雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

やばいグロ画像をみたくなる心理になっているとき

パソコンの閲覧履歴がとても放送できない感じになってる。

グロ画像を見たい気持ちのときは割と心が凪いでいるというか、お化け屋敷に行ってきゃーきゃー言うのとは全然違う感じがする。どちらかというと癒しの猫動画と同じカテゴリだと思う。あと人間脆すぎ。肌がむき出しだから変色や腐敗がばっちり分かって陸上生物というより海の軟体動物に近いのに無駄に内臓や骨格が丈夫だから解けているのに原型をとどめているという中途半端な状態になる。

グロ画像を癒しの環境ビデオと同じ気持ちで見るという趣向はわりと同士がいるけど、あれはいったいなんなんだろう。別に実際に誰かを殺したいとかそういう気持ちではない。自分の生死すらめんどいのに他人を殺す気力なんかない。ていうかほんとに生の内臓を見たいなら猫でも狸でも捕まえてきて解剖してると思う。そういうのではなくて、ぼーっとして気力のないときにエンドレスで流したい。

 

 

と、がんばって自分のことのような文章を書いてみた。

 

 

まぁ実際はグロ動画を見ているときのことは全く覚えていなくて履歴をみてぎょっとするわけですが。全体的に赤黒い。鮮血系はわりとネットに落ちてるけど腐敗系をよくこんなに見つけてきたな。多分明らかに違法サイトというか死体遺棄や下手すると殺人なんで本格的に犯罪サイトなんだけどいろいろと各方面に大丈夫だろうか。なにやってんだよ私。

以前は気づいたらわりと血まみれということがあったんだけど、同じルーツなんだろうか。次から次へと繰り出される見た目が派手でぎょっとするけど後遺症が残らない深さで感染予防も万全というバリエーションの豊かさと発想力と行動力に匠の技を感じて我ながら感心した。あの自傷は何がしたかったんだろう。今私は自傷の代わりにグロ画像を見ているのだろうか。それとも別に関係ないのか。

いきなり失踪して温泉や海外に行っちゃったりする系の行動はなんとなく目的が分かる気がするのだけど流血系はなんなんだ。

 

 

 

 

 

できないのは思いやりがないせいだというのは全員を追い詰めるという話

発達障害に対する定型発達の反応として、いちいち指導すんのうぜー!となるのは当然だろうと思うけれどそこで愛や誠意を疑うというのはアスペルガー側の問題ではなくて定型発達側の愛着障害的な部分の問題だと思う。

愛があればできるはず、ではないし、愛があれば耐えられるはず、でもなくて必要なのは互いにとって心地よい環境を維持するためのシステム構築で、構築のための労力を誰がどれくらい負担するか、でしかない。今システムを作る余裕が無いんだったら別居なり実家なり福祉なりあらゆる手を使って外注して余裕を作る。システムを作る熱意が持てないほど関係が覚めているなら関係解消を視野に入れて話し合う。いずれにせよお互いに考える余裕ができるくらい体力を回復しないと。

 

と、この増田さんを読んで思った。

b.hatena.ne.jp

 

あとこの記事も思った。

tsumugugumu.hatenablog.com

なんでわざわざ遅刻癖のある友人と待ち合わせすんの?仕事なら仕方ないけど遊びだったらつきあうのやめればすむじゃん。イライラするのが趣味なの??

あと自分は苦労して遅刻しないようにしているから相手が平気で遅刻するのがむかつく、というなら自分も遅刻すればいいじゃん。10時集合なら12時に行けばいい。遅刻やごまかしは重罪という価値観を絶対だと思うな東南アジアなら3時間遅刻がデフォやぞ。国際線ですら機長が寝坊したから遅れまーす♪とかやってるぞ。

自分でハードル上げてゴールポスト動かして他人がそれを守れないからといって怒っている人はわりといて、なんか大変そうだなと思う。

 

 

これに対する反応も。

b.hatena.ne.jp

パンプス履く自由を奪うな、みたいなのがあってなんか大変そうな人だなと。そういう人の言う「自由」というのは「みんなが私と同じことを感じ同じ物を好むこと」でそれはもはや自由ではない。

 

 

 

いっそ思いやりが無いとかサボってるとか詐病だとかそういう概念を無くしたほうがいい。今困りごとが発生しているのだから原因なんかどうでもよくて困りごとが発生しないような状況づくりに全力を注ぐべきだ。今高熱でフラフラしているのであればインフルがどうかの診断書はどうでもよくてちゃんと休んで体力回復するほうが優先。原因がインフルでも肺炎でもただの風邪でもブラック徹夜を続けていたらいずれ再発する。

 

 

 

以下自分語りです。

相互理解とか人類には早すぎる。

 

私は高IQな上にちょっと特殊な才能があるので、普通の人には理解できないものが一瞬で理解できたりする。そうすると他人がどうしてできないのかが理解できなくて、悪意があるからわざとやらないだけなのではないかと思いがちなのだけど、基本的に全人類に悪意は存在しないという性善説的な価値観で接するようにしている。慈愛や博愛とかではなくてそうしないと精神がもたない。

 

私が普通の人と意思疎通するとどういうことが起こるかというと

 

私「1+1は2やで」

相手「え、なんで!?1しか出てこない式のどこから2が出てくるの信じられない」

私「ここにおはじき1個あるやろ。こっちに1個あるやろ。ほら二つになった」

相手「ほんとだすげー!気づかなかったうわーー!!二つになってる!」

みたいなことを四六時中繰り返しているわけです。正直、馬鹿にしとるやろおまえ、と思う。けどそこでこんな簡単なこと分からないなんてナメるのも大概にせぇやとか言うとめちゃくちゃ怒られる。

 

まぁこんなの序の口で、さらに

私「で、1+2は3やで」

相手「えっ、そんなことあるわけないだろ1+1は2って言ったじゃないか!」

私「うんうん、気持ちは分かるよ1+1は2だもんな納得できないよな」

相手「そうだそうだ1+2は3なんて嘘だ!」

私「ちょーっとおはじき2個持ってみようか。そんでおはじきもう一個持ってみて。いくつになったか数えてみ?」

相手「1,2,3…あれ、3だ!3が出てきた!?」

私「つまり1+2は3だ」

相手「信じないぞ最初からおはじきは3つあった!」

私「せやな、二つと一つで合計3つだ」

相手「じゃあ1+1は2っていうのは嘘だっっていうんですか!?」

みたいな感じになるわけです。もはや頭が悪いとかそういうレベルではなくて何か高度に哲学的な禅問答的なことなのかもしれないという不思議な気持ちになる。脈絡なく普通じゃないダリの絵を見たときのような。

さらに言えばこんなのまだ相当レベルの高い会話で、ほとんどの人は1+2の話をするころには1+1の話は忘れている。一生懸命説明したのに。なんかもう話の内容とかどうでもよくなってああ今日も空が青い宇宙って広いんだな…という気持ちになる。というかそれくらいの気持ちでないとやってけない。なんで分からないんだろうなんでこんなことを言うんだろうとかいちいち真面目に考えていたら頭がおかしくなる。

逆に私が不得意な分野についてその道のプロに聞くと同じ反応をされる。なんでこんなことがわからんのだ目の前で起きている現象を見るだけじゃないかなんで1分前に説明したことをもう忘れてるんだわざとか俺になんの恨みがあるんだ。みたいな。いやお互いにそういうのは慣れっこだから別に本気で怒ったりはしないけど、歯がゆいよねわかるごめんねーとなる。

それにたとえば、真心があれば200キロの球が投げれるはずたとか100m9秒台で走れるはずだとかトリプルアクセルできるはずだとか要求されても無理。

それとか、犬や猫に扉が開けられないのも同じ。手足が器用でなくても原理が分かれば何かしら工夫してドアノブを回すことはできるだろうに、たとえ飢え死にするくらいの状況でもドアを開けるという発想に至らない。

 

なので、できないのはなまけているからだとか真心があればできるはずだとかいうのはデマです。そういう問題じゃない。見えているものが違いすぎるだけ。

ほんと、みんな別に悪意があるわけじゃなくてほんとに本気で分かってないだけなんだよね…むしろ私の説明が下手すぎるっていうか、相手の認識が理解できていない私のリサーチ不足の問題なんで。

 

 

 

 

と、日々己に言い聞かせて仕事してる。

 

 

 

 

 

 

 

 

あーほんともう、真心があればステキな会話ができるはず空気読めないのは私を愛していないからとかどこのアントワネット様だよ!

そんな勘違いできるとかうらやましいと思うと同時に生きにくいだろうなと思う。気に食わない奴はみんな悪意を持っているとか周りの人が全員敵みたいな感じなのできっと戦場サバイバルみたいな気持ちで日常生活を送ってるのだろう。

 

 

男性への性加害を軽視する風潮について

正直ドン引きしたのだけど、加害や不名誉とは社会が規定するものであり変化しうるものなのかもしれないというのを考えたので書く。

 

小学生男子に性的な行為をした女性が逮捕された件で被害者と容疑者のツイッターがまとめられていてそれに対してうらやましいとか男の勲章とかいう感想が上がっていた。

この事件がもし男女逆転していたら問答無用でポリコレ棍棒やフェミ棍棒が発動して類似事例のmetooからの失脚祭りに発展してがんがん燃やし尽くされる案件だと思う。

 

なのに男性論客が誰一人「これは加害である」と明言しないのが闇深い。

え、なに年上のおねーさんとセックスするのは男にとってご褒美なん?二次創作じゃないよ現実に起こったことだよ?

 

だって小学生女子がネトゲで知り合ったオッサンを頼ってたった一人で縁もゆかりもない土地に行ってオッサンとセックスしまくってました。とかもう想像するだけで胸が締め付けられる悲惨な状態じゃん。なんでそんなことしなきゃいけないほど追い詰められちゃったの福祉と周りの大人は何やってるんだ。そんな子とセックスしてあまつさえ「合意の上だった相手も喜んでいた」とか発言するオッサンは万死に値する。

 

 

この事例のキモは小学生がわりと能動的だったことで、わざわざ電車に乗って女性に会いに行ってそこで女性と「みだらな行為」をしたのだから小学生のほうも合意があったんだろ綺麗なお姉さんとセックスできてうらやましい。という思考の流れになりうるのだと思う。思いたい。まさか被害者が男性で加害者が女性であれば強姦でもうらやましいとか言う鬼畜はいないよな…?

でもやっぱり女性被害者のほうが悲惨、というような気持ちは正直私の中にもある。つっこむより突っ込まれるほうが被害が大きい、みたいな。確かにレイプされた後にモーニングアフターピルを飲まなければいけない女性のほうが身体的ダメージははるかに大きい。

逆に加害者目線で考えてみた時に、女性加害者と男性被害者であればせいぜいカンジダうつされたとか擦りすぎて亀頭から血が出たとかそんな程度にしか加害できないけれど、男性加害者と女性被害者であればその場で傷付けるだけでなく妊娠させることもできるしホルモンバランスを含め長期的に体の内側を蹂躙することができる。*1加害者の目的が支配であればやはり男性加害者のほうがより強力に目的を達成することができる。これが男性のほうが性犯罪に走りやすい理由かもしれない。加害したい女性は性犯罪以外の方法をとるのではないか。

 

そういう勝利条件と敗北条件の差異というのはあるとしても、やっぱり大人とセックスする小学生の子供に対してうらやましいという発想はおぞましいと私は思う。

でも果たして本当におぞましいのだろうか。自己決定権やら自由やら権利やらという現代的観点でみたときに、選択肢の少ない子供に対して何かを強要するのは悪なのだけど、自由なんかくそくらえなエセ保守の皆様方にとってはモノにしたオンナの数が勲章なのかもしれない。

 

なんだろう、なんか、古代アステカでは生贄になって神に身を捧げるのが最高の名誉とかそういう話を聞いたような気持ち。なんで会ったことも無い神のために死ななくてはいかんのだという現代的な観点を古代アステカに持ちこむのは文化的侵略で、たぶんコンビニのエロ本を撤去するのが侵略と感じられる人もそういう気持ちなのでは。そういう人たちを同じ文化を共有する人間として扱うこと自体が間違ってる気がしてきた。

 

 

 

 

 

 

*1:ここでは挿入からの射精というテンプレセックスを強要することのみを想定しています。それ以外の暴力や傷害は想定していません。

現在進行形で自分の子のことをあんまり好きではない親なんだけど。

よんだ。きっつい。そしてこれをきついと表明してちゃんと認められる世の中になったことがうれしい。

ただ子供目線での一方的な断罪でしかなくて、毒親の連鎖を断ち切るための方法が「親が鋼の精神力でがんばる」だけなのでそこがつらいなーと。がんばるだけですむなら警察も福祉もインフラも人権も憲法もいらないんで。物理的に無理なものは無理なんで。無理しないで作者さん。

note.mu

 

 

 

正直、自分の子をそんなに好きではない。

一応ちゃんと家に置いているし物理的には不自由させていないしできるだけ手をかけて育ててはいる。でもたとえば彼女が私の同級生であれば卒業まで一言もしゃべらない関係だろうと思う。

 

そもそも私は非モテでコミュ障で喪女でオタクで陰キャでセクマイで複雑な家庭でわりと虐待とか受けてる精神疾患持ちの狂人と紙一重の天才なので、だいたいの人とは話が合わない。まして怒鳴られも殴られもレイプもされず毎日自由に出歩いて友達と遊び温かいご飯が食べれる干支が何回りか違う未だにサンタさんなんかを信じている女の子と話が合うわけがない。

そんなリア充と仲良くとか無理に決まってんじゃんコミュ障なめんな。いっしょの部屋にいるだけで怖いし泣きたくなるし病む。できるだけ話したくないし目を合わせたくもない。

親を普通に信頼してるとかありえん。あいつの見ている世界が想像できない。同じ地球に生きる同胞って気がしない。

現状の核家族の中での子供にとって親、とくに母親は絶対的な愛情と信頼の対象である、というのは私にも理解できます。どんな仕打ちをされても子は母親を信頼しようとする。外野がどんなにそんなクズ親捨てちまえよ!と言っても深く愛しそれゆえ苦しむ。そういう愛なら分かります。

でもそうじゃなくてライトにお手軽にキティちゃんを愛でるような気楽さでママ大好きっていうのがわからん。私はただ衣食住を提供してこの世の理をいくつか説いてあとは割り算とか因数分解とか教えたり博物館や美術館やディズニーランドに連れて行ってやったりしただけのババアやで?便利に言うことを聞いてくれる都合の良い養育者として重宝されるのは分かるけど好きとか思うほど重要な存在ではない。アッシー君やメッシー君扱いで十分。

わかんねーよほんとあいつの考えていることがわからない。砂糖菓子とスパイスといろんなステキでできた彼女と才能と怨嗟と諦観でできた私は絶望的に共通点がなくてせいぜい天気の会話くらいしかできない。仲良くするとか無理。ディズニーランドにはつれていってやれるけど、一緒に笑顔になることはできない。ミッキーと写真撮るとかちょっと死んで来ていいですか。

 

彼女と私には共通の楽しめるものがない。だから二人で時間を過ごすということはどちらかがどちらかの顔色を伺うことでしか成立しない。私もいい年した大人なので、お友達がどうたらプリキュアがこうたらいう話を黙って聞くことは苦痛ではあるができなくはない。相槌を打つこともできなくはない。でもそれは大量の文章を食ったAIが現状に即した言葉を吐いているにすぎなくて共感は成立しない。

 

そんな私はどうするのが正解でしょうかね?

オフの時間は全て好きでもない子のために潰してご機嫌伺いすべき、なんでしょうきっと。そしてプリキュアポケモンを好きになりミッキーと写真を撮れ母親なら愛しているならできるはず。

むりだわー。できるならとっくにそうしてるわー。こんな不安定な仕事してないわ普通に就職するわーwwていうかそれ可能だったらこんな波乱万丈人生送っとらんわwww

 

 

私の場合、そこで「あー無理だよねそりゃ無理だよむしろちゃんと養育してんのすげーわ」と言ってもらえる事情がありました。そしてどうしても無理だったら子を手放すという選択肢もあった。むしろ手放して当然扶養義務もないのに伊達と酔狂だけでリソースごっそり削って家族ごっこしてんのウケルwwくらいの扱い。だからこそ子を好きになれないなんて平然と言い放てますしそれを言ってもいまさら誰も傷つかない。休日に子と目を合わせずにいないものとして扱うなんていう非道も罷り通ります。

 

だからこそ私は彼女を憎まないでいられる。

彼女は砂糖菓子のまま私に養育されていられる。

 

子育てとは全然関係ないのですが、最近私はとある分野から足を洗いました。憎くて憎くて生涯の大半を憎むことに費やしむしろこれは深い愛なのではないかと思いかけていたその分野ですが、関係が途切れた途端完全に興味関心が途絶えました。別に私はその分野に関しては毛一筋ほども関心が無くてそんな心底興味のない分野への関心を強制されたことのみを憎んでいました。n=1の私見ですけれど、憎しみはそれ単体では単なる無関心でしかなくて、関係を強制されたときに初めて発生するものではないかと思います。いじめもセクハラも出会ったことの在る人にしか発生しません。縁もゆかりもない名前も顔も知らない人をいじめることは不可能です。

 

だからもう、毒親とかそういうのやめたほうがいいと思う。あるのは毒親ではなくて毒親になってなお解消できない関係を唯一のものとしてしまう社会構造の歪でしかない。

だいたい親に絶対の愛着を持たせるのがリスキーすぎる。親も子も互いを選べないのに永遠の愛を誓うとかあまりに無謀。結婚相手をリセマラ無しガチャで選んだら破綻するのは誰でも分かるのに親子ガチャは一回で成立させて成立しなかったら人間じゃない犯罪者とか認知の歪みこわい。むしろそれで成立してる現代社会がやばい。どんなクソゲーだ。

 

あと、私の子としても私に養育されるのはわりとメリットあるなと思います。

いや彼女のメリットは彼女が決めることなのでこれは現時点での私の想像でしかないのですが、彼女はたぶんごく普通の家に生まれ育ったらごく普通の女の子になれる素質のある子です。何の疑問も持たず学友と学校に通い卒業して就職して異性と結婚して専業主婦になって、というあたりまえの外側にある多種多様な事情を知る機会も無かったでしょう。純粋培養で脳みそスポイルされて頭の固い大人になってから様々な理不尽にいきあたりイタい醜態を晒すよりは子供の内から意味の分からない事情持ちの存在を認識して世界の多様性を知ったほうがたぶんいい。そして平和裡の多様性は無関心と同義で、そこで無理に関心を強要するから憎しみが産まれる。

それに私は彼女を私とは全く別の存在と認識しているので彼女に何かを期待することはありません。それも一応メリットではあると思います。私の望む良い子でないことなんかいまさら驚きもしない。だいたい不登校にもならずいじめにも合わない時点で想定外すぎて今後どうなるかどうなってほしいかなんか考えられない。総理大臣になってもノーベル賞とってもシリアルキラーになっても驚かない。好きに生きてください。

 

普通のご家庭がどういうものなのか全く知らないので想像なのですが、いろいろな人の反応をみるにたぶんみんな「平然と存在する多様性」と同居する経験が少なすぎるのではないかなと思います。円満な家庭で育った人は自分と異なる価値観があることを知らずに育ち、毒親みたいな相性の悪い家庭で育った人は蝕み脅かす多様性しか知らない。社会全体が見捨てられ不安の情緒不安定な女の子みたいになってる。

 

 

 

なんかもういいじゃんみんな気軽に子供が嫌い親が嫌い顔も合わせたくない同じ空気を吸っているだけでむかつくって言おうよ。嫌いなら嫌いでいいじゃん殺し合いしてないんだからほめてよ無理に仲良くさせようとすんなそれが憎しみの根源だ偽善で家族を壊すなら人殺しの顔をしろ。

 

 

 

なんか悲しくなった人はこれ読んで落ち着こう(宣伝)

 

オハナホロホロ (1)

オハナホロホロ (1)

 

 もっと悲しくなりたい人はこれ読もう(宣伝)

 

 

 

医療と社会の統計を否定することと信じることの危険性をできるだけ分かりやすく説明する試み

主張の根拠として統計を持ってくるとなんとなく納得させられてしまう人がいるらしいので、専門用語を一切使わずにふわっと書いてみる。

 

長くなるので先に結論をまとめておきますと、統計というのは数千人とか数万人という大きな数を扱う際に必要なものであって個人レベルではぶっちゃけ全然参考にならないから自分の信じたいものを信じることしかできないよ。ということになります。

gendai.ismedia.jp

 

 

 

 ただ結局自分の価値観を守るために統計を持ちだすような人たち、知能が遺伝する(だから階級は固定であるべき)とか男性のが強い(だから男性は地位が高くて当然)とか主張したら学会を追われて差別だ!とか言い出す人は現状のポリコレ的な流れにそれだけ追い詰められていると感じていて彼らをなだめて差し上げないと社会不安につながるから無視できないというだけのことなんだろうなと思います。いままでどんだけ甘やかされてきたのそんなにつらいならさっさと来世に期待なさってくださいなと思うけど。

 

 

 

 

たとえば、60%の日本人男性の靴のサイズが27センチだったとします。

日本人男性100万人に早急に靴を用意しなければいけないサイズは1サイズのみ、という状況が発生したとしたら、27センチの靴を用意するのがベストです。(分散や標準偏差とか面倒なことは考えないことにします。)実際には27センチより大きい人も小さい人もいるでしょうが大きく外れる人は少ないでしょう。だから服屋に売っている服のサイズや薬局に売っているコンドームのサイズはある程度絞ることができます。

でもじゃあ、具体的な個人、隣のおじさんとか上司の山田さんに靴をプレゼントするとしたらどうでしょう。27センチの靴なら6割の確率でぴったりだから、と言ってリサーチせずに27センチの靴を買ってくる部下がいたらそいつは無能でしょう。

 

なんか解説しててむなしくなってきた。こんなことも分からない奴が声あげてんの。。。

そもそも統計で役割を決めていいんだったらIQの高いアジア人に白人共は従うべきだし、医師や弁護士や政治家は成績の良い女性がなるべきで犯罪率の高い男性は全て刑務所で暮らすべきだしカマキリのようにセックスの後は女性が男性を食い殺すのが正しい生物のありかたってことになるんで、むしろたとえば男性のが力が強い傾向にあるのだったら逆に少数になりがちな力の弱い男性の権利を保護する方向にいくのが正しい統計の使い方なのに。

IQの高さで社会的地位を決めるのはわりと切実にやってほしい。外見で見くびられて助手の女じゃ話にならない研究者本人を出せと何度言われたことか。つい最近も言われた。あの研究が私の研究だとなかなか信じてもらえなくてめんどい。論文に顔写真つけたい。

 

 

気を取り直してもういっちょ解説。

 

たとえば、自然分娩で祖父母同居で母親が専業主婦で母乳で育った子供の方が健康で頭がよくて性格もいいという統計があったとして、私が我が子を育てるにあたりその統計をどう捉えるか。

まずその統計は正しいか?というのは最低限考えなければいけません。最近日本の統計資料が捨てられてたりするので国の統計でも結構信用ならない。GDPとか。でもそれを言い出すと陰謀論に片足を突っ込むことになるのでとりあえず統計は正しいということにして話を進めます。

そうしたらあとは偽相関ですね。ぶっちゃけ社会学と医療の統計は正しい相関を見出すのが非常に困難というかほぼ不可能です。

自然分娩が子供に与える影響を本気で調べるなら5000人くらいの妊婦を集めて無作為に自然分娩と計画分娩に振り分けて経緯を調べなければいけません。国中の妊婦にある日突然赤紙が届いてお前は自然分娩しろ、あいつは計画分娩しろ、みたいに指示されてて絶対に従った上でその後全員が何十年も経過を虚偽無く報告するというディストピアです。まぁ無理ですしそもそも最終目標は子が健やかに育つことなので家庭を壊してまで得た統計結果に意味は無い。

そうなると妊婦の自由意思によって自然分娩か計画分娩かを選ぶことになって思想とか経済状況とかそういうのと無関係ではなくなります。たとえ自然分娩が最高に安全だという結果が出たとしてもそれは自然分娩を選べるような余裕がある階層は最高に安全だという意味にすぎません。

結局、どれを選んだかというよりは余裕と安全を整えるのが優先というおもしろくもない結果になります。ちゃんと休養して適度に運動してストレスなく好きなことして養生して、それでもダメなら潔くあきらめて死ぬ。おもしろくないけど結局それしかない。公衆衛生最強。

 

あと、なんかの薬がガンに効いたとかそういう系のは実際わりと眉唾です。100%効くとかであればともかく、60%と70%程度の差であればほとんど差は無いと思っていい。実際無作為に患者を抽出することは人権上できないのでちゃんとした医療機関でも普通に患者のえり好みして良い結果でそうな患者だけを集めるとか普通にやってる。グーグルが検索汚染されている程度には研究結果も汚染されています。結局論文データにしやすい情報が勝ちますから。

かといって全ての薬が嘘だとかいうわけではなくてわりとちゃんと効果はあるけど、このあたりのさじ加減を実際統計の場にいない人に伝えるのはとても難しいです。

まぁいろいろ考えずにいい加減なたとえを出すと、100年以内に私は死ぬ、というのはほぼ100%確実な精度で予想できるしその予想を元に人生計画を立てる必要はあるのですが、じゃあ明日死ぬのか50年後に死ぬのかといった細かいことは全然わかんない、というのが統計で、個人レベルではその細かいところが一番気になるところなんで統計なんてどうでもいい、となります。

 

 

あとはワクチン問題とか。インフルの予防接種問題とか。

でも上記二つは統計以前に医療を過信しすぎている問題なのでまた別かな。自然分娩に関しても統計以前の死生観というか思想信条が関わってくるので結局人間は生データをそのまま理解することはできなくて必ず何らかのバイアスを通じて物事を把握しているということを自覚するという話になる。中立で公正な科学的知見なんていうのは存在しない。

 

医療とか統計とかいうヘンに信じすぎると実害のありすぎるものではない安全な宗教が必要なんだろうなと思いました。

 

 

高IQはスモールステップ方式の教育だと落ちこぼれる説

最近教育分野で流行っているスモールステップ方式が鬼門です。苦手なことは細かく丁寧に細切れにして何度も繰り返し練習する、とかやられるとまじで何も分からなくなる。ここはどこ、わたしはだれ??くらいのレベルで自我が崩壊する。

多分私は一つの要素を抜き出して雑音を極力排除しそれを習得する、という理念に根本的に向いていない。そしてそういうタイプは高IQには実は結構いるのではないかと思う。IQ高いといろいろ誤魔化せる知恵もあるから目立たないけど。

 単純な暗記ではなくて、すべての事柄の全ての関係を把握することで物事を理解するからこそ常識はずれの数値をたたき出してしまうのが高IQなのではないかと。単純暗記機能だけが強化されたタイプの高IQが発達障害型と呼ばれるのではないでしょうかね知らんけど。

 

小学校でやった遠足のしおり読み合わせや朗読や九九暗唱や漢字練習が苦痛でしかなかった。単につまんないとか覚えられないとかいうことではなくて、言葉の持つ意味そのものが崩れ落ちて時間や感情や痛覚や空腹感やその他もろもろ、人間としての意識が崩壊する。ある種悟りの境地なのかもしれないけど日常生活にそんなものいらない。

同じ動作を繰り返すとだいたい3回目くらいでゲシュタルト崩壊するので、私にとって勉強は鮮度が命です。30秒くらいのすごく短いスパンでどれだけの内容を詰め込めるかが勝負。どんな分厚い本も基本的に30秒で読みます。30秒で読み切れなかったら1週間くらい間をあけてまた30秒。なので記録媒体としては紙に印刷した大量のテキストが最強です。辞書くらいの情報量の本を何冊も同時に読むくらいがちょうどいい。次点で電子書籍ですが、電子は情報を一覧にできないのが最大の欠点です。

物理本だと厚みや手触りで全体の配置が視覚だけでなく触覚で分かるので全体の論旨を把握しやすい。本棚や図書館単位であの本棚のあのあたりにこういう情報がある、とマッピングできるのもよい。物理本は好きなだけザッピングできるのもよい。電子書籍は検索すると一覧を出してくれるのが便利だがそれぞれの情報が本のどの場所にあったかが分かりにくいので理解しずらい。

 

 

なので視覚優位で文章を読むことで理解するタイプなのだと長年思ってきましたが、たぶんこれ視覚とかいう問題ではなくて単位時間当たりの情報の量が一番多い物が最強なんだという結論になりました。私の場合特に触覚というか、物理と理論を結び付ける能力が非常に高いので、実際に手を動かす実践的な部分もあればなおよし。

となると、視覚と聴覚から多角的な情報が得られる動画解説がもしかしたら一番向いているのかもしれない。

もともと聴覚認知はすごく弱くて、日本語のテレビやラジオすら聞き取れないくらいなので動画もかったるくて嫌いでした。でも私の場合の聞き取れない理由は耳や聴覚認知ではなくて単に情報量が少なすぎて理解できない可能性があります。文章でもある程度長い文章なら全く問題なく読めるのに短すぎる文章だと意味が分からないという現象がたまに発生します。

 

 

↓日本語で書かれてる「日本科学未来館でのチケット販売は開館時間のみ」という文章の意味が分からなかった話

hedgehogx.hatenablog.com

 

 

 

また学校の授業のような講義形式も恐ろしく苦手でした。つまんないとか以前に何を言っているか分からない。今がたしざんの勉強なのか因数分解の勉強なのかすら分からない。これも聴覚が弱いからかと思っていたのですが多分全体像が理解できなさすぎて訳が分からなかったんだと思う。

授業が全然理解できないしそもそも聞き取れなくて高校以降は一人で勝手に教科書を読んでいました。教科書を読み終わったら勝手に問題集やったり他の勉強したりしてた。すごい態度が悪かったけど理解してもらえてありがたかったです。

あと私が講義すると早口すぎて聞き取れないという苦情が来る。あと日本語と英語以外をミックスすんなと言われる。ごめんよ知ってる言語の中で最も必要秒数が少ない構文を選んじゃうんだ…

 

ていうかそもそも話し言葉って情報伝達として不完全すぎやしませんかねぇ?(逆ギレ)

 

一度に一つの単語しか発音できないし、話した傍からログが消えてくし、全体の構造を示せないじゃん。こちとら30秒しか時間が無いのに30秒話されたらせいぜい500文字くらいで終わるじゃん。図とか立体とかも説明できないし。こんなんで教育を成立させようというのがそもそも無理がある。全てテキストにしてAIに食わせて個々人に最適な課題を吐くようにすべき。

 

 

あー愚痴ったらちょっとすっきりした。

 

 

逆に、なんでこれだけ話し言葉を好む人が多いのかを考えてくと普通IQの人の認知機能が少し理解できそうな気がする。

あと動画に関しては3倍速にして4つくらい別の動画を同時再生すると割と捗ることが分かった。ギガがやばい。

 

しょぼい起業の危険性を語るよ

たぶん私もこの人のいう「しょぼい起業」に近いことをしてるのだと思うけど、しょぼい起業はセクハラパワハラ新興宗教搾取の温床だからこれからやりたいと思ってる人はほんと気をつけたほうがいいよ。

えらいてんちょうさんのやっているしょぼい起業は要するに、特殊なスキルのない人が人脈とコネだけでどうにかやっていく、ということで、それは並外れたコミュ力を持つ選ばれし人のみに許された方法です。私みたいに家から出たらすぐに干からびて死ぬナメクジにはとてもまねできません。

#しょぼい起業で生きていく 全文を無料公開します。|えらいてんちょう|note

 

 

そしてコネと人脈で生きていくという戦略は、狭いコミュニティで気に入られなければ即死、という意味です。

狭いコミュニティで気に入られるということは我々のような最下層の後ろ盾のないコミュ障にとっては、町内会の極寒モチつき大会に強制出場させられたり祭りの神輿の組み立てをさせられたりジジイにケツを揉まれたり下手すると日常的にレイプされたり殺人犯に仕立て上げられて逮捕されたり竜神様への供物として投身自殺強要されたりといった理不尽すぎる労働を無償で無限に搾取されることを意味します。永遠に奴隷階級のままたまに投げ捨てられる残飯を漁って感謝しなければいけない。黙っていたら永遠に子子孫孫奴隷扱いです。奴隷階級から抜け出るには特殊な人付き合いスキルが必要で、そんなスキルがあったらそもそも社畜としてうまくやっていける。

濃密な上下関係の中でうまくおべっか使ってのし上がれる人、具体的には田舎の法事で居心地良くビールを飲める属性とメンタリティを併せ持つ人でないと人脈ありきの仕事はきつい。

 

えらいてんちょう式起業メソッドで一番重要なのは「いかに最下層からのしあがるか?」です。

 

そしてそれが誰にでもできるなら奴隷階級なんて存在しないわけで。

だけどそのあたりは一切書いていない。無料の奴隷仕事が舞い込むようになったらいつの間にか有料の仕事も入るようになりました☆ってそれどんだけ選ばれしものなの。

人付き合い無理すぎて一人で商売を始めた私にとっては、無料でよってきた客を有料にシフトする方法なんて想像がつかない。駅前で無料で配ってるポケットティッシュを貰う層は有料の高級ポケットティッシュを絶対買わない。無料の客を集めて有料化、というのがほんと意味が分からないんだけど、これは業種の違いなんだろうか。

 

 

 

えらいてんちょうさんが推奨するしょぼい起業は、誰かに従いたい人、誰かに決めてほしい人にとっては楽園なのかもしれないと思います。

見合いおばさんが勝手に結婚話を持ってきて、DVもセクハラも耐えるのが普通で、世間体が何よりも大事、みたいな、誰かが決めたレールの上をみんなと一緒に走っていることが生きる価値だというタイプは確かに存在して、ポリコレやら人権やら声高に叫ばれる昨今は彼らの居場所が奪われているのでしょう。それに対するカウンターカルチャーとしてトランプ的な右傾化があるのでしょうし。

 

そしてたぶん、えらいてんちょうさんご本人はすごく楽しいと思う。

自分が主催して、自分が人を集めて、自分に決定権があって、自分が金を払って、自分の理想のために誰かが動いてくれる。誰にも邪魔されない私だけの王国が他者によって具現化する。それは一種麻薬のような心地よさがあるというのは私にもよく分かります。これができる立場になってしまうともう批判は耳に入りません。気に入らない意見を言う人には援助をしなければいいだけ。私は手を下さなくても取り巻きが潰してくれる。

でもこれ、私は別に何も悪いことはしていなくて、今も昔もただただ私自身の幸福を追求しているだけなのです。好きなことに投資して好きでないことはスルーする、誰もがやっていることをやっているだけ。なのにいつの間にか私の言動がたくさんの人の人生を左右し私のご機嫌にすがって生きている人がいる。そうして私のおかげで救われた人もいたりする。

私はやりたいことをやっているだけなのに、いつの間にか他人の人生を背負わされてしまっている。私はこの状況が恐ろしい。

 

自分にとって心地よい価値観を持つ人だけに囲まれて、イエスマンだけを支援して、生殺与奪は自分が握っている。これはZOZOの田端氏が100万円ばらまいた問題と同じです。結局力を持つ人の周りにはこびへつらう人だけしか残らない。私の世界には私にとって心地よい物しか残らない。個人単位では自分の幸福を追求するのは当然の権利です。ですが彼らや私が強大な力を持つということは彼らや私が気に入らない人の居場所が無くなるということに繋がります。

我々は喫煙や差別や暴力といった「古き良き」価値観を維持するために多様性を否定する老害たちに反発していたはずなのに、結局同じように居心地の良い価値観を守るために他を踏みつけようとしている。それは果たして私のやりたかったことなのだろうか。

 

牢獄をぶちこわしてゼロから構築したものが新しい牢獄で果たしてよいのだろうか。

 

とか思っちゃうから私は大成できないんだろーなーーー!!

 

 

自分の頭で考えて他者を尊重してなんて人類には早すぎて、情弱騙して巻き上げるのが本当の優しさで、そういう弱さを自覚して寄り添える商売のうまい人になりたい。

 

 

あとそれとは別に、しょぼい事業はしょせんしょぼくて、がっつり借金して都内のオフィス借りるようなやべー起業よりはずっとリスクが低いのでどうせやるならしょぼくやったほうがいい。どうせ起業なんて失敗するに決まってるんだからどう展開するかよりどう撤退するか最悪を常に想定して立ち回るべき。

とりあえずサラリーマンやめて起業しますなんていう奴は絶対借金すんな小さくはじめろ1000円から始めろ。ババアとの約束な!