雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

心持ちを変えてみることにした

いったん思考を極端に振ってみることにした。こっそり思っているだけならバレないし不都合が出たらこっそり修正すればよし

 

hedgehogxなら救ってくれると思ったのに騙された、のような事を言ってくる頭の弱い人に対してどうするのか問題で、そんなの気にすることないむしろ気にするだけ時間の無駄、という結論はもう出ているのだけどやはり動揺してしまう。

 

勝手に期待して勝手に失望するやつなんかどうしようもないのだけど、なにかしら大変にしんどい状況でただてさえ少ないリソースを削ってやっと行動した人に対して断ることしかできない、必死でもがいている人に対してもがき方をダメ出しすることしかできないのはなかなかしんどい。

あと周りの雰囲気への悪影響も心配。悪貨は良貨を駆逐する。一人変なのが混じると集団がおかしくなってしまわないかと思うとなんとか穏便に収めたい気持ちになる。

 

と、いうやつに対しての華麗なるソリューションとして、慈悲深い神をやろうと思う。

お釈迦様も薬師如来地蔵菩薩も、ただ突っ立っているだけで何もしてくれない。何もしないのに何故かありがたられる。きっと私はそういう役割なのだ。すごく自意識過剰な気がするがいったんそう思ってみることにする。こんにちは心に菩薩を住まわせている中学二年生ババアです!!くそが!!!

だからとげぬき地蔵を撫で回すかのごとく私に苦境を訴えてくる餓鬼があらわれる。あれは生きながら満たされぬ飢えに迷う哀れな魂なのだ。と思うことにする。

それなら私が彼らを救えないのはしょうがない。お釈迦様ですらカンダタを救えないのだからお釈迦様に並ぶ尊い存在(という設定)の私に救えないのも仕方ない。

であれば私もお釈迦様にならうべき。何事も先達はあらまほしきことなり。アナンダもきっと私のようなもののために経典を残したのだそうに違いない

 

具体的には、どうしようもない状況に心から共感しどうしようもなさを分かち合い共に祈る。迷える子羊は私の言葉を理解できないかもしれない。hedgehogxは救ってくれないインチキだ嘘つきだと責めるかもしれない。そしたら私はそこで深く御心を痛め、彼らの為に祈る。どんな暴言を吐かれてもひたすらに子羊のために祈るhedgehogx様のお心に触れたものはその天よりも高く海よりも深い慈悲に涙するであろう。

 

いや何言ってんだ私はよ!!!

 

でもこれが一番収まりのいい振る舞いな気がする。

しょうもないクレームに対して私が動揺してしまったらクレームに正当性を与えてしまう。私がしょうもないクレームをしょうもないものとして扱わないとしょうもないクレームがあたかも正当なクレームのように思われてしまう。

ではしょうもないクレームに対してはどのように振る舞うべきか。しょうもないと切り捨てると敵が増える。しょうもないことのしょうもなさを分からない知能の彼らに私の理屈は通じない。だったら彼らに対する誠実さをみせつけることで周りの味方を増やす肥やしにしてしまおう。

この方法の唯一の欠点は肥やしにされたしょうもない人が救われないことだけど、hedgehogx様に少しでも情けを掛けられることは彼らの人生に一片の救いをもたらすので。今は私の手を掴むことができなくても輪廻の果ての救いを少しでも垣間見れることはもがく彼らの今生にさす一筋の光明なので。つまりワタクシに声をかけてもらっただけでありがたく思え。

 

いや実際そういう感じになっているらしいので、いったんその方向性でやってみる。