被害者は減る。よってはあちゅう氏を叩いてはいけない」とか言ってる人がいたけど、今回の話でそれを適応するなら、セクハラ告発すれば過去の万引きはチャラになるみたいなことになるよ。セクハラ野郎を捕まえるのと並行して、万引きは万引きでちゃんとごめんなさいもうしませんしないと。

 

 

うーんと、たぶん、よっぴー氏やはあちゅう氏は、他人の人間関係を他人がどうこう言うという行為を、なんかものすごく軽く考えているんだと思うんだ。シャツの第一ボタンをはずしていたとか、キレイな格好してたとか、そういうレベルで公共の福祉に抵触しない個人の自由だと思ってるっぽい。

「本人が堂々と公言している童貞(中略)をコミュニケーションネタとしていじることや下ネタとセクハラは違うと思うんですけどねー。明るく楽しく笑えるものが自粛になるのは嫌だな」

はあちゅう氏のツイートより

「(童貞という言葉を)差別意識なく使っていましたが ツイッターでご指摘を受けたように 童貞=社会的弱者という言葉のニュアンスがあること、また、そのように受け止めてしまう人が多いことに対しての意識がありませんでした」

はあちゅう氏の謝罪文より

 不特定多数に向けて人間関係パターンを指摘することが『明るく楽しく笑えること』とな。電通マンの常識こわい。

ただ、はあちゅう氏のやらかしてきたことが『明るく楽しく笑えること』だと本気で信じていたのなら、「このタイミングでそんなどうでもいいことで叩かんでもいいやろ」「被害者は潔白でなければという重圧がかかる」という批判も納得はできる。

いや知らんかったんならしょうがないよ。ミスは誰にでもある。でも今回のことで、他人の人間関係を揶揄してはいけないということを理解したでしょ?だったら今後は気をつけようね、でいいんだけど、なんか一文ひかっかかるところがある。

 

表現の自由や感受性・価値観の違いとは
受け止められない方がいることに気づかされました。

はあちゅう氏の謝罪文より

 いやね、なんで上からめせんなん。

これさ、『童貞いじりは愛であり表現の自由で私は悪くないけど、その自由を認められない人がいるから謝罪してやる』みたいな意味じゃない?違う?

童貞いじりは公共の福祉に反してるから自由として認められないという部分はちゃんと理解した?

はあちゅう氏やよっぴー氏が今回の件を理解しているかどうかは今後の彼らの活動によって判断されるのだろうけど、彼らのこれまでやらかしてきた経緯を鑑みるに、どうせ理解してないんだろうなと思ってしまうのは私だけだろうか。

 

 そして岸氏、はあちゅう氏、よっぴー氏、その他いろいろ、ここまでかたくなでわけのわからない主張をする人間を醸成する広告業界まじキチ。

はあちゅう氏がマトモなことを言ってたら単に岸氏を叩いて終わりになりそうだったのを、岸氏を削除すれば終わりではなくて何が岸氏やはあちゅう氏他をそこまで追い詰めたかを考えなければいけない、というわりと理想的な流れになったのすごくね。セカンドレイプ大国ジャップランドにしちゃ相当画期的。

 

つまりこの国で理論的な話をするためには日ごろから炎上商法で他人をdisりまくってればいいんだな。毒をもって毒を制すみたいなそんなノリなんだろうか。

なんで現代日本の医療が嫌いなのかやっとわかった

昨日記事を書いててやっと長年の疑問が解けた。やっぱ文章化するって大事。

 

昨日うわぁぁぁ、って言いながら書いた記事

 

 

hedgehogx.hatenablog.com

 

 

なんで私が現代日本の医療をこれだけ毛嫌いするのかというと、患者は全て医学的に有益なことを強要され選択肢が無いから。そんなの旧帝国時代より自由無いじゃん。農奴のほうがよっぽど自由を謳歌してる。

 

我々医療従事者は「患者が」同意しない医療行為を行うことは基本的にはできません。

うそつくんじゃねぇよバーカ!

てところ。

 

たとえば、ガンになって放射線治療するから無菌室から出られません、てことになったとして、放射線治療の途中で「やっぱ治療飽きたから止める、今無菌室から出たら死ぬの分かってるけど出る」と言ったとしても、絶っっっ対!!にやらせてもらえない。私が死のうと生きようとお前に利害関係ないでしょなんでそんなにやっきになるの、もしかしておまえは私の隠し子で遺産でも狙ってんのか、それとも私は実は世界の中心「座標0」だから私が死んだら世界が崩壊するんだろうか、というくらい絶っっっっっっ対!!!!に許してもらえない。

病院の中でかなえられる希望は医療者の気に入るものだけ。かわいそうランキング上位に食い込まなければ食事すら満足に与えられない。

一度患者というレッテルを貼られて医療の保護下に入ると、なんかもう生活全てにおいて医療様と福祉様の考える正しさをゴリ押しされてそれを受け入れないとキチガイ扱いされる。もういっそ患者の脳みそに電極刺して医療様と直接接続すれば?

 

これを飲食店にたとえるなら、居酒屋に言ってとりあえずビールって言ったら「そんな体に悪いものは認められない、栄養学的に正しい食事しか出さない」といわれてクソまずい病院食が出てくる、みたいな。

日本中一軒残らず全ての飲食店で病院食が出てくる。自炊して自分で好きなご飯を作るのは医師法で禁止されてる。みたいな。

死にたくなるよね。むしろ積極的に死んでいいよねそんな世界。なのに死ぬ自由は完全に奪われて口に病院食を詰め込まれ続ける。

 

なんなの私人間のはずだけど?いつのまにか転生してフォアグラ用のカモになってたのかな??

 

というディストピアまっただなかで我々は生きているわけだけど、これを絶望だと思わない人種というのが一定数いらっしゃってそういう人が医療福祉という蟲毒の壷の中我々を食い散らして生き残る。

電通で生き残れるのがセクハラモラハラ野郎だけなら、医療福祉で生き残れるのは自分の行いの残酷さを理解できない知能障害者だけ。

て、書くとなんかすごいな。でもほんと、自分の認識と他者の認識との差異が知覚できないレベルの知能の人しか医療福祉分野で生き残れなくて、頭がいい人から脱落していってみててつらい。いや私が一番真っ先に脱落したんで人のこと言えないんだけど。

 

 

 

終末期医療の現状について「うわぁぁぁ」ってなる人に向けた文章

まず前提として、ちきりん氏の書いている終末期医療についての記事は全く取材していないPV稼ぎのためだけの質の低い記事で、そんな間違った情報を情報発信者として力を持つちきりん氏が書くというのはほんとによくない、というのはほんとだと私も思っている。そしてそれに対する反論を専門家が書くというのも頭の下がる試みだと思う。そして基本的にAprildiamond氏の書いた『ちきりん氏の「終末期医療について考えよう!」によせて』の記事に書いてあることは妥当で穏当で臨床で起こっていることをできるかぎり正確に伝えていると思う。

note.mu

というわけで、『ちきりん氏の「終末期医療について考えよう!」によせて』の記事を読んでなるほどなぁ勉強になったなぁと思える人はここで私なんかの駄記事を読むのを終わりにしましょう。

ここから下は、現在の医療に関して「うわぁぁぁ」となる感性の人に向けて書きます。「うわぁぁぁ」とならない人には絶対理解できない内容なのでお互いの幸せのためにそっ閉じしてください。

 

 

 

 

で、本題。

「我々はベストを尽くしている、患者は人格を尊重され患者の自己決定も常に尊重されている、よって何も問題は無い」て主張する医療者はいっぱいいて、それで納得する人もいっぱいいて、それはそれで別にいいんだけど、それは象牙の塔の中だけのマイルールでしかない。マイルールに共感できない感性のサイレントマジョリティは現在進行形で彼らに絶望させられている。

今回はそんな、良識と善意あふれる医療現場が地獄への道にしか見えないタイプの感性の人に向けて書きます。

 

 

ちきりん氏の言ってること、わりと正しくね?

いやモルヒネ云々とかあきらかに現場知らねーなっていうふわっとした文章だけど素人だからこそ案外正確に現状を捕らえてるんじゃね?

なんか、医学用語における「自己決定権」だの「患者様の権利」だの「クオリティオブライフ」だの、意味が軽るすぎんだよ。医者の言う「患者の意思を尊重した」は患者目線だと「医者からいい加減な説明されて拒否権もなく決定された」と同義になってる。

 

 

だって私、Aprildiamond氏のお書きになっているような臨床を見たことないもの。

 

 

一旦始めた治療であっても医学的に無益・害と判断される場合治療の中止は可能です。

 「医学的に無益・害」と日常の素朴な感性における「もうばあちゃん十分生きたから見送ってやって」の間にはものすごいギャップがあって、十分生きたばあちゃんの最後が苦しいものになって本人も殺してくれって言ってるのに「医学的には有益だから」という理由で生かされてる人がいっぱい病棟にいる気がするんだけど。

まずそもそも「患者に対する治療は医学的に有益か否かによって決定される」というのがもう吐き気がするほど傲慢だということに気づいていないメンタリティが恐ろしい。なんで私が私のことを決めるのに医学様にごちゃごちゃ言われなきゃいけないの。彼らは患者に人民の権利を放棄させていることを絶対に認めないよね。

 

医療従事者が行う医療行為は全て(家族というよりも)患者の同意が必要です。

我々医療従事者は「患者が」同意しない医療行為を行うことは基本的にはできません。

 で、でたーー同意。

同意してないめっちゃしてない。特に年寄りと精神障害者の同意は認知症統合失調症とせん妄で片付けられてる。医者の問診を録音してテープ起こしすると、こいつら頭おかしいだろ認知症はお前だろというレベルで患者の話聞いてないしカルテに反映してない。

 

「家族の希望に従う」は誤りでして、まずは「本人の意志を推定する」ことになります。それが不可能な場合は「患者にとって何が最善であるか」を家族と十分に話し合うことになります

もしやとは思いますがその患者はあなたの想像上にしか存在しないのではないでしょうか?それかあなたは先進国ニッポナントカにお住まいなのでは。私は中世ジャップランド在住なので、「本人より金の出所である家族の希望を最優先する、それを受け入れられないならこの仕事はできない」て明言されましたけど。同意無しでマットコール設置とか、同意無しで胃ろうとか、同意無しで手術とか、ほんとあたりまえに毎日あるけど。患者なんて医者と家族のオモチャだけど。

病院や施設に行くと、死にかけなのに死ねないゾンビみたいになったじいさんばあさんにがしっと手を掴まれて殺してくれって叫ばれるとか超日常茶飯事なんですけど。そんでカルテ見ると認知症とか統合失調症とか書かれてるのね。医療スタッフにとって都合の悪い言葉は全てビョーキのせいにしてなかったことにしている。

 

でも私にとってどんなに地獄に見えても医療スタッフは「何も問題ない」としか言わないから、私の頭がおかしくて殺してくれって叫び続けて顎が外れたじいさんとかすぐ死のうとするからベットに縛り付けられてるばあさんとか、私の妄想の中にしかおらんかったんや!とずっと20年くらい思ってた。すげぇリアルな幻聴幻覚だけどでもこれ現実だったら大問題だもんね、だれも問題にしてないってことはやっぱ私の妄想だよかったー。て。

でもパキシルでもリスパダールでも妄想は消えなくて、そのうち「実は私も医療は地獄だと思ってた」とか共感する人が出てきたりして、え、もしかして私の頭がおかしいんじゃなくて現実がおかしいのか?と思い始めた。なにそれどんなホラーより怖いんだけど。

だけど相変わらずほとんどの医療従事者は「何も問題ない」と主張しながら地獄を繰り広げていて、もし私の知覚が全部現実だとしたらこの世は(てか日本の医療は)どれほどの不幸を生み出してきたのだろうと人類の原罪的なものの重さに耐えかねている。