私は、自分の能力なんてたいしたことないし学歴や業績も全然ゴミレベルだと思っている。私のサクセスなんてとてもじゃないが自慢できるようなもんじゃない。
って、思ってる人っていっぱいいると思うんだよね。
大半の人は、「私なんてせいぜい国立の文学部出た程度だし」だとか「中小企業にやっともぐりこめた程度だし」だとか「センター試験で全然点とれないし」とか、そんな感じに「自分なんかべつにたいしたことないしエリートなんかじゃない」って思ってるんじゃないかなと思う。自分を卑下するとかじゃなくて普通に「私なんてそんなもん」って。
だけどさ、それってたぶんさ、非エリートの人からみればとんだマリーアントワネットに見えるんじゃないかという可能性に今おののいている。
以下引用。
『レイシスト』とか『バカ』呼ばわりするのをやめてくれ。わたしたちはそうではないからだ。なぜそうではないかを説明する我々に対して耳を塞がないで欲しい。それと、笑いものにもするな
我々がどんな生活を送っているか想像もつかないんだろうな
黙れと言わたり、悪者扱いの気分になるのはもうこりごりだ。
リベラル派は、彼らが分裂ではなく団結を求め、誰でも受け入れるといいながら、人口の半分を占める人々の知的レベルや彼らがいかに現代世界から取り残されているかについてコメントする時、そこには偽善が存在する
いや、たぶんさ、実際リベラル派がトランプ支持者に明確な悪意を持って『レイシスト』とか『バカ』とかの罵声を浴びせたこともあったと思うんだ。それはほんとにもう鬱憤をトランプ支持者にぶつけるリベラル気取った奴が悪い。
だけどおそらく彼らの憤りの本質は子供じみた癇癪をぶつけられたことじゃない。
彼らは、我々のあり方そのものに怒っているのじゃないだろうか。
「私なんか国立文系だし」とかそれ国立って時点で超エリート。むしろ大学行けてる時点でエリート。奨学金無しで仕送り貰ってるとか貴族並みの金持ち。
「中小企業にもぐりこめた程度だし」って採用通知来てる時点で選ばれしもの。
「センター試験で全然点とれなかったし」ってセンター試験受けてる時点で天才。
ていう価値観の人が世の中には普通にいっぱいいるってことに私達はそろそろ気づいたほうがいい。そしてそういう人達は私達が普通に話しているだけですごく追い詰められた気持ちになるということにもっと配慮しなくてはいけない。
こちらの方の記事はほんとうに目からウロコだった。
能率悪くしか仕事ができないとか、え、それほんと?努力が足りないとかやる気がないとかそういうレベルじゃなくほんとにできないとか、全然想像できない。
ちょっとマジレスすると、こちらの記事の方はいくつかの問題点を混同してんなとは思う。
おそらく元記事で言いたいことってのは
- 日本の会社無駄が多すぎ→無駄を減らすのは大事。
- でも能率よく仕事できない人もいる
ていう2点だと思うのね。でも1と2の問題点は対立しない。無駄を減らすことと、個人の仕事スタイルを尊重し自分の能力にあった仕事を選べるようにすることは矛盾するどころかむしろ表裏一体だ。
でもここで元記事の人は問題点2に複数の要素を詰め込んでいて、
- 単純に能率が悪い人がいること
- クリエイティブな仕事には無駄な時間が必要なこと
- ベンチャー企業ではアホほど無駄な時間が必要なこと
これらはそれぞれ別の問題。そしてクリエイティブかつ無駄な時間や、ベンチャーかつ無駄な時間というのはこれもうサラリーマンの範疇越えてるね。そういう無駄な時間を使いたいならサラリー外でやるか管理職に昇進すればいい。サラリーで雇用している人にそんなことをさせること自体が問題。
単純に能率が悪い人がいること、これが今回の問題点で、普通に定時で上がれてしまう人が「この世には自分よりずっと能率が悪い人というのが存在する」ということに気づけなくて、能率が悪い人にまで自分のペースを押し付ける形になってしまっているという構造になっている。
だから、私はやっぱり残業はなくしたほうがいいと思う。その結果定型発達しかサラリーマンになれない社会になって、その代わり、能率が悪い人やクリエイティブ気質だったりベンチャー気質だったりする人はサラリーマン以外の道をおもいっきり手厚くするのがお互いのためじゃないかな。
て、思うんだけどそう言うと今度は「サラリーマンになれるほど優秀じゃないのに自分の才能一本で勝負する気概のない人」がごちゃごちゃ言ってくるのよねぇ。むしろそういうタイプの人が一番不安を抱えていて一番攻撃的だ。
でもやっぱ「安定して稼げる能力はないのに安定にしがみつきたい人」が安心して不安定を選べるくらいがっつり社会を整備するしか解決策は無いんじゃないかなぁ。
追記。
残業禁止にされたら死ぬ、という発想になってしまう人というのは何を見ているのかについて考えてみた。
あとなんか残業禁止問題についてすっぱっとさっぱり答えを出してる人がいた
あっさり見限って独立しちまった私からするとADHD増田のコミュ力がカンストしすぎてまぶしい。
私なんかこないださぁ、受験で苦労した思い出しゃべってたらなんか急に泣かれたんだけど。「センター試験なつかしー、英語苦手でどうしても満点とれなかったんだよねぇ」って思い出話のいったいどこに自慢要素があると?むしろセンターで点をとりこぼすとかこっぱずかしい思い出でしかないじゃん。
私は私の在り方のどこが相手の地雷なのかさっぱりわかんない。
だけど私はただ存在しているだけで彼らの怒りを買う。私は強者で、彼らは私に踏みにじられる弱者だ。彼らは数が多く声が大きく政治力を持ち私を追い詰めてくるけれど、それは窮鼠が猫を咬んでいるのであってあくまで彼らの心情の中では彼らは弱者で私は強者なのだ。そして自分は弱者で自分のやっていることは聖戦なのだと信じ込んだ側の残虐さは歴史が示している。
私は彼らに追い詰められていると思っている。
彼らは私に傷つけられたと思っている。そして報復は正当な権利だと信じている。
この負のループを断ち切るためには、自分と相手の行動原理をメタ認知しなければいけない。ということはメタ認知ができるほど頭のよい側が行動を起こさなければ戦争まっしぐらだ。