雑記帳

チラ裏なつぶやき。鬱々しい。

『当たり前の常識』を疑ってみることのできないタイプの人達について

昔なんかの飲み会かなんかでいいかげんな心理テストみたいなのが話題になって、「もしあなたの進む道に到底越えられない大きな壁が出現したらどうしますか?」って聞かれたことがあって、私の答えは「アクセル踏み抜いて壁に突撃。それでも突破できなかったらダイナマイトで爆破。それで無理なら核爆弾で壁と心中」だったんだけど、私以外の人は「あきらめる」とか「抜け道を探してみる」とか答えててちょっとカルチャーショックだった。

 

私は「そこに壁がある」と認識した瞬間テンションが天元突破して全力でぶち壊しにかかるのね。壁を壊すということが最優先になって他のことがどうでもよくなる。どうやらその性質は遺伝らしくて、血族の女性のほとんどは私みたいな好戦的な生き方をしているから女ってのは制約をぶち壊すイキモノなのだと思ってた。今よりずっとジェンダー規範の厳しい昭和初期を生きたばあちゃん連中なんか北斗の拳並みな脳筋ばっかだから、私なんか全然普通の穏やかな性格だよね、って。

 

でも大概の人は壁の内側で小さく生きることを選択するらしい。

たとえば、会社がブラックだった→ブラックな会社で生き残ることを考えよう

って考え方が私には全然わかんない。会社がブラックだと認識した瞬間にいかにブラックを粉砕するか考えるよね。それかブラックじゃない稼ぎ方を探すよね。なんでわざわざブラックにしがみつくの。

親が毒親だった→大人になってからも親と会うのが苦痛

とか。毒親だと気づいたんだったらさくっと縁切ろうよいつまで親で消耗してんのもっと楽しいこと考えようよ。

介護が大変→介護のために仕事やめてさらに詰み

とか。まず福祉サービスフルでつかって、それでも駄目ならさくっと殺す。日本は安楽死認めてないけど大丈夫抜け道はいっぱいある。どうしても殺せないなら縁を切る。自民党改憲草案が通らない限り、こちらが拒否すれば責任を負わずに済む。死に掛けの人につきあって地獄に道連れなんて誰も得してないじゃん。

 

とか、私はそう考えてしまうし実際そうやってさっくり他人を見捨ててきたし見捨てられてきて、人生なんてそんなもんだと思ってきた。

 

だけど大半の人は私とは全く違う考え方をしていて、なんかほんとすげぇって思う。だって私ブラック企業で大人しく社畜するとか絶対無理だもの。毒親と嫌々でも交流するとか心広すぎだと思うもの。介護とかしたくないしされたくもない。

てことで、壁の内側でいろいろ我慢しながら現状維持するタイプの人達はほんとすごいと思うし彼らの選択を理解はできないにしても可能な限り尊重したいと思っているのだけど、彼らは私を尊重してくれないことが多くてそれどころか足を引っ張ってきたりして、意味が分からなかった。

 

で、もしかしたら彼らは「壁を壊さない」という選択をしているのではなくて「壁を認識し壊す方法を模索するという発想や能力が無い」から「仕方なく壁の内側で生きている」のかな、と思ってみたら彼らの行動が少し納得できるような気がした。

 

「残業を無くそう」というスローガンが「残業しなきゃ一人前に仕事できない奴は切り捨てよう」に聞こえてしまうというのは、現状を変えるということが想像できないからなのかな、と。

「残業を無くそう」には大前提として、「そもそも時間で区切れる仕事以上をサラリー雇用の人に任せない」とか「その人にあった仕事量をこなすだけでちゃんと生きていける雇用体系を作る」とか「自分の食い扶持を稼ぐ能力の無い人向けに福祉を充実させる」とか「その人の特性にあった仕事を自由に選べるシステムを作る」とか、そういうのがいっぱいくっついている。

 

 でもその隠れた前提を見ずに現状のまま残業を無くすという表層だけを聞けば、そりゃ能率よく仕事ができない人を切り捨てることのように聞こえてしまうよねぇ。

 

 

なんかその辺に、「リベラル派はトランプ支持者をバカにしている」とか言われてしまうすれ違いが生まれる原因が潜んでいそうな気がする。