雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

幸せな老衰のためには超絶金と手間がかかるということ

 

現代日本で穏やかな最後を迎えることは無理ゲーです。いや大富豪だったらいけるかもしんないけど。普通の経済力だったら無理。

だって病人の世話するのってすげぇ手間かかるもん。

クリストファー・リーヴっていう脊髄損傷になった映画俳優がいるんだけど、その人の介護者は常時5人くらいいて専任スタッフ何十人だったかがチームを組んでたらしい。理想的な介護ってのはそれくらいの人員がいる。

私も海外の超金持ち病院とかいろいろ見てきたけど、患者一人につき5人くらい専任介護者がいるとちょうどいいかんじだった。日本でこれをやるなら若者は一人残らず全員介護士にならなきゃ足りないね。年寄りの幸せな生活のために国が滅亡するね。

まあ具体的な数字は置いておくにしても少なくとも、患者何十人に対してスタッフ一人とかやってる現状で介護が必要な高齢者が『あたりまえの生活』なんてできないのは一目瞭然だよねっていう。

 

子孫に囲まれて畳の上で穏やかに死ぬ、というプリミティブな方々がイメージされている幸せな死に方、というのは現代日本で実現しようとするとめっちゃくっちゃ金がかかるってのほんとに分かってるかなぁ。

 

なんか、介護福祉を充実させよって言ってる人たちの多くが「だれもがあたりまえの生活水準を享受する権利がある、だってそれが『あたりまえ』だから。」というところで思考停止してしまって『あたりまえ』を実現するためにどれほどの人員と予算を必要としているのかを全く考えてないのがげんなりする。

 

『あたりまえ』の生き方をして、『あたりまえ』の死に方をしたいんだったら引き際をきちんと見据える必要がある。さっさと死ぬ踏ん切りがつかなくてずるずる長生きする(あるいは長生きさせる)ならそれなりの冷遇を受け入れざるをえない。

 

 

ていうか、まずこの国では簡単に死ねない。

昔はちょっと転んだとか風邪引いたとか虫歯になったとかその程度で抵抗力が弱った年寄りってのはころっと死んでたわけですよ。ほっときゃ勝手に死んでくれるからこそ「おじいちゃん死なないで」って泣くこともできたし「最後の時間を有意義に過ごそう」みたいな余裕も出てくるわけで。

年寄りが餅を喉に詰まらせたら救急車呼んじゃうでしょ。急に倒れたら病院行っちゃうでしょ。肺炎になったら抗生物質ぶち込むでしょ。せっかく穏やかに死ねるチャンスを全部摘み取ってめちゃくちゃ手間のかかる老人を量産して家族も福祉も極限まで疲弊してやっとこさ死ねるわけ。そりゃぁ孤独で苦しい最後になるわ。

 

もうさ、年寄り長生きさせるのやめよ?てか、やめたげてよもう。

家族のふわっとした希望で無理やり生かしといて、やれ寝たきりになったとか骨折したとか言って文句言うの誰も得してなくね?もういいから静かに見送ってあげようよ。なんで死なんていう太古の昔から繰り返されている超絶ありふれた現象を受け入れることができないのかほんと不思議。いいじゃん死ぬくらい。どうせみんな死ぬんだし。寿命きたらさっさと死のうよ。

 

トランスジェンダーをLGBTに含めることに対する違和感

この間会ったトランスの人が初めて会うタイプの人でいろんな意味で面食らった。

これまで私の知ってるトランスジェンダーの人って、多かれ少なかれ性別やジェンダー規範の存在そのものに疑問を持ってる人たちで、「男はいやだ、だからといって女になったから問題が解決するわけではない」というのが大前提だった。

でにこの間会った人ってのが昔の金八先生のドラマに出てくるみたいな世間一般で流通しているトランスジェンダーで、そりゃもうテレビに出てくるオカマのお笑い芸人くらいコテコテなステレオタイプだったのでほんとにそんな人いるんだ、そして世の中ではそういう人のが一般的と言われてるんだってのがちょっとびっくりした。

 

 

トランスジェンダーっていってもいろんな人がいるから一括りにはできないんだけど、とりあえず「身体的な性とは逆の性になりたい、なれさえすればハッピー」てタイプのトランスジェンダーセクシャルマイノリティとして扱うことに対するすごい違和感があった。だってそれって身体同一性障害の一形態で、セクシャル関係ないじゃん。足が欠損した人が義足をつけて歩けるようになりましたとかそういう類じゃん。

 

男は男らしく、女は女らしく、という規範そのものを脅かすホモセクシャル(ていうかパンセクシャルとかアジェンダーとか)はマジョリティにとって都合が悪くて、だからこそ我々は生きずらいしめちゃくちゃいろんなことを考えなければいけなくなってる。「君は男が好きなんだね、じゃあ君が女になればいい!」とか言われると殺意が涌くじゃん。

 

でも、「身体的な性とは逆の性になりたい、なれさえすればハッピー」というタイプのトランスジェンダーというのは、ジェンダー規範自体には逆らっていない。むしろ彼らのセクシャリティは男は男らしく女は女らしくという旧来的な社会構造を支持している。

 

 

 

今回私が話したトランスの人ってのが、身体的な性別と精神的な性別が一致していないという点を除けばすごーーーーく普通の『女性』で、女性らしい服装や女性らしい言動や女性らしい振る舞い全てに疑問を感じてなくて、ほんともうミスコンで優勝するようなタイプの完璧な女性で、そういう人をセクシャルマイノリティの一員とみなすことは当人にとっても周りにとっても不幸なことな気がした。

そういう人にとって必要なのは、ジェンダー構造に疑問を持ってしまうセクシャルマイノリティとのつながりではなくて、己に課せられたジェンダージェンダー規範に則る社会構造に疑問を持たず確固たる社会構造の歯車として生きていけるシスジェンダーとのつながりではないかと。

 

つまり、彼女はジェンダー社会学も無縁のところでかわいい女の子としてなーんも考えずにのほほんと生きていきたいらしいのですよ。なんかもう発想がすごくノンケ。だったら変にマイノリティとコミットせずにマジョリティとして扱うべきじゃないでしょうかね。

 

 

とか思っててそうなってくると私の頭の中では、セクシャルマイノリティというのは『我々をとりまく構造そのものに疑問を持ち、より多用性のある構造を目指して自身と周囲に働きかける人』という定義になってることを発見した。それもう哲学者とか社会運動家とかそういうやつじゃね、セクシャリティ関係なくね。でもまぁ私の中ではそう定義されてるので少なくとも私の中ではそれが正義になってる。

逆に同性が好きだろうが異性が好きだろうが「男は男らしく、女は女らしく、日本国民は日本国民らしく、自民党に投票して長いものには巻かれろ」という人生観を持ってるなら、少なくとも私の感覚としてはそれをマイノリティとは認めがたい。だってそれめっちゃくちゃマジョリティじゃん。

 

てことで、オラオラ系のBL攻め様とか王子様系のGL攻め様とかはあれ私の中ではBLでもGLでもなくてノンケものに分類されてる。ていうかむしろ攻めとか受けとかって男女の恋愛テンプレに当てはめようとする発想そのものがもうむしろBLじゃねーよ、とか思ってるのでオメガバース物とか大嫌い。

あなたの支持する自民党は『あなたの愛した』自民党なのか

 

 

精神障害者は警察と自治体で監視しろとか、国民主権を奪えとか、最近の政治はすごく気持ち悪い。

 

なにが一番気持ち悪いかって、自民党支持者が自分の支持している党が何をやっているのか知らないことが一番気持ち悪い。民主が駄目だったとか言ってるし私も民主党政権はかなり微妙だったとは思うけど、でも共謀罪や盗聴法強化して教育勅語復活させて緊急事態条項を成立させようとしてる自民党はいいわけ?

自民党改憲草案の中身、ほんとに知ってて支持してる?

九条だけじゃないよ、ていうか九条なんてどうでよくなるくらいヤバいことが一杯書いてあるの知ってる?自民党は結婚も就職も政治活動も自由にできなくしようとしてるんだよ。今の日本って「臣民は国民主権という傲慢な考えをただちに捨てるべき」とか発言してる人が政治家やってんだよ。たのむからちゃんと調べて自分の頭で考えて判断してよ。判断できないんだったらせめて政治に口出すのやめなよ。

 

ていうかむしろアベノミクスって効果あった?あいかわらず相変わらず派遣もニートも溢れかえってるけど、これ別に民主政権のときだって大して変わんなかったよね。

田中角栄だってロッキード事件の責任をとったというのに、森友学園で明らかな不祥事があったのに誰も責任を取らない、それくらい不正がまかり通ってしまっている自民党でほんとうにいいわけ?

 

いやそれでいいってんなら別にいいけどさ。別に私はほんとにヤバくなったら海外に高飛びすればいいだけだし。

 

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夫に自主的に家事をさせるとても簡単()な方法

追記。

なんなんなんでこんな伸びてんのこのブログ…みんな珍獣狂人好きだね……

ちな、娘はもう小学校低学年だったので自分の居住スペースのみ掃除して勝手に料理して自分の分だけ洗濯して普通に自活していました。ご安心ください。

追記ここまで。

 

 

 

これまで何をどうやっても絶対に自主的に家事をやらなかった夫が進んで家事を片付けるようになる方法を編み出した。

朝起きたらきれいになっている食器、帰宅したらできあがっているご飯、ゴミの日にはなくなっているゴミ。最高。人生セラヴィ。ほんと人生イージーモードなんだけどなにこれ。

 

 

夫、っていうか厳密には夫じゃないけどまぁ夫的なポジションの人が家事をしない。やってもお手伝いレベル。どんなに理性的に手順を示しても簡略化しても、感情的に怒ったり離婚をちらつかせても泣いて土下座はするけど家事はしない。疲れきって深夜に帰宅して汚れたシンクの前で「おかえりー、晩御飯作って?」って言われたときの絶望感半端無い。

夫は別に悪い人ではないのだけど、年嵩の姉と専業主婦の母親という最凶タッグな家庭に育った彼にとってゴミは勝手に消えて食事は空気から練成されるものなので、家事という概念がすっぽり抜け落ちている。まぁ、変に男子厨房に立つべからずとか思ってシャドウワークを見下してるよりはまっさらなほうがまだマシだけどね。ちょっと脳みそがゆるふわなだけで基本素直な人だから。

長年かけてじわじわと家事を仕込んできて、家事スキル自体はだいぶあがってきて一人でご飯作って洗い物まで済ませるくらいできるようになったんだけど、やっぱ根本的なところが『お手伝い』なんだよね、っていう。言わなきゃやんない。エヴァのシンジ君並みに指示待ち人間。ゴミ出ししてくれんのは助かるけど、「火曜日はプラゴミの日だから朝夫にゴミ出してって言わなきゃ」「牛乳なくなってたから買ってきてって言わなきゃ」「今夜はチャーハンだからご飯炊いといてって言わなきゃ」「そういや庭木をそろそろ切ってって言わなきゃ」とかそういうタスクは私が抱えたままだから、タイミングよく指示出すくらいなら私がさっさと自分のペースで片付けたほうがよくね?ていう。

 

てことで、夫に家事を任せる方法。

 

なにもしない。

 

ひたすらなにもしない。

絶対に何もしない。強い意志を持って何もしない。

食器もゴミも一つたりとも動かさない。ご飯がなければカップめんで済ます。

 

どんどんたまっていく汚れた食器。すえた臭い。

それでも夫は家事をしません(カブは抜けません的な)

 

べとべとの台所。汚いトイレ。そこかしこにカビとクモの巣。風呂場はアカとカビで真っ黒。布団の下には人型のカビ。

それでも夫は家事をしません(カブは抜けません的な)

 

1週間連続カップめん。玄関を開けるとすでに腐臭。放置された食べ残しにハエ。排水溝からゴキブリ軍団がこんにちは。

夫はやっと食器を洗いました。

 

なんていうか、人間ってここまで汚い場所でも生きていけるんだなって思った。人体すげぇ。あと身体的にはラクなんだけど寝てるとき耳元でカサカサ言ってるゴキブリのせいで精神力めっちゃ削れる。でも身体的にはすごいラク。人生始まって以来一番ラク

美術館やミスドで遭遇する不可解な人達

 

最近美術館に行ったんだけど、なんかチケット買う列に並んでたらオッサンがチケットくれた。なんでや。意味わかんない。でも一人で美術館に行くと10回に1回くらいの割合でだれかがチケットくれるんだよね。若い頃からそうだからなんかもうそういうもんなんかと思ってた。美術館のチケット売り場には他人にチケットを配る優しい妖精さんがいるんだな、みたいな。あと花火大会の予約席とか演劇のS席とかもわりともらう。ミスドのスクラッチのあたり券とか、ミスド店内で渡すと店員さんに怒られるからお店出たところを待ち構えてるとかわりとあった。

今回改めて友人知人に聞いてみたけど私みたいにやたらいろんなものを貰うことなんて人生で一度もないって言われた。

 

あたりまえすぎて特に疑問に思わなかったけど、何万もするS席を他人にあげて去ってく人ってどういう人なの。ほんとなんなの。よく考えたら意味わかんなくないこれ。なにそれお布施?そりゃブッタの一番太ってた頃に似てるけども!

自民党の右傾化は団塊の老害のための接待ではないか説

自民党改憲草案をみると、家族を大事にとか天皇が偉いとか政治活動の自由を制限するだとか結婚や移動や職業の自由を行使するには家長の許可がいるだとか、なんかとんでもないことが書かれている。

9条自体の改憲自体は十分慎重に国民全体が議論すべき事柄だと思うのだけど、それ以外の妙に帝国主義的な思想をねじこんで来るのなんでなの。森友事件あたりからやっと騒がれはじめたけど、自民党っていつからこんなナチみたいな気持ち悪い右思想の党になったんだっけ。ぜんぜん「自由な民が主権の党」じゃないじゃん。

 

共謀罪やら銃剣道やら教育勅語やら、どうにもうさんくさいニュースを総合するとどうも安部氏率いる現在の民主党国民主権を放棄して国の言いなりになる国民を育成したいっぽい流れになっている。

そのうえ家族の義務を増やすことによって介護や育児を家族の無償労働によってまかなおうとしてるくさい。

 

これらは明治維新からww2あたりに世界的に流行した思想で、なぜこのような思想が流行したかと言うと当時の戦争の形式が兵隊が植民地に行って殺し合いをするというタイプのものだったから、と考えることができる。

植民地という他人の土地で白兵戦に近い泥臭い殺し合いをする下級兵士を大量に量産するために列強はこぞってなにも考えず国のいいなりになる国民を量産した。そこで必要なのは敵を殺せる強い男と子を産む女だけ。男は戦い、女は子を育て、それ以外の活動はしなくていい。むしろ余計な活動をして知恵をつけられると面倒。戦争というのは儲かるから、当時はそれで十分経済が回ったのだろう。よく知らんけど。

 

そういう時代においては、家族間の扶養義務を強化する改憲草案とか国を愛する心を育てる道徳教育とか反戦思想を教える教師を密告する制度を作る*1とかが国の存続のために有効な手段足りえたのだろう。帝国主義はベストではなかった。だが少なくとも当時それがベターに近いなにものかであった瞬間はあったのだろう。

 

だけど、現在の自民党が推し進めようとしている帝国回顧主義は核や大陸横断ミサイルが実用化された現代において有効な戦略だろうか。

戦争の悲惨さや殺戮についての人道的な反対はいったん保留にするとしても、大統領がぽちっとスイッチを押せば敵国が吹き飛ぶこのご時勢に肉弾戦のための使い捨て下級兵士って邪魔なだけじゃね?いまさら植民地に行って銃の撃ち合いするメンタリティを育ててどうするよ。

 

家族の扶養の義務や結婚や職業選択の自由を制限するとかも、それって結局女性のシャドウワークを増やして社会進出を妨げてるだけじゃんね。ただでさえ人手不足で不景気なのにさらに女を家庭に閉じ込めたらさらに景気冷え込むよね。

 

女は家に閉じこもってろ、国家を崇拝しろってそれ言って喜ぶのって団塊の世代だけだよね。リアル戦争を知らないことに劣等感を持ち続けリアル戦争に無責任な憧れを抱いている世代。まぁ団塊の世代のオッサンたちが自民党の票田だからね。だけど票田のご機嫌取りのためにナショナリズム復活させるって失うもの多すぎないか。

 

てことで、自民党の右化はサライとかで弘兼憲史に漫画化させる程度の気楽な懐古主義でしかないっぽくて、そんな個人の好みを国に反映させるとかほんと団塊の世代は死ぬまで迷惑を撒き散らしていくのだなと思います。

*1:まじで自民党は2016年に密告メールフォームを作ってた。魚拓→http://archive.is/FysFM

星野源氏の人見知り発言を賞賛してる人は病んでる。

星野源氏が言っていた

星野源が持論 「人見知り」と伝えることは「気を使ってください」と言っていることと同じ

相手に「すっごい失礼」「何様なんだ」と感じるようになった

 という発言が私にとってはめちゃくちゃ不愉快だしこれは怒っていいと思うんだけどみんなわりと容認してて、どういうことなのかなと思ってみた。

 

togetter.com

星野氏の発言を容認する人は人見知りカミングアウトをする他人あるいは自分自身に対して常々苦々しい思いを抱いているからこそ彼の発言を支持している。それが自分に向かったものであれば「私も人見知りカミングアウトで相手に不愉快な気分にさせてるかも」になるし他人に向かったものであれば「あいつの人見知り発言で俺は不愉快になった」になるけど本質は同じ。

 

「私はこのような事情がある、だから配慮してくれ」と表明されることに嫌悪を感じまた自分が表明することを遠慮する精神状態はちょっとやばい。ていうか努力や我慢が普通になりすぎてやばい人多すぎ。もっと頼ったり頼られたり気楽に生きればいいじゃん。

 

 以前、ヨシケイの宅配サービスを頼む人は毎食きちんとした食事をしなければいけないという強迫観念に取り付かれているという記事を書いた。

hedgehogx.hatenablog.com

 まぁ宅配サービスに関しては超田舎でスーパーが無いとか怪我してて外出できないとかで普通に需要もあるんだろうけど、とくに理由が無いのに買い物いけないくらい忙しいならちゃんとした食事を作る必要ないじゃん。料理する時間がないならニンジン丸かじりとかしてればいいじゃん。おいしいよニンジン。

 

 

 

まぁ、この人見知り関連発言で星野氏が言いたいことはなんとなくわかる。

まず前提として、

  • 人見知りカミングアウトをすると「この人は人見知りだからあんまり話を振らないであげよう」という気配りをされる。

でも

  • 星野氏は「あんまり話を振らないであげよう」という気遣いを受けるのがどうにもしっくりこなかった。むしろ話をするのは大好きだ。

だから

  • 人見知りカミングアウトをせずにがんがん話を振られることを選択した

てことでしょ。自分にとってしっくりくる待遇を得るためにセルフプロデュースしましたよってことでしかない。星野氏にとって「人見知りカミングアウト」はしっくりこなかったというだけで「人見知りカミングアウト」自体を失礼だとか何様だとかディスるのどうなの。

私はたくあんが嫌いなんだけど、だったら「たくあん好きな人はすっごい失礼、何様かと」とか言っていいわけ?

 

 

 

 

自分を追い詰めるのが正義、みたいな体育会系マッチョな発想なのか何なのか、自分自身に向けた否定や暴力に鈍感になっている人が多い。他人は殴ってもいいけど自分は殴ってよし、むしろ自分を殴るのが美徳、みたいな。

でもたとえ自分自身に向けたものであっても否定的な言葉を使う人を私は信用しない。否定的な言葉を使うというのはつまり言葉の暴力であって、そりゃ他人を殴るのもいけないけど自分を殴る行為だって見せられたくないじゃない。公共の電波で自傷行為を見せられるのはやっぱ不愉快だ。

 

 

彼らはそうやって他人にも自分にも監視の目を光らせて疲弊し続ける。ああいやだ。

 

なんか、みんな真面目すぎ。

いーじゃんべつにコミュ力なくても。失礼でも。気遣いを強要しても。お互い様じゃんそんなの。どうせ人間なんて生きてるだけで多大な迷惑かけ続ける生き物なんだから、いまさら多少の迷惑なんて誤差の範囲じゃん。そこくよくよ気にして無理にコミュ充のふりして消耗して病気になるほうがよっぽど迷惑。だったらあちこちに迷惑かけまくりながら楽しく生きててくれたほうがまだ迷惑度が低い。

くらい気楽に生きたほうがよくね?

 

 

hedgehogx.hatenablog.com