雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

医療と社会の統計を否定することと信じることの危険性をできるだけ分かりやすく説明する試み

主張の根拠として統計を持ってくるとなんとなく納得させられてしまう人がいるらしいので、専門用語を一切使わずにふわっと書いてみる。

 

長くなるので先に結論をまとめておきますと、統計というのは数千人とか数万人という大きな数を扱う際に必要なものであって個人レベルではぶっちゃけ全然参考にならないから自分の信じたいものを信じることしかできないよ。ということになります。

gendai.ismedia.jp

 

 

 

 ただ結局自分の価値観を守るために統計を持ちだすような人たち、知能が遺伝する(だから階級は固定であるべき)とか男性のが強い(だから男性は地位が高くて当然)とか主張したら学会を追われて差別だ!とか言い出す人は現状のポリコレ的な流れにそれだけ追い詰められていると感じていて彼らをなだめて差し上げないと社会不安につながるから無視できないというだけのことなんだろうなと思います。いままでどんだけ甘やかされてきたのそんなにつらいならさっさと来世に期待なさってくださいなと思うけど。

 

 

 

 

たとえば、60%の日本人男性の靴のサイズが27センチだったとします。

日本人男性100万人に早急に靴を用意しなければいけないサイズは1サイズのみ、という状況が発生したとしたら、27センチの靴を用意するのがベストです。(分散や標準偏差とか面倒なことは考えないことにします。)実際には27センチより大きい人も小さい人もいるでしょうが大きく外れる人は少ないでしょう。だから服屋に売っている服のサイズや薬局に売っているコンドームのサイズはある程度絞ることができます。

でもじゃあ、具体的な個人、隣のおじさんとか上司の山田さんに靴をプレゼントするとしたらどうでしょう。27センチの靴なら6割の確率でぴったりだから、と言ってリサーチせずに27センチの靴を買ってくる部下がいたらそいつは無能でしょう。

 

なんか解説しててむなしくなってきた。こんなことも分からない奴が声あげてんの。。。

そもそも統計で役割を決めていいんだったらIQの高いアジア人に白人共は従うべきだし、医師や弁護士や政治家は成績の良い女性がなるべきで犯罪率の高い男性は全て刑務所で暮らすべきだしカマキリのようにセックスの後は女性が男性を食い殺すのが正しい生物のありかたってことになるんで、むしろたとえば男性のが力が強い傾向にあるのだったら逆に少数になりがちな力の弱い男性の権利を保護する方向にいくのが正しい統計の使い方なのに。

IQの高さで社会的地位を決めるのはわりと切実にやってほしい。外見で見くびられて助手の女じゃ話にならない研究者本人を出せと何度言われたことか。つい最近も言われた。あの研究が私の研究だとなかなか信じてもらえなくてめんどい。論文に顔写真つけたい。

 

 

気を取り直してもういっちょ解説。

 

たとえば、自然分娩で祖父母同居で母親が専業主婦で母乳で育った子供の方が健康で頭がよくて性格もいいという統計があったとして、私が我が子を育てるにあたりその統計をどう捉えるか。

まずその統計は正しいか?というのは最低限考えなければいけません。最近日本の統計資料が捨てられてたりするので国の統計でも結構信用ならない。GDPとか。でもそれを言い出すと陰謀論に片足を突っ込むことになるのでとりあえず統計は正しいということにして話を進めます。

そうしたらあとは偽相関ですね。ぶっちゃけ社会学と医療の統計は正しい相関を見出すのが非常に困難というかほぼ不可能です。

自然分娩が子供に与える影響を本気で調べるなら5000人くらいの妊婦を集めて無作為に自然分娩と計画分娩に振り分けて経緯を調べなければいけません。国中の妊婦にある日突然赤紙が届いてお前は自然分娩しろ、あいつは計画分娩しろ、みたいに指示されてて絶対に従った上でその後全員が何十年も経過を虚偽無く報告するというディストピアです。まぁ無理ですしそもそも最終目標は子が健やかに育つことなので家庭を壊してまで得た統計結果に意味は無い。

そうなると妊婦の自由意思によって自然分娩か計画分娩かを選ぶことになって思想とか経済状況とかそういうのと無関係ではなくなります。たとえ自然分娩が最高に安全だという結果が出たとしてもそれは自然分娩を選べるような余裕がある階層は最高に安全だという意味にすぎません。

結局、どれを選んだかというよりは余裕と安全を整えるのが優先というおもしろくもない結果になります。ちゃんと休養して適度に運動してストレスなく好きなことして養生して、それでもダメなら潔くあきらめて死ぬ。おもしろくないけど結局それしかない。公衆衛生最強。

 

あと、なんかの薬がガンに効いたとかそういう系のは実際わりと眉唾です。100%効くとかであればともかく、60%と70%程度の差であればほとんど差は無いと思っていい。実際無作為に患者を抽出することは人権上できないのでちゃんとした医療機関でも普通に患者のえり好みして良い結果でそうな患者だけを集めるとか普通にやってる。グーグルが検索汚染されている程度には研究結果も汚染されています。結局論文データにしやすい情報が勝ちますから。

かといって全ての薬が嘘だとかいうわけではなくてわりとちゃんと効果はあるけど、このあたりのさじ加減を実際統計の場にいない人に伝えるのはとても難しいです。

まぁいろいろ考えずにいい加減なたとえを出すと、100年以内に私は死ぬ、というのはほぼ100%確実な精度で予想できるしその予想を元に人生計画を立てる必要はあるのですが、じゃあ明日死ぬのか50年後に死ぬのかといった細かいことは全然わかんない、というのが統計で、個人レベルではその細かいところが一番気になるところなんで統計なんてどうでもいい、となります。

 

 

あとはワクチン問題とか。インフルの予防接種問題とか。

でも上記二つは統計以前に医療を過信しすぎている問題なのでまた別かな。自然分娩に関しても統計以前の死生観というか思想信条が関わってくるので結局人間は生データをそのまま理解することはできなくて必ず何らかのバイアスを通じて物事を把握しているということを自覚するという話になる。中立で公正な科学的知見なんていうのは存在しない。

 

医療とか統計とかいうヘンに信じすぎると実害のありすぎるものではない安全な宗教が必要なんだろうなと思いました。