雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

男女は身体構造が違うから立場の差異を認めるべき論の危うさについて

最近、男性だって大変なんだという論とそれに対していろいろいう外野というのがはてなでホットな話題で私もいっちょかみしたのですが、これは大変な進歩だと思っています。女性ジェンダーがこれだけ大変なのだから男性ジェンダーも大変なのだろうと薄らぼんやり思っていましたが、どうやら男性たちは自分のつらさを自分のこととして語るのが大変困難らしいです。

あと今回改めて思ったのですが、フェミニズム社会学や哲学や心理学がこれまで積み重ねてきた知見を共有していない人がこの問題に興味を持ちつつあるということです。多くの人が興味を持つということは大きな前進なのですが、その分前提となる知識の共有がなされておらず、同じ言葉を真逆に受け取ってしまう現象が発生している。社会学はきっとこれまで以上に丁寧な説明が必要なフェーズにきているのだと思います。

 

note.mu

こちらの記事は丁寧に統計を読み込もうと言うフレッシュな姿勢が感じられるよい記事でした。

 

ただ、この方の論旨とは外れるのですが少し気になったことがあったので、

 

  1. 女性は妊娠出産生理という特殊事情があり、男女の体は差異がある。
  2. 実際に数々の調査で男女の能力差が示されている。
  3. つまり男女の役割を区別するのは正しいことなのではないか?

という素朴な三段論法のどこに問題があるのかを書こうと思います。

 

まず最初に、私はこれから「女性はケア役割を担うべきではない」と主張するわけですが、もしかしたら私は間違っていて、女性はケア役割を担うほうが向いているのかもしれません。いや私個人はケアなど全く金輪際未来永劫関わりたくないくらい向いていませんが、とりあえず女性はケア労働に向いていて、社会は女性に対してケア職を用意するといろいろと丸く収まるのかもしれません。

ですが現状では、ケア労働を行うということは稼得役割を放棄するということと同義です。ケアを女性に丸投げする男性は離婚しても家賃も食費も自分で賄って生きていけますが、仕事を辞めて育児介護に専念する女性が離婚したら今日寝る所すら確保できなくなります。ここに恐ろしいまでの非対称性が厳然と存在することを覚えておいてほしい。

 

 

 

では以降、性差による区別は正当かどうかを考えてゆきます。

 

まず、「1男女の体には差異がある」というのは事実です。(ほんとうは事実かどうか微妙ですがとりあえず事実とします)妊娠出産ができるのは女性だけですし、毎月生理が来るのも女性だけです。

また、「2各種調査は男女の能力差が示している」これは怪しいです。多くの調査が男女に学力差は見られない、または女性の方が学力が高いことを示しています。昔は男性の方が頭がいいだとか理数分野が得意だとか言われていましたが、それは男女の進学率や教育など後天的な環境の差異であって生来の能力の差異ではないことが分かってきました。それなのに男女の学歴や賃金にはかなり大きな格差があります。この現象の正当性は「女性の方が能力が低いから」とか「女性は稼得役割に向いていないから」では説明できないと統計が証明しています。

 

つまり、男女の知的能力は平等にもかかわらずそれを超えて不平等を正当とするだけの大きな身体能力の格差がある(はず)という推論ができます。

 

果たして実際に男女の体には知的能力を凌駕するほど大きな差異があるのでしょうか。

実際、平均身長や各種スポーツのスコアなどは明確な男女差を示しています。ざっくり考えて、女性の筋力は男性の70%から50%という結果が出ています。女性は男性に比べてだいたい半分くらいの筋力しかないわけです。

ではこれは男女を区別する根拠になるかを考えてみます。

とりあえず身長で考えてみましょうか。

現代日本の男女の身長差はだいたいこれくらい。

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スマホなので手描きの図ですが、だいたいこんなもんです。

確かに男女差がありますね。では「男性の方が背が高いから仕事などで配慮されるべき」と言えるでしょうか。

この図ではたとえば、身長160㎝の人を100人集めた時にだいたい女性が70人、男性が30人くらいになる計算になります。では目の前にいる身長160㎝の人は男性でしょうか女性でしょうか。7割の確率で女性ですが、3割の確率で男性です。さてこの人にスカートを用意するべきでしょうかそれともスーツでしょうか。微妙じゃないですか。

あるいは、7割の確率で1億円あたるけど3割の確率で1億円の借金を負う宝くじを買って当選確実な気分で豪遊するのはどうでしょう。ちょっと考えが足りなさすぎると思いませんか。

 

もしも男女の身長分布がこんなだったらどうでしょう。

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ここまではっきりと差異があるのであれば、男女別電車の座席だとかキッチンだとかを作ったほうがいいかもしれないし、男女で別の街に住んだ方がいいかもしれません。ですがホモサピエンスの場合、知力体力その他諸々においてこのようにはっきりと男女差のある数値はありません。

 

 ホモサピエンスは他の種に比べて性差が小さな生物です。ゴリラなど他の猿と比べても性差が少ない方ですし、 キジやメジロのようにまるで別種の鳥くらいに見た目が違う、あるいはチョウチンアンコウジョロウグモのように10倍から100倍もの体格差がある、とかもありません。

全体を俯瞰した際に「結果として」差はでるかもしれないしでないかもしれない。しかし、目の前にいる個々人を統計で語ることはできない。

 

ホモサピエンスにおいて、統計で示される男女差というのはその程度です。

 

一般に男性の方が女性より筋力が強いことが多いけど、じゃあ目の前の男性の戦闘能力はどうなのかというのは殴ってみないと分からない。(ケンカは殺す気になったほうが勝つので、体格差があっても案外勝てるものです)

 

つまり、現状では男女に能力差はあるかもしれない。しかしそれは教育機会の不平等が要因の場合がかなり多い。また、もし完全に教育機会が平等になったとしてもやはり男女では差異があるかもしれない。しかしその差異は個人レベルでは無視できるほど小さい。

ということになります。

 

女性は生理があるから、妊娠出産するから不利だというのも同様です。生理や妊娠出産における体調不良がどれだけ大きいかは個人差がとても大きいです。生理が重い女性は生理が軽い女性よりもむしろ持病がある男性と同じ配慮が必要ですし、そこにあえて性差を持ちだす必要はない。体調不良に甘えるなとかではないですよ。具合が悪ければ堂々と休めばいいし、体が弱いことは尊厳を棄損することではない。

妊娠出産も同様です。ヨーロッパ王室の女性は出産後数日で公務に復帰します。現代社会において妊娠出産は一般に考えられているほどの一大事ではない。出産後の女性がやつれるのは多くがハードモードすぎる子育てのせいで、それは男性でも肩代わり可能です。むしろここで女性はケア役割をするジェンダーだとか言って子育てを女性に丸投げすることの弊害の方が大きい。

たしかに生理が重い女性や異常妊娠だった女性など、女性は女性ならではの深刻な体調不良に陥ることがあります。ですが前述したように、その程度は男女の身長差くらいの差異しかなくて、男性だから、女性だからと大雑把にくくってしまうとそこから外れた多くの人が不適応を起こします。

 

 また、長くなるので残りはざっと書きますが、「人類が有性生殖を選択し男女の別があるのだから男女に差異はあってしかるべき」論について。とりあえずY染色体小さくなってるから。億年単位でみたときに人類が有性生殖していた時期は短いかもしれないんで。それにオスが戦いメスが育てるというのも別に真理じゃないから。生物にはいろいろな生態があって必要に応じて変化しているから。とりあえずハイエナでぐぐるといいのでは。まぁなんにせよ、生物学は日進月歩なので論拠にすると足をすくわれるからやめといたほうがいいよ。

あと気になったのが

日本の男女平等運動は外国のものと比べて異質であるという話を聞いたことがあるだろうか。

 外国の男女平等運動が『男女の役割を尊重しあう』という主張によって促進されたが、日本のそれは『男女の役割は交換できるようにするべきだ』という主張によって促進されている、という話だ。

 のとこ。それ初めて聞いたんでもしよかったらソース教えてください。興味深いです。

 

 

 

 

 

 

ということでね。

見た目がくそださい大人し目のババアだからって秘書じゃ話にならん本人を出せとか言うのほんとうざいからやめてほしい。悪かったな本人だよ。論文に写真をつけたい。あと若い男の子を営業で差し向けるのやめてほしい。ほんと不愉快。それに車も家も私のキャッシュで買うんで私に説明して。

 あとね、ケア役割を担いたい男性って結構な割合で存在するから。毎日ご飯作って掃除して旦那様のお帰りを待って幸せいっぱいに暮したい男性はたくさんいるのにジェンダー規範に縛られて大黒柱やらされてたりしてほんと大変そうだから。

 

 

以上、男女には差異があるのだから扱いに差異があってしかるべきという考えへの反論でした。

 

 

以降、最近の男性だって大変なんだ論の特性について考えたことです。

 

これまでは、女性が電車で尻を触るのをやめろとか、泥酔した人をレイプするのをやめろとか、しつこく結婚について聞くなとかいう具体的な被害について話しているのに「俺たちだってたいへんなんだ」という男性たちはキモくて金の無いオッサンやら可哀想ランキングやらという、もわっとふわっと女に相手にされないルサンチマン程度しか話題が出てきませんでした。

おそらく、自分の心理について特に弱さについて自分のこととして語れない、そのこと自体が男性ジェンダーにかけられた呪いなのでしょう。いや私はよくわからないけども。

その中で、実際に具体的に男性ジェンダーに属する人は貶してよいという規範に苦しめられたことを他ならぬ自分のこととして表明できた増田文学は男性学の金字塔にすべきでないかと思う。

anond.hatelabo.jp

まぁ、「女は加害者ではない、男は男だけで救済すべき女の手を煩わせるな」なんて言ってる人はいないんですけども。そもそも容姿いじりは男女関係なく発生するし、女性はその上性加害やセカンドレイプまでついてきて生命が脅かされるし、賃金格差が大きすぎるため仕事で見返すのも絶望的なんですけども。正直、容姿いじりされました程度で何言ってんだという気持ちは禁じ得ない。でもそれは私が女性だからであって、おそらく男性ジェンダーが抱える最大の困難は「自分の困難を自分のこととして認識できないこと」で、多大な認知の歪みを内包しつつも自分の被害を自分のこととして表明できた点は大いに評価したい。

 

そしてやっぱり、「悪い男性も悪い女性もいる、しかし変えるべきは構造だ」という先人が見出した結論はなかなか理解が難しいらしい。たぶん子供の反抗期のように、雑な手斧の投げ合いで他ならぬ自分自身の言葉を表明していくことが必要な段階なのだろう。ここで上から目線で整った理論をぶつけてもしかたがない。自分自身を助けられない人は他の誰にも助けられない。

誰もが通る道であり誰も手助けできない道なので、がんばってねと言うしかないのかな。