雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

自分の恵まれてるとこ書いてく

無敵の人が話題になって、彼らに多少なりとも共感してしまう人もいるみたいで、なんでみんなこんなに絶望してるのか私にはよくわからない。わからないということはこの件に関して強者であり加害者になりうる立場なのだと思う。

https://anond.hatelabo.jp/20180626123908

彼らはこの社会の中で相当追い詰められているらしい。私と彼らの違いは何だろう。
私はスクカー底辺でいじめにもあって家庭では結構な虐待されてて軽いけど障害もあってメンタル病んでてコミュ障で友達いなくて氷河期で就職できずオッサンにやりすてられて自殺未遂何度もしてて、なんかもう列挙するのめんどくさくなったからこれくらいにしとくけど、こんななのになんで私は何でこんなに強いんだ。

虐待とかいじめとかの復讐しようとか全く思わない。その場ではむかつくし反撃するけど何年も引きずるとか本気で意味が分からない。相手にそこまで執着してないからすぐ忘れてしまう。
これは私がその場から逃げるだけの能力があるからなのかな。不利な場所からはさっさと逃げて有利な場所に移動できる。だって切り捨てるのがお互いのためじゃん。
逆になんでみんなあんなに執着するの?
いい年して経済力があっても実家を切り捨てられずに苦しむの無駄すぎる。親や子を思い通りコントロールしようと躍起になってるの醜悪にみえる。

なんでみんなあんなに逃げられないんだろう。
逃げたら居場所を失うと感じているのかもしれない。このご時世居場所なんて無数にあるはずなのに、居場所にアクセスできない。
これはちょっと分かるきもする。
新しい居場所をみつけるにはコミュ力がいるから、気持ちの余裕がないといけない。だから限界まで居場所を奪われると新しい居場所をみつけられない。これ人類のバグじゃないかな。

てことは私はすでに凝固な居場所を得ているのかもしれない。

私の居場所って何なんだろう。
学歴?でも高学歴でも追い詰められるんだよね。
仕事?そりゃ今でこそわりと仕事してるけど昔は稼ぎ0のヒモだったんだけどな。
もしかしたら寛大なパトロンをみつけられたのがポイントなのかも。これ親に養って貰ってたら確実に修羅場になってた。ていうかすきあらば監禁しようと誘拐仕掛けてくる親から逃げ回ってたわそういえば。だから定職つけず部屋も借りれずヒモしたり地方の工場の住み込みしたり、時効を待つ犯罪者みたいな生活せざるえなかった。
でもこれは私にとって仕事しないで許される格好の言い訳として作用してて、今となってはわりといい思い出になってる。先の見えない逃避行も今思えば私の性質に合致していた。
逆に親の脅威がなかったら氷河期をもろに受けて高学歴ニートになって苦悩してただろう。

氷河期ニートは言い訳を許されないのが大変なんだろなたぶん。私からすると氷河期は仕事できない理由として十分だと思うけど私の親世代はそれを頑なに理解しない。


もしかしたら無敵の人は全然無敵ではないのかもしれない。
本気で失うものが無ければ最低限の保証はされる現代社会で悩む必要もないもの。
無敵の人の怒りは、成功できない状況を理解しない親世代に依存して生きざるをえないところから発生しているのではないだろうか。
あー、それは病むわ。
でもそしたら家族にケアを丸投げしつつある自民党を支持する理由が分からないな。

長くなったのでここまでにしときます。

無敵の人はなぜ隣の弱者を殺すのか

両親の時代には高度成長ボーナスで無能でもそれなりの稼ぎが得られたのに、氷河期世代である自分には安定した仕事がない、だから両親からの理解も得られず孤立し、なのに両親の稼ぎに頼るしかない、なまじ両親が裕福だから福祉もつかえない、プライドだけは高いが自分から行動できない人、というのが今世間を騒がせている無敵の人像ということでいいのだろうか。

 

blog.tinect.jp

 

前提として。今回のhagex氏殺害事件の全容をまとめてみたのがこちら。

hedgehogx.hatenablog.com

 

 

無敵の人は人権派弁護士へ、重度心身障害者へ、新幹線で隣に座った見ず知らずの女性へ、あるいは運営への通報を推奨したブロガーへ殺意を向ける。

そして今回hagex氏を殺害した低能先生ははあちゅう氏やイケハヤ氏を擁護していた。

 

これだけの情報で何かを分かった気になるのは軽率だとは思うけれど、現段階での私個人の疑問や仮説をひっそり書き残しておこうと思います。

 

 

彼らはイケハヤ氏やはあちゅう氏や安倍総理のような弱者を搾取している側を擁護して、人権派弁護士のような弱者を救おうとする側を敵視してるんじゃない?

なにそれおかしいよね?敵と味方が逆転してるよね?

やるべきことはデモであって一般人の殺害じゃないよね?むしろ状況が悪化してるよね?いったい何がしたいの??

 

百歩譲って、手近な人をターゲットにするというのは理解できるような気がしなくもない。理解したくはないけど。

でも肉屋を支持する豚の気持ちに関しては本気でわからない。

労働者が現政権を支持するのも低能先生がイケハヤやはあちゅうを支持するのも私には全く理論性を見いだせない。どういう因果律の元であれば彼らを支持できるんだ。

hagex氏がイケハヤ氏に対して弱いものイジメしていたという認識も全く分からない。イケハヤ氏が何をしでかしたか、イケハヤ氏の無責任な先導でどれだけの人が人生狂わされたか知った上でhagex氏が弱いものイジメしてたって言ってんの?

はあちゅう氏は童貞を追い詰めていて、hagex氏はそれを糾弾した形になるわけだけどそれでもやっぱりはあちゅう氏を支持すんの?

 

別にhagex氏を崇め奉れとかではなくてな、敵の敵は味方というレベルでhagex氏は弱者の味方に近かったんじゃね?ゲスい人ではあったけど。それをどうしてイジメの張本人を肯定してイジメを批判する側を否定する心理になるんだろう。

 

もしかしたら無敵の人は自分が誰に搾取されているのか理解できなかったのかもしれない。

本気で安倍氏が雇用回復している労働者の味方だと信じているのかもしれない。イケハヤ氏は労働から解放されたノマドの旗印で、はあちゅう氏は美人でかわいいお姉さんに見えているのかもしれない。児童虐待は親が悪くて親を罰すればすべて解決すると本気で思っているのかもしれない。

というのが現時点での私の仮説なのだけど、自分で仮説を作っといてなんだけどちょっと理解できない。なにそれなんのために脳みそ搭載してんの。教育の敗北ってやつなのかこれは。

信じたくない仮説だけど、私の観察範囲だけでも信じられないほどの馬鹿が恐ろしい数存在していてエセ科学とかエセ宗教とかに嵌ってるからわりと絶望感がある。

 

 

 

 

前回の記事で私は『これから公の場で発表する言葉は市役所のHPにある「やさしいにほんご」みたいなのにしないといけないのかもしれない。』みたいなことを書いたのだけど、結構本気でやさしいにほんごで話す必要性があるのかもしれない。むしろイケハヤ氏やはあちゅう氏や安倍総理や詐欺代替医療はやさしいにほんごに長けているという一点のみで支持されているのかもしれない。

 

たとえばこのブログで書いた記事は

 

仕事がなくて 困っている 人へ

あなたは 今 不安 ですね

まわりの 人に 「なぜ 働かない のか」と 責められている かもしれません。

自分 でも 「なぜ 働けない のか」と 責めている かもしれません。

あなたは 今 少し疲れています。

苦手な 仕事を 無理して 続けていた かもしれません。 

苦手な 言葉を ずっと 言われていた かもしれません。

 

よく がんばりましたね。

 

あなたは 無理に 働く 必要は ないのです

働けない ことを 責める 必要も ありません

 

困った ときは 市役所に 相談に 来てください。

働けない あなたを 責める 人は いません

無理に 働けと いうひとも いません

市役所では あなたが 安心して 生活できるよう 手助けします

 

 

 

みたいなーーー!

そんな感じで書けばいいんじゃね?

もうエビデンスとかやめてさ、いっそ日本語も廃止してカタコト英語で書けばいいんじゃね。いやもう書き言葉だけでなくて話し言葉もみんなやさしいにほんごにしよう。

市役所の「お金こまった課」に行くと

「どうしたの?」って聞かれるの。

「仕事がなくてお金がなくてごはんも家もありません」って言うと

「それは困ったね。働かなくてもお金をもらえる仕組みがあるよ。その仕組みを使うために君のことを詳しく聞いていいかな?」

みたいな感じに話を進めるの。必要書類もみんなひらがなで振り仮名振ってある。

 

結構本気で、今野党に求められているのはモリカケでも憲法でも経済でも消費税でもなく、やさしいにほんごなんじゃないの?

文章を理解できない人がいるというリスクが殺人にまで発展することについて

hagexという人は私にとって「時々炎上する黄色いアイコンの人」という程度の認識だった。そして低能先生というのは「増田やブコメに出没する変な人のうちの一人」程度だったので、hagexさんが低能先生に刺殺されたという今回の事件について何かを言える立場ではない。

 

今回の事件をまとめてみたのがこちら。

 

 

hedgehogx.hatenablog.com

 

 

あと別に、hagex氏が聖人君子だったとも思っていない。むしろゲスだと思ってる。

hagex氏のゲスさをまとめた増田がこちら。

anond.hatelabo.jp

 叩く相手の家庭環境や性事情をさらすとかほんとゲスだしやりすぎ。

追記

“叩く相手の家庭環境や性事情をさらす”いや本人が公然と晒しているものを紹介してもゲスじゃないでしょ週刊誌みたいに隠してるものを暴くわけでなし

というブコメをもらったので。

え、そうなん。知らなかった。そうかhagex氏は別に文春的な暴露をしてたわけじゃないんだ。じゃあhagex氏別にそんなゲスじゃないじゃん。ただの便利なまとめつくるだけの人じゃん。まじかよ悲しすぎる。ご指摘ありがとうございました。

 

だからhagex氏が梅木氏や八木氏から訴訟されたのであればざまーみろとしか思わなかった。でも彼は低能先生というわけのわからない人に粘着され、通報を推奨したら逆恨みされて殺されたわけで、それは違うだろうと。

そして私は薄暗い活動に日夜いそしむ悪徳業者なので、氏が煽っている人はすべてネットのPVで稼いでいる人という点も注目したい。 氏は基本的に炎上芸人しかとりあげない。普通の人が炎上したらデメリットしかないが、イケヤハヤ氏やはあちゅう氏や八木氏は燃えれば燃えるほどメリットがある。hagex氏と炎上芸人諸氏は共生関係にあるといっていい。

そんなhagex氏が、非炎上芸人であり文学のコンテクストが通用しない人であり無敵の人である低能先生をいじってしまったのが悲劇の始まりであろう。

 

 

今回の事件に関していろいろな人がいろいろなことを言っているのを眺めていて、絶望的に文意が読み取れない人というのがこの世に存在しているというのを思った。

たとえば、故hagex氏が書いたこの記事

 

新卒フリーランスや会社を辞めてブログ一本で食べていこうとする人の考えが、理解できない。

なぜなら、ブログ運営は「会社員を続けながらできる作業」だからだ。
そもそも、会社員を辞めてブログに集中して、面白くなかったサイトはあるのだろうか? ゼロとは言わないが、ほとんどない。

高知のトマトブロガーさんが公開しているコンテンツも、当初は古民家活用や地域活性などスケールの大きなことを言っていったが、最近はほとんどがコタツ記事(=足を使って取材してないもの)ばかりで、サラリーマンをやりながらもできる内容だ。

(中略)

人がブログ一本で喰って成功する確率は限りなく低い。ただ、ゲス・ネットウォッチャーとしては、自称プロブロガーはどんどん増えて欲しい。彼らが生活に行き詰まり、どんどん落ちぶれ、足掻いていく姿は、とても魅力的なコンテツだからだ。才能がない連中の、人生をかけた壮大な一発ギャグを見守ろう。こちらは、彼らが首を括るその瞬間まで見届ける覚悟はできている。

プロブロガーという人生をかけた一発ギャグ - Hagex-day info

 これに対して

内心で無能な一般人見下してたとしか思えないんだが。。

 という反応をしている人が結構な割合で存在しているらしい。

うーん。なんていうか、どうなんだろうそれは。

この文章の本意は

「文才がない人がブログで成功する確率は限りなく低い。現在プロブロガーを自称している人たちは皆ロクな取材もせずにPV集めの炎上記事ばかりを書いているだけだ。よって彼らはいずれ生活に行き詰まり落ちぶれるだろう。そんな無様な姿をあざ笑われたくなければ炎上商法はやめて堅実に生きろ」

だと思うんだけど。初見の私ですらそう読み取れるんだけど。これを

「ブロガーwwなんてのは全員ゴミがイキってるだけww俺は彼らの試みを見下してあざ笑ってやるぜ」

と解釈してしまう人がいるの…?

私がハイコンテクストすぎるのか彼らがローコンテクストすぎるのか。

ただ、文学というのは長らく一部のガチオタクのものだったので、我々文学オタクはハイコンテクストに馴染みすぎて、内輪ノリのままネットの広大な海に文章を無防備に発表しているという問題は発生してると思う。

文学に馴染みがない人にとってhagex氏の皮肉は通用しない、文学の毒はなじみのない人には強すぎて時に殺人にまで追い込む。というグローバルスタンダードを受け入れゾーニングしなければいけない時代になっているのだろう。これから公の場で発表する言葉は市役所のHPにある「やさしいにほんご」みたいなのにしないといけないのかもしれない。

 

つまり

 

ブログ を 書いても あまり お金 は もらえません

成功 するのは ごく一部 の 人 です

趣味 で ブログ を 書くのは いいこと ですが

ブログ だけで お金を もらおうと 考える と 貧乏 に なります。

 

みたいなね。

でもこういうこと言うと馬鹿にすんなって怒るのよね彼らは。プライドだけは高いから。支援を必要としている人ほど支援を拒むのほんとめんどくさい。hagex氏はMENSA会員だったそうで、きっと氏も無能な人の気持ちが全然分からなかったんだろなと同じ高IQ仲間としては同情してしまう。IQ高い人ほど自分の限界がよく分かるから知性にプライドなんかもてないよね。

 追記

hagex氏はMENSA会員ではないそうです。

 

 

 

あとこの記事、某高知のトマトブロガーさんの話をしてるわけで、某高知のトマトブロガーさんってイケハヤのことでしょ?hagex氏は『無力な一般人をさらし上げる悪人』でイケハヤ氏は『無知で無能な一般人=俺たちの仲間』カテゴリなの??どっちかっていうと逆じゃね…?

 

そういや低能先生もイケハヤ氏やはあちゅう氏を支持していて、彼らに苦言を呈する人たちに執拗に暴言を吐く人だったんだっけ。今回の殺人事件は低能先生の思考の中ではもしかしたら「イケハヤやはあちゅうを守る正義のオレ」だったのか。イケハヤやはあちゅうは低能先生を踏みつける側なのに。

 

なんていうか イケハヤ=味方 hagex=敵 という構図を考えると安倍政権を支持する労働者の心理が見えてくる気がする。彼らの中では敵と味方が逆転しているのだろう。

 

イケハヤ氏もはあちゅう氏も安倍氏もたぶん、低能先生みたいな人を切り捨てて搾取して生きてきた人で、彼らを支持しても使い潰されるだけで決して報われない。対してhagex氏はどうやら弱者に誠実に向き合おうとしてきた人だったらしい。

ezkay.com

だけどブタに憎まれるのはブタを解放しようとしたhagex氏で、もてはやされるのはブタを食いつぶす肉屋たちだ。

 

 

低能先生はあたりかまわず死ねとかゴミクズとかいう暴言を吐いてきた人で、それに対して各々が反論したり無視したり通報したりという自己防衛を行っただけなのに「低能先生に対するネットリンチ」とか言う認識の人もけっこう多いっぽい。

個別の事例で低能先生を煽りすぎたIDはあったかもしれないけど、それ以前に低能先生は誰彼かまわず「殺すぞクズが」とか執拗にidコールしてたわけで、それに対して「お前こそ殺すぞカスが」と言い返すのはわりと正当じゃない?それとも低能先生は我々を好き放題罵倒するけど我々は低能先生に優しくしなきゃいけないの?低能先生はゴッドかなにかですか?我々だってサンドバックじゃないんですが。

 

 

 

とか言うと、また文脈を読めないクソリプが湧くんだろなー…

 

hagex氏の煽り記事を肯定するんですか?それで傷ついた人もいるんですよ!

がんばってるイケハヤ氏を否定するのはよくないとおもいます!

ブタとか言って俺たちを見下してる!

いきなり安倍disをぶちこむサヨク

低能先生をいじめたのはおまえらのほうじゃないか!

 

てなところ?

認知の歪み怖いわぁ。

でも彼らに必要なのは認知のゆがみを理論的にガン詰めすることではないのよね。彼らは理論で感情を超えることができないから、理詰めは逃げ場を絶って追い詰めてるにすぎない。

なんかこれ、体育会系のイジメ問題に通じるところがあるのかな。

「努力と根性でがんばってのりこえるんだ!」というのは努力と根性でなんとかできるタイプの人にとっては心温まる励ましだけど、私みたいな知力ですべてを解決するタイプにとってはイジメでしかないし、努力と根性を強要されたらたぶん私は死ぬ。

同様に「知能と理性でがんばってのりこえるんだ!」も知能と理性に欠けた人にとってはイジメになるのかもしれない。

 

えー…

 

じゃあ努力も根性も知能も理性もないのに自己愛だけは肥大した人に対して我々はどうすればいいの。何十回も死ねコールしてくる人に対して優しくヨシヨシしてやらなきゃいけないわけ?ほんともうどうしてほしいの彼らは。

 

 

 

ババアが若者に説教を垂れてみる

ババアなのでチャレンジしている若者をみるといろいろとアドバイスしたくなります。でもかつて若者だったババアは老害の説教がウザいということを忘れるほど耄碌はしていないので自分のブログでこっそりとエア説教します。ババアが気分よくマウントをとるだけの内容です。

 

こちらの堀元さんという方は、DASH村のような村をみんなでつくるプロジェクトをやめるそうです。今回はこの堀元さんにババアがこっそり勝手に説教します。レッツ老害

ken-horimoto.com

 

ほめるところ

まずね、この人のいいところね。

最初にいいことを言ってから改善点を言う、これマネジメントの基礎なんで、まずいいところ書くよ。

 

まず、いろいろやってみる根性は見上げたもんだと思うよ。それで出資を集められてしまうのもすごいこと。ババアなんて人に会うどころか服着て外出するのすらハードル高いもの。毎日誰かに会ってビジョンを語る情熱があるというのは(たとえそのビジョンが薄っぺらいものであっても)一種の才能だから大事にしたほうがいい。

 

あと打たれ強いのもね。

批判も炎上もめちゃくちゃメンタル削るから。まず内輪もめしても最後は大人の対応できるの偉い。批判のコメントをちゃんと読んで反応返せるのもえらい。普通の人ならこの時点で潰れてるから。一度訴訟されてるのにめげないのもえらい。ちゃんと後始末してるのも偉い。私はいつも撤退は丸投げするもん。

 

それと、そこそこ公平で冷静なところとかもなにげにえらい。

雇った人たちが次々やめていってしまう、部下とうまくコミュニケーションがとれないという最大の問題はあるにせよ、関係がこじれてしまった仲間に対して殴り合いの喧嘩とかパワハラとかせずに対応できたのはほんとえらい。これができないオッサンいっぱいいるから。私もちゃんとできてる自信はない。

 

それに、自分の気持ちを赤裸々に発信できるというのも強い原動力になります。たいていの願望は口に出しているうちに誰かが勝手にお膳立てして達成させてくれます。

 

あと、これも実は結構貴重な知見だと思う。

結局のところ「大きな労力をつぎ込めばお金にはなる」という当たり前の結論を導いただけだった。

スタートアップの何が大変って、「そんなことできっこない」という自分の思い込みを超えることなんで。 だいたいのことは行動しさえすれば達成できる、というありふれた事実を行動レベルで実感できているということは今後の機動がぐんと上がる。よかったね。

 

ねぎらうとこ

堀元さんが人の心を持たないサイコパスとかでない限り、今回のことできっと結構凹んでいると思う。炎上も批判もヘイトも自分で感じている以上にメンタルを削る。挽回しなければと焦ってさらに風呂敷を広げてしまったり、エベレストに登って死んじゃったりするのはこういうときだ。

こういうときは精神のバランスが取れないから、批判やヘイトを真摯に受け止めて鬱になるリスクだけでなく、仲間の耳触りのいい言葉に慰められてハイになるリスクも大きい。とくに昨今のツイッターは身内だけの心地よい世界に浸ってしまいやすい。

だからできればアンチとも仲間とも距離をとってネットと人間関係を切り離し、ゆっくり休んでほしいなと思う。

 

改善したほうがいいとこ

さて。ここからが本題なんだけど、堀元さんはわりかしビジネス的な才能がある人なんだと思うんですね。自分の情熱を感染させ人とお金を動かすことができる人なんだと思う。

逆に、刺身にタンポポ載せるような単純作業はすごく苦手なんだと思う。

あと、なまじ非凡だから平凡な人の気持ちが分からない。

 

うん。めっちゃわかる。

新しいことを始めるときのヒャッハー感すごいよね。あれを知ったらもう後に戻れないくらい強烈な快感で、私なんていい年していまだにあれを追い求めてるしヒャッハーできなくなったら潔く死ぬ。

でもある程度の事業規模になったらヒャッハーなタイプの人たち以外ともうまくつきあっていかないといけないのですよ。平凡で善良な市民は平然と出る杭を叩き潰してきます。彼らをうまくあしらわないとビジネスはいつか必ず潰される。ビジネスが成長できないとかでなくて、彼らに足を引っ張られて再起不能になるまで潰されるんです。彼らの行動原理は「みんながやっているから」「偉い人が言っているから」「自分の気分がいいから」です。合理性とか正しさとか全体の幸福とか持続的成長とかそういうマトモな理論は通じません。

これは文化の違いなので彼らはそういう部族の人なのだと思うしかないです。首狩り族に首を狩るなと言っても仕方がないので自分の首を防御しましょう。 

 

 だから堀元さんが今後、逮捕前のホリエモンとか某高知のブロガーとか某妙ちきりんな名前のブロガーとか某元東電の童貞イジリ女性とかのような中身のない炎上だけを繰り返したい、誹謗中傷もヘイトも逮捕も辞さないというのであればいまのまま純真な真心だけを発信していけばいいけど、ちゃんとビジネスとして自分の功績を世に問いたいのであればもう少し社交辞令を身に着けたほうが安全だと思う。

 

ビジネス撤退の理由として「飽きた」というのを上げてるの、私はすごい納得できる。個人ビジネスの原動力は個人の熱意だけで、熱意が無ければ何も始まらないし熱意さえあればなんでもできる、熱意は宇宙で最も貴重な資源、というのすごいわかる。 

でも、毎日決まった時間に出勤してれば給料が振り込まれるのが当然の権利という人たちにとって熱意なんて甘えにしかみえないんですよ。サラリーマンは仕事に熱意なんか感じたらやっていけないんです。だから飽きたからって仕事を放り投げることができる(ように見える)起業家がうらやましくて憎くなるんです。そして彼らは自分の羨望感をねたみとして他者にぶつけることにためらいがない。

そんな人たちがわんさかいる中で、一人一人に説教して考えを改めさせるよりは彼らをいらだたせない振る舞いで偽装するほうがよっぽど楽で安全です。

 

ということで、猫をかぶるほうほうを覚えたほうが能率的だよというババアの説教でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

頭が悪い人は不確定な未来を想定できないという点について

このあいだ久しぶりにカードゲームで無双して、そのあとオセロでボロ負けしてわりと楽しかったのでメモ。オセロのふわっとした独特の定石だけはいまだに意味がわからない。。

 

私はプロのギャンブラーで食ってけるんじゃないかと思う程度には賭け事に強いです。でも別に百発百中完全勝利ではなくて普通に勝ったり負けたりする。ていうか、ある程度確立したルールの中でゲームをすれば予知能力でもない限り、全勝するのは不可能です。

100%勝つとか100%負けるとかいう極端な状況であればだれだって正しい判断ができます。問題は勝つか負けるか微妙なライン、つまり、勝率49%を捨てて勝率51%を選択できるかどうか。ギャンブルに強い人は常に51%を選択できます。だから私も個々の局面では勝ったり負けたり、そんなに強くなかったりする。でも長い目で見たときにひっそりと財布が厚くなっています。

 

100%を選択するのは誰でもできるけど、51%を選択するには膨大な知識と知能が必要です。カードゲームであれば場に出たカードをすべて暗記するとか、将棋であれば定石を何万通りも覚えるとか。そこまで努力しても勝率は51%なので素人目にはたいしたことない無駄な努力に見えてしまいます。

局所的にみれば、51%も49%の違いなんて誤差みたいなもんです。そしておそらく、多くの人にこの誤差の重要性は理解できない。たった数%の確立を上げるために莫大な努力をするなんて無駄、もっと分かりやすい成果を、という発想が昨今の大学予算削減であったりモリカケ不要論であったりするのでしょう。

 

頭のいい人が51%の話をしているのに、頭の悪い人が「でも100%じゃないしお前の予想このまえも外れたじゃん」と噛みついているのだということに、頭のいい人たちはもう少し自覚的になったほうがいいと思う。

 

たとえば「共謀罪で国が亡びる」という言説があったとして、「でも共謀罪成立しても逮捕されてないじゃんバーカバーカ野党は無駄ばかり」とか言う人が結構いるんだけど、「共謀罪で国が亡びる」というのは「共謀罪(を発端として今後発生するかもしれない状況)で国が亡びる(可能性が51%くらい存在する)」という意味なんで。でもそこを丁寧に説明すると100%しか理解できない人は「51%なんて低い可能性を考える野党のバーカバーカ」ってなる。

ちがうんだよ51%を全力で考えるのが未来を作るってことなんだよ…

 

でも普通の人は場に出たカードをすべて暗記するとか無理じゃん。

だからたぶん、政治における51%も理解できないんだと思う。ブタに言葉を教えるのと同じくらい無理。だから人間様がブタに歩みよるしかない。

複雑で正しいことを暴力的に単純化するのはめちゃくちゃ大変ていうか不可能なことだけどがんばるしかない。すごいめんどいけど。

 

 

 

 

虐待や安楽死に対する潮目が変わった気がする

自殺を許さない時代

2004年のアシュリー論争の時代には、安楽死絶対許さん、自殺ダメゼッタイ、家族の愛さえあればどんな障害でも救われる、という地獄みたいな思想がはびこっていました。

そのころの病院には管まみれのゾンビみたいな老人があふれかえっていたし、気管挿入も胃瘻も死ぬまで取り外せなかったし、たとえ100歳のばあちゃんでも死ぬ前に黒こげになるまで電気ショックをしておかないと訴えられた時代。

私も「金の出所である家族の意志が最優先。患者の意志は尊重しない。それを受け入れることができなければ病院勤務はできない」ってガチで言われました。殺してくれと毎晩叫んでるのに殺してもらえない人たちになにもできなくて結構病んだ。

 

相模原の重度障害者大量殺害事件のときにもまだ、障害者にも生きる権利があるはずみたいな的外れな言論が目立ちました。

たびたび書いていますが、私は相模原の事件は有益とはいえないが仕方のないものととらえています。殺されたのは重度の障害者です。最重度の障害を持つ人たちは一生病院で過ごしメディアにも出ないため、健常者や一般の障害者には彼らの実態が想像できないのだと思います。

医学が発達しすぎた現代の重度障害者はテレビドラマに出てくる程度の障害者、ちょっと手足が無いとかちょっと暴れるとか、そんなお気軽なものではありません。我々は生死を操る神の領域に踏み込んだことを自覚すべきです。

 

生の地獄が選択できるようになったのだから死の救済も認められなければ、この世は地獄と化します。いや、現在進行形で地獄と化しています。

 

自殺を許さないとか、親の育児放棄を許さないとかいうのは一見正義に見えます。そりゃ人間生きてた方がいいし優しい親に育てられた方がいいに決まってる。でもそんなうまくいく関係ばかりではないし、うまくいかない関係にしがみつくと破綻するのは当然。

でも2016年の相模原事件の時点では医療福祉育児の分野での「しんどい」「つらい」みたいな言葉が封殺されていました。医療の発展、社会福祉の脆弱化、SNSの罵詈雑言、核家族の進行などにより当事者と家族の負担が等比級数的に増えているのに、世論は家族愛で面倒がみれるはずという障害者私宅監置法の時代から進歩していませんでした。

虐待や殺人事件があっても加害者の親を糾弾する言説がほとんどでしたし、過剰報道で加害者の関係者を追い詰めるのにもためらいがなかった。親を擁護する発言なんかしようもんなら袋叩きにあっていました。

 

 

自殺も他殺も認める時代

でもなんか、最近潮目が変わったなと。

いやn=1の雑感なんで正確な時期とかは分からないけど、確実に何かが変わってきているなと思う。

 

2010年くらいから少しずつ、本人と家族の要望があれば延命しないという選択が増えてきた気がする。

 

2016年くらいからだんだん、このブログに「子供 殺したい」で検索ヒットする人が少なくなってきた。検索ボリューム自体はそんなに変わっていなかったから、これは「子供 殺したい」で検索したときに私の駄ブログより上位表示される記事が増えたということだろう。

 

今年に入ってから、核家族で福祉がなくて、家族連座制みたいな連帯責任を負わされて、死んだり殺したりして当然なくらいみんな詰んでるよね、と堂々と言えるようになった気がする。

 

 

子供の虐待死のニュースがあって、あれほんといたましくて見出ししかみてないんだけど、

schoolholocaust.hatenablog.jp

この事件でもお決まりの「加害者の親を死刑にしよう」みたいな言説も確かにあったけど、それよりも「親は殺人者であると同時に犠牲者である」という言説のほうが増えてきた。

 

 

多くの乳幼児育児中の母子の関係は、あまりに偏っていて特殊だ。

(1)批判されない ―― 家庭に他人の目はない。
(2)関係が完全に固定 ―― 母子は常に一緒で離れられない。
(3)反論・反撃されない ―― 母子の言語能力と腕力に圧倒的な差がある。
(4)拒絶・逃走されない ―― 幼い子の母親に対する信頼は恐ろしいほど絶対的。

子への苛立ちは断ち切れるか?――母が子を正論で追い込む : MAMApicks -子育て・育児・教育ニュース&コラムサイト-

 

 

芽衣さんが「これ以上お母さんを続けられない」と言える社会であれば、この子どもたちは死ななかっただろうと思いました。子育てが上手な人も、そうでない人も、子育ての際にものすごくいろんなことを感じてしまう人もいる。同じ環境であっても育てられる人とそうでない人がいる。人って多様なわけで、そのなかの面倒くさくない、一般的な、誰でも理解できるような部分だけを捉えて「当たり前」「常識」とするのでは......。子どもは母親だけのものではないし、子どもは力の無いお母さんの元に生まれたら、絶対にそこで育たなければいけないっていうわけでもない。

「お母さんが子どもを育てなくていい」~虐待防止の方法とは? - いつか朝日が昇るまで

 

 

anond.hatelabo.jp

 

 

 

www.sankei.com

こういう加害者の関係者への過剰取材にも批判のほうが多い。

1997年の少年連続殺人事件のときからすると隔世の感がある。

 

 

あと、はあちゅう氏のmetooに対して「おまえのことは気に入らないが今回のおまえの発言は支持する」という意見が主流だったりとか。

 

 

 

なんだか、もしかしたら、みんなちょっとずつ賢くなってる…?

完璧な善人も完璧な悪人も存在しなくて、追い詰められれば誰でも犯罪者になるというのが理解できる人が増えてきたっぽい??

たぶんこれって、多くの人が将来に不安を抱えていたりとか正社員になれなかったりリストラされたり、社会不安を共有するようになったからこそ自分と他人の弱い部分も認められるようになったというか認めざるをえなくなったのだと思う。バブルのイケイケのころだったら弱いやつは自己責任で切り捨てられていたはず。

 

てことは、現在の落日の国日本もわりと悪くないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

離人感とつきあってく方法とか考えてみた(けどやっぱよく分からない)

先方からの返事がくるまで何もすることがないという微妙な空白期間ができてしまったので、どうでもいいことを書いて暇つぶししようと思う。

 

ということで、私の離人感や解離と自閉症統合失調症の違いとかについての私感をだらだらと書いていきます。思いつきなのであんまりまじめに受け取らないでください。

 

 

 

離人感を説明してみた

私はちょっとわけのわからない家に生まれて軟禁とかいろいろされていたので、普通の人が物心つくまえに家族との交流によって身に着けているはずの感情というものを学習する機会を逸してしまいました。なので私にとっての普通の状態は世間一般で言われている離人症なんだろうと思います。そしておそらくこのことが私の解離性同一性障害の一翼を構成しているのでしょう。自分じゃよくわからないけど。

 

私は突発的な状況に応じてとっさに適切な感情を表出するのが下手です。相手の出方に自分の命運を握られてる感はとても苦手。すっごい疲れる。どういうテンションでいればいいんだ。。

突然の変更に対応できない、かつ、みんながあたりまえに読んでる空気を読むのが大変という意味では自閉症スペクトラムと似たような困難を感じているけど自閉症とはちょっと違って、別に対応ができないわけでも空気が読めないわけでもないんだよねー…ていう。

 

 

離人じゃない状態を想像してみた

私の場合、うっすらと好ましいとかできれば平穏に長生きしたいとかその程度の好悪はあるけど、それ以上のアグレッシブな愛憎みたいなのはちょっとよくわかんないんだと思う。私も一応激怒したり憎悪したりすることはあるけど、それは感情の表出を強制されたときのみ発生する。どっちかというと憎いというより、うぜーとかめんどくせー系統。

どうやら普通の人の感情というのは他人の気に入らない発言だとか好ましい振る舞いだとかいった些細な刺激に対して発生するらしい。いっこいっこ律儀に笑ったり怒ったりするのすごい大変そう。

 

たぶんなんだけど、私にとって感情は第二外国語のように意識して想起しないと思い浮かばないものだけど、普通の人にとって感情というのは母国語のように自我と不可分の存在になっているのではなかろうか。

リンゴを見る→リンゴという単語が頭に浮かぶ、くらいのレベルで、

あいつの言動が気に入らない→むかつく、みたいな…?

普通の人は目に見える情報すべてに感情が一体一対応で発生してるっぽい気がする。リンゴをみたら「リンゴ」と思うのをやめることができないように、彼らはむかつく人をみたらむかつく気持ちを止めることができないのかもしれない。

 

それがあたりまえだと思って生きていたら、離人感が病的な状態とされるのも理解できる。

 

離人症とは、自分が自分の心や体から離れていったり、また自分が自身の観察者になるような状態を感じること。

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『自分が自分の心や体から離れていったり』て、そんなん私基準だったらあたりまえだしむしろ『自分が自分の心や体にくっついている』のがよっぽど気持ち悪い。知性が感情や感覚とリンクするとか、痴漢みある。

 

離人症の)被験者は自分が変化し、世界があいまいになり、現実感を喪失し、その意味合いを失ったと感じる。

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 え…

むしろ確固たる現実とか世界の意味とかみんな普通に感じてんの。こわ。

ただまぁ、今知覚していることだけが唯一絶対の現実だという認識であれば、嫌でも現実に興味を持つだろうし激しい愛憎も湧くだろうなというのは想像できる。生きる意味とかも考えなくてはやっていけないかもしれない。

健全な精神をお持ちの方というのは現実という井戸に住む蛙なので、彼らの持つ愛憎というのはストックホルム症候群みたいなものなのだと思ってみると私にも少し理解できるかもしれない。逃げ場のない現実とかなんかめっちゃ大変そう。

 

 

 

解離と統合失調症の違い的な雑感

あとときどき思うのが、

『自分の行動を外から観察しているように感じること』を解離って呼ぶのなんか違くない?ということです。

なんだか、「自分の行動を外から観察している」というのが「好ましくない自分の行動を止めることができない」と混同される場合が多い気がする。「悪い人格が悪いことをしているのを、心の中に閉じ込められた良い人格が止めようとしている」みたいなのを解離っていうの違くないかな。それは普通に葛藤というのではないだろうか。そういうのが煮詰まると「聞こえないはずの声(実は自分の葛藤)が聞こえる」という統合失調症になるんじゃね。

 

葛藤の末に相反する意見が自分の中にある、というのを解離というのはすごく違和感がある。だってそれ、葛藤を解消する系の治療過程が必要じゃん。解離とアプローチ全然違うじゃん。リスパダールが効く系のやつじゃん。

個人的にはリスパダールわりと好きです。苦いけど。関係ないけど、あの苦さって単純に苦いんでしょうかそれとも脳内物質を抑制することで生じる味覚の鈍麻を苦いと認識するのでしょうか。人によっては副作用がやばいらしいけど私はそんなでもなかったし断薬も平気でした。リスパダールは脳の中の感情や思考を司る部分を鈍麻させるような気がします。ひたすらぐるぐる考えて脳が熱暴走を起こしているときに強制シャットダウンさせるみたいな感じがしました。

 

でも実際、「悪い人格が悪いことをしているのを、心の中に閉じ込められた良い人格が止めようとしている」みたいな、リスパダール効く系の人で解離って診断されている人が多いし解離へのアプローチもリスパダール的というか、葛藤をどう処理するかみたいなのが多いので私の解釈のほうが少数派なんだろうと思います。

たぶん、感情が母国語化してる人が圧倒的に多くて、感情が第二外国語化してる人は見えてないんだろうな。それに感情が第二外国語化してるってだけであれば別に困ることはないし。だからこそ

(解離が)障害を満たすのは重症の場合であり、つまり、著しく苦痛であったり社会的機能の障害の障害をもたらしている場合である。

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なんだろうし。

てか、この分類がそもそも意味不明なのか。

個人の特性にすぎないはずの解離(感情の第二外国語化)がどのような要件を満たせば『著しく苦痛であったり社会的機能の障害の障害をもたらす』になるのかが全然検討されていない。一番大事なのはそこでしょうに。

 

解離の種類とか考えてみた

一つ目

たぶん解離が『著しく苦痛であったり社会的機能の障害の障害をもたらす』になる理由は二つあって、一つ目はさっき書いたリスパダール効く系の葛藤を併発している場合。

「心の中に置き去りにされた小さな子供が泣いていて、大人の人格がそれを守ってる」的な。泣いてる子供vs泣けない大人の葛藤を処理できないのはそれ解離じゃなくて普通に適応障害とかそういうのじゃね。おそらく世間や医療ではこのタイプを想定しているから人格統合しましょうみたいな話になるのだろう。この場合人格統合とは葛藤の解消と同義になってしまっている。だったらまぎらわしいから解離なんていう特殊な概念を使わずに素直に適応障害とか統合失調症とか言ってほしい。そっちのが治療方針も明確になるだろうに。

これあれだ、domsubタグで暴力的な凌SMを書いて検索汚染するのやめてみたいな話だ。医療はpixivよりゆるゆるだからなぁ。加持祈祷や呪詛の時代と変わらないレベル。

 

二つ目

で、もう一つの『著しく苦痛であったり社会的機能の障害の障害をもたらす』になる理由はあんまり注目されないんだけど、感情が第二外国語化している自分と感情が母国語化している他者との軋轢なのではないかと思う。感覚が普通とずれているという意味では発達障害の困難に近い。

 

感情が第二外国語化している場合、一人でいるときには何の困難もないです。むしろ余計な感情がなくてすごい楽。でも常に感情を要求される社会にさらされると、常に苦手な英語でマシンガントークしてるようなプレッシャーがあります。ちゃんと意図が伝わってるかな、相手の逆鱗に触れてないかなと常に他人の顔色を伺う必要があってすごい大変。

さらに第二外国語化が進行すると、記憶障害もでてきます。人間は興味のないものを覚えることができません。だから感情=人間関係への興味が欠落すると、自分は誰か、今自分は誰と何を話しているか、目の前の相手が誰なのか、なにもかも分からなくなります。短期記憶の中のエピソード記憶だけが障害されている状態とでもいえばいいでしょうか。

でもほかの記憶や知能は障害されていません。むしろ余計な外界からの情報がなく集中できるので普段より高い能力を発揮できたりします。

なので「ここはどこですか?」「あなたはだれですか?」なんていう質問にすら答えられない、なんなら体に力が入らず座った姿勢を保てなかったり、どっからどう見てもヤバい状態ですが、IQテストをすると普通に140くらいあったりします。

なので、解離(感情の第二外国語化)だとIQは通常または微増、統合失調症(強い葛藤)だとIQが低下という判定法はどうでしょう。わりとわかりやすい指標だと思うのですが。でもこれだと普段のIQが分からないと判定できないから現実的ではないかな。

 

で、解離で記憶障害まで出る状態になるとたとえば立食パーティのようなウェイの集まりに行くのが困難です。忖度で生きているウェイにとって他人の顔を覚えるというのは死活問題ですから。ほんとまじきつい。でもあいつらコネと根回しオンリーで生きてるしコネの外にいる人を平然と叩き潰すのでどうにかウェイコミュニケーションを身に着けたい。でも好きでもないぶっちゃけ嫌いな人たちに興味を持つとか無理。

どうすればいいんだ…