アスペルガーとは曖昧な自然言語より厳密な計算言語を好む性質である、という定義でいろいろ考えて、やはりアスペルガーは人間やるのあんま向いていなくて大変そうと思いました。連休なにそれおいしいの。
計算言語を好むのであればプログラマとかになって同じく計算言語好きな人とつるんでれば解決じゃん文系分野に出張って来ないで。と、思ったんですけど、人は計算言語のみで生きるに非ずでそれはアスペルガーでも同様らしい。
どうやら彼らにも私達と同じく感情という厄介なものがあり、褒められたら調子に乗るしおこられたら凹む。なのに彼らは自分の感情を自分で自覚して解決する能力が低いからちょっとしたストレスでも子供のように癇癪をおこす。
……のか?な??
あってる??
いや文化資本がなくて感情の扱いを学べなかったとか間違った方法を学んでしまったとか、強いストレスがかかって対応できなかったとかはわかる。そういうことはよくある。こじれまくると再学習が大変なのもよく分かる。
でも感情を扱う能力そのものが低いってどういうことなの。てかそもそも感情を扱うのに能力とか必要なのみんな普通にできるでしょ。
でもたぶん私は自分自身の身に降り掛かったことについてとそれに対して湧き上がる私の感情についてとてつもなく膨大なことを考えています。私は私以外の人のことを知らないので私が普通ですがたぶん私以外の人はこんなに考えていないし考える環境と能力が無い。
おそらく私は感情という曖昧でいいかげんなくせに協力な衝動に関してエリートでありノーブルで、パンがなければケーキを食べて生きていけるけど多くの人はそうじゃない。
前回のエントリで、アスペは絵画に意味を見出さないから気持ち悪い萌え絵の気持ち悪さに気付かず平然と開示する仮説を書きました。
でも、どんな絵でもよかったはずなのになぜ彼はわざわざあんな甘ったれたミソジニー丸出しの不快な絵を開示しようと思ったのか。そこには彼の感情が介在するはずなのに、彼自身が自分の感情に無自覚だから平然と中学生時代の黒歴史ノートを御開帳できちゃう。
彼が自分の内面を分析して「自分はこの絵の中のイケメンキャラに自己投影して、無力で無抵抗で従順な都合のよい存在を女性という性に投影し所有する願望を形にしたのだ」とか思えたら、少なくとも身勝手な願望を投影した女性と同じ性を持つ人にあのゲームを薦めることはしないと思う。
彼は自分がゲーム内の女奴隷キャラに何を投影しているかすら自覚していないのではなかろうか。女さんがぼくちゃんとセックスしないのはさべつぅぅぅとか言ってるやつらも同じ。逆に、萌え絵焼き殺せとか言ってる奴も、自身が萌え絵に何を見出しているのか自覚していないっぽい人が多い。
彼らは感情なんかどうでもいいから雑に扱うのではなく、感情の扱いが下手だから大切なものを雑に扱ってしまうのではないか。
結局必要なのは丁寧な説明と情操教育なのよな…
感情を扱う能力自体がない、についてはまたこんど考えます。