雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

被害者が加害者に転ずる闇を考えないと。


世の中には世話を焼くのが趣味という奇特な人がわりとたくさんいて、わかんなーいできなーいありがとーと言っていると誰かが勝手にタダでどうにかしてくれる。世の中を渡るには才能も努力もいらなくて、むしろ才能も努力も無駄でしかなくて、ただ彼らの善意を引き出し、かつゴキブリより多い悪意の人を避ける処世術があればいい。
逆に、人の善意を引き出せない人、悪意にひっかかる人、損得しか考えられない人にとってこの世は闘争になってしまう。
だから被害者も加害者もやるべきは反省や刑罰や努力ではなく、いかに他者の善意を引き出すムーブをするかに尽力することだ。なのに刑務所もシェルターも精神科も福祉もネットイナゴも、よってたかって努力と反省を求める。でも彼らが求めているのは反省ではなく反省ムーブでしかないことは誰も教えてくれない。


https://togetter.com/li/1401312

子供が他の子に怪我させてしまうことを悩んでいるこの人、加害者である自覚がない、真剣さが感じられない、子供と真剣に向き合っていないと避難轟々だけど私にはこの人のふざけ半分なノリは防衛反応に見える。人は社会性の動物だから孤立無援だと感じるとへらへら笑ってしまうのよ。毅然として正論を並べられるのは頭脳と環境に恵まれている人だけで、だからリベラルは憎まれる。

https://togetter.com/li/1401863
こちらの人は同じように加害する子になやんでいるけどこちらには「まじめに向き合っているように感じられるから」擁護の声が集まる。
でも私を含むネットイナゴにはこの人がどんな人かなんてわからなくて、必要なのはまじめムーブであってまじめではない。
いやこの人は本当に真剣なのだろうけど、それは周りが納得する行動を選びかつそれを言語化できる能力と環境があったからであって、熱意とか真心とかはそれを発揮できる環境があるから発揮できるのであってだな。


残酷なことだけど、伝わらないまじめに意味は無い。伝わらないまじめで疲弊してふまじめみたいに思われてしまったら誰も助けてくれない。このループにはまってしまって抜け出せないと加害者になるしか無いのだろうと思う。かわいそうランキング上位でないと助けてもらえないのは永遠の真実で、だからかわいそうランキングを駆け上がることに全力を尽くすべきだ。
まじめムーブは正しいやり方を知らないとぶりっこだの色目だの偽善だの言われてさらに叩かれる。たぶん下手なまじめムーブしか知らないから自己流のまじめをやって自滅してしまうのだと思う。


まじめムーブだけで世渡りして衣食住まもちろん実験室やら学位やら何もかも貢がれた、てか今でも貢がれ続けてる私の実績を活かしてムーブ講師wにでもなったら儲かりそう。

トランスは女湯に入るな

手術してないトランス女性は女湯に入れるかどうか問題は性被害の非対称性を共有しないとどうしようもないのになんでみんなお気持ちで殴り合ってんの。
https://togetter.com/li/1401831


時間を間違えて半端に暇なので連投します。

私としては男女にこだわる日本式トランスの存在自体に懐疑的です。だいたい、性別とかあんなのほぼノリだから。私は自認女性の女体持ちだけど銭湯で男に間違われるしその逆もわりとよく聞く。股間股間みて!ついてないから!よく見てから判断して!毎回「いやちんちんないっすナチュラルボーンまんこっす」とかいいながら股間を誇示するのいたたまれないので入浴着義務化混浴はよ。毎回騒ぎにもならずそっと指摘されるのは私がうっかり間違えた馬鹿だが無害なオッサンに見えるからだと思いたい。周りの女性に危機感を抱かせるとか申し訳なさすぎる。でも旅先では大浴場しかないことが多いんや……


ちんちんついてる人が女湯に入ってきたときの女性の嫌悪感というのは、お気持ちとか羞恥とかではなくてリアルに甚大な加害のリスクがあるからで、現状の日本で性被害が女性にとってどれだけきついのかをきちんと理解してから話し合わないと。
強姦無罪で泥酔した女性が悪くて、でも接待が女の嗜みで男の性欲は本能だから無罪で悪いのはたまたまそこに居合わせた女性な現状で、性被害にあうというのは強盗に合うのよりずっと孤立無援で世界を敵に回します。加害者は野放しで法律も友達も家族も世間も被害にあった女性を攻め立てるこの状況では女性は自衛するしか無い。

逆に、絶対に加害しない保証さえあれば男体だろうと心が男だろうと別にどこにでも行けばいいし絶対に加害しない男性にまで嫌悪を感じるのは差別であるという主張も通りましょう。問題は加害しないかどうか外見からは分からず、加害にあまりに甘い社会の中で加害の自覚無しに加害してくる馬鹿が多いことで、向き合うべきはその点です。そこを無視してさべつぅぅと主張するのは女性は黙ってサンドバッグになってろ宣言でしかない。
この問題、よく人種で例えられるけど、それにならうなら犯罪率の高い黒人を隔離しないようにするために必要なのは黒人の犯罪率を下げるような、貧困政策とか就労支援とかであってそこをほったらかして白人の9割が黒人に加害されてる状況のままさべつぅぅとか言われても。こちらも命が惜しいので。



トランス女性が女湯に入れないのはせいぜいアイデンティティクライシスですが、男性による女性への加害は明確な加害かつ誰も守ってくれず一方的にスティグマを負わされる。
だから私はちょっとさみしいよぅくらいの困難を解決するために他者に甚大な被害を押し付けるその根性が信じられないし、女性にとって男性が肉体的のみならず社会的にどれほど脅威なのか踏まえた上での発言であれば反社レベルの厄害だしそこを理解できないのならそれは心が女性ではないと思う。少なくとも「自分に一切非が無いのにまんこがあるだけで加害され搾取され隷属を強いられ常に警戒し戦いつづけなければいけないジェンダー」ではないので私の知ってる女性とは別物です。

なんか、男共の男性嫌悪と女への関心なんなのいったい。あわよくば女湯に入りたい女体をみるのはご褒美で女だけの街に発狂して、キモくて金のないオッサン同士で同居は死んでも嫌で介護も家事も女性にやってほしくて、おまえら女がそんなに好きかよ。でも残念ながら大抵の女は赤の他人のまんこもちんちんも見たくも無いし男なんていなくても別にどうとも思わないのですよ。だって他人なんてどうでもいいじゃん普通。よく知りもしない赤の他人にまんこがついているという理由だけで俺様に優しくすべきとか裸が見たいとか思ってしまうのなんなのなんでそんなに女という属性に執着すんの女性ジェンダーを何だと思ってんの。

だからトランスの人が受け入れられたいならやるべきは女性に一方的な犠牲を強いることではなく女性の直面している理不尽に取り組むことでしょう。



この問題、男→女の関係プロトコルが暴力しか存在しないことが問題なのでは。ジャンプのお色気シーンが男性のラッキースケベからの女性の制裁なの何気に闇深いと思う。男性が女性とコミュニケーションを取るには反撃でボコボコに殴られるような加害をするしか無い、男性の性欲は相手の嫌がることをして発散するしか無いというのは結構な呪いだと思う。
実際、女性の拒絶に慣れきっていてゴリ押ししてくる男性は多い。おまえ、男性が「やめて」って言われたらどうする?やめるだろ?女性が「やめて」って言ったときも「やめて」って意味なんやで?というところから教育しないといけない。

育てにくい子をどうすればいいか問題

いまさら言うことでもないですが、相変わらず論点がぐちゃぐちゃです。




猫を飼ってみて、育てにくいから外飼いするしかなくて、育てにくいから外飼いで問題を起こすんだという真理に到達した。
問題は育て方とかしつけとかではなく本人の遺伝子でしかなくて遺伝子ガチャに外れたらリセマラ以外全部負け確。

賢くて危機管理できて衝動を自分で統制できる個体なら外でも家でもべつに問題なんか起こらなくて、まぁしょせん猫なので外に放し飼いしたらよその家のペットを食べたりするだろうから完全放し飼いは無しにするとしても、基本室内でたまに人間が一緒に公園に遊びに行ってストレス解消くらいで全てが解決してしまう。やつら飼い主の手の届く範囲でしか動かないし危ないことしないしちょっと外で遊んだら良い子でお家に帰るもの。でも身体は丈夫で学収納力も高くて賢くて、たぶんやつら野良猫になってもサバイバルできる。

でも逆に、種族問わず育てにくい適応できない個体は家に閉じ込めておいたら暴れるし外に出したら怪我するし他の生物と一緒にしたら怪我させるし、どこにも居場所が無い。静かな場所で一人きりなら幸せ、みたいなタイプは環境を用意すれば苦労しないけど、障害と言われてしまうのは一人でもダメ、他人と一緒でもダメ、常に空気読んで奴隷労働してくれる人がつきっきりでないとダメで、もう何もかもダメ。何しても全部不正解。地球自体が向いてないんだからさっさとガチャ回してあげたほうがよくない?

だいたい暴力衝動の強いパワータイプの知的障害がある人にとって「適切な環境」ってなんぞ。「その人が安心して過ごせる環境」ってのが地球上に存在しない場合もわりとあるよね?肉体を纏うこと自体が苦痛、ていうか。もうリセマラしかなくない?
とか言うと、自分が障害者になった場合を想定してない強者の戯言みたいなこと言われるけど、じゃあおまえが障害者になったらマーダーライセンス発行されたいのかよ。自分が何したかもわからず他人を殺して償うことすらできないのが理想なのかよ私ならさっさと殺処分してほしいわ。






我ながら論点がとっ散らかってると思うけど、なんかこの問題表面に現れてるもの以外の利害や依存がひしめいているからいつまでたっても前進しない気がしている。

歯医者にいくのが嫌だ

だいたいおんなうっすいエナメル質に直接神経打ち込んで筋肉も皮膚も無しに露出してるとかおかしくない?もっとなんとかなっただろ??そこはデザインで解決するとこだろ?現場にソリューションを押し付けんな人体。

そして感染?骨に??大事故じゃねーか削って終わりじゃ絶対なんか残るよね死ぬ。神経抜くとか気楽に言ってんじゃねーよ抜いて困らない神経だったら最初から撤去しとけ人体さんよ!
部分麻酔なのに何やってるかわからないのもなんなの。口の中撮影してリアルタイム放送して。そのとがったやつ何につかうんだちらっと肉片見えたけどどこの肉だサラミ焼ける臭いしたけどこれヒトの神経を焼いた臭いだよねしってる!焼いた!何度も焼いた!親父にも焼かれたことないのに!

部分麻酔で普通に骨に針ぶっ指すのもやーめーてーーー今私が動いて顎の骨の中に折れた針が残ったらちょっとした顔面再建術レベルの事故よ?針取り出すの大変なんだから!

生物は案外強くて、大改造しても案外修復できるってのは分かるんだけど、骨ぞ?骨削って骨髄抜いてセメント詰めて肉焼いて、それでふつーに歩いて帰ってね、っておかしいだろ。何週間か入院して全身状態監視しないと突然死とかするだろ。





知らないことをされるってこんなに怖いんだな。
あとネットの口コミ汚染まじ邪悪。知識ゼロだと口コミくらいしか頼れない。でも一番邪悪なのは知識を囲い込む象牙の塔。不安を煽るようなことばかり拡散して、本当に必要な、このドクターは縫合のとき皮膚を雑に引くから痛いし治りが遅い、この病院は寝返りが雑だから後遺症が強く残るみたいなのは一切拡散しない。まぁそんなの拡散したら優秀なドクターがますます疲弊するからな。


とりあえず、次回は笑気ガスのある歯医者に行きたいんだけど無痛を推してるところわりとヤブなジンクスを乗り越えると予約一年待ちとかになるジレンマ。

弱者に依存する人たちの力学について

わりと人でなしなことを書きます。

 

よく障害者支援をしている支援者の人が「障害者にも生きる権利がある、障害者にも役割があって毎日喜びを持って暮らしている死ぬとか殺すとかもってのほか」みたいなことを主張するんですが、あれはあれで一つの病であるという視点を持って支援者の話を聞くことが大事なのではという話。

 

たとえばやたらに捨て猫を拾ってくる人、というのがいたとして、怪我してたり病気だったり死にかけてたりする猫を拾ってきて寝食削って面倒見て、猫にかかる医療費とか自分にかかる食費とか居住費とか経費諸々は家族と福祉に丸投げしてひたすら猫の面倒だけを見続けて、猫が元気になるとまたなんだかんだ理由をつけて新しい猫を拾ってくる、みたいな感じだとします。そういう人が「猫にも生きる権利がある、猫にも役割があって毎日喜びを持って暮らしている死ぬとか殺すとかもってのほか」とか言っていたら、じゃあ猫をばんばん拾ってみんなで世話するのが正義なのか問題。さらに「社会は猫を一匹残らず救うべき、重税を課して猫を救う施設を無制限に作れ」とか言い出したらそれは正義なのか問題。

猫に人生を捧げるのが趣味でそれで自分も周りの人も納得しているのなら別に構わないのですが、それを絶対正義のように他者に押し付けた時点で罪でしかないという自覚を前提として交渉のテーブルについてほしいものです。

teamaoi2003.com

知的障害がある人たちは、
誰かの自己実現のために存在するのだ

ああなんておぞましい。

なんで私が誰かの自己実現の肥やしにならねばならんのだ。

意志を表明できない他者を支配することでしか自己を実現できない人がいるということが私は恐ろしい。支配欲をすばらしいものただしいものとして保留無き肯定できてしまうその精神性が恐ろしい。

でも、彼ら(重度知的障害者)は、
知的障害という
与えられた環境を
素で受け止める人が多くいます。

もしや彼らはあなたの頭の中にしか存在しないのではありませんか。林先生案件では。私は重度知的障害者を見て幸せそうだと思ったことが一度もありません。私は私の苦痛を彼らに投影する。支援者は支援者の存在意義を彼らに投影する。知的障害者の意志を確認でき無い以上どちらも身勝手な投影であり、彼らが生きたいのか死にたいのかは誰にも分かりません。なのに「分からない」を出発点にせずに「私は彼らが生きていることでメリットを享受する=彼らは生きていたいに違いないこれは絶対正義だ」を何の疑問も無く恥ずかしげも無く主張できてしまうそのメンタル、個を前提とする現代にあまりにそぐわなすぎる。

支援者の頭の中では、障害者=支援者 であってそこが混然一体としている以上、刑事責任や民事責任や権利や義務が個人単位で発生すると考える現代の法制度が破綻するのは自明です。彼ら家族の絆とか連帯責任とか大好きだもんね。

 

自己決定権の認められない、刑事責任を負えない知的障害者には自由を保障すべきなのか問題というのはまずその問題以前に、自分の存在意義を他人のお世話に全振りして、世話すべき他人が存在しなくなると発狂しだす、でも自分の発狂をかたくなに認めない強迫性障害というか統合失調症というかなにか「そういう病気の人」が大声で主張している問題で、まずやるべきは立ちはだかる「何らかの病気の人」へのケアなんじゃないかと。

喚き散らす彼らを黙らせないことにはノイズが多すぎていつまでたっても本題に入れない。

 

 

 

つまらないことをすると病むシンドロームにはまった

久しぶりに心底やりたくないことのために外出して案の定げんなりして自分の耐性の低さは障害並みなんだと改めて確認した話。ご飯の美味しい高級な精神科閉鎖病棟に住みたい。

最近はつまんないとか意味わからないとか馬鹿みたいとか文句言いつつもなんだかんだで自分で考えて仮説たてて検証のために行動してたのだなぁと。本当に本気でつまんないことってこんなにつまんないんだって久しぶりに思い出した。以前は人生のだいたい全てがつまんないことで、つまんないことをやればやるほどつまんないことが溢れて来てなんかもう自分を殺すか世界を殺すかみたいな感じになっていたのだと思う。

別に殴られたとか暴言吐かれたとかいうことは全くなくて、普通に女性の嗜みとして服を買って髪を切って化粧して酒の席でえへらえへら笑っていろと言われただけなんで、それで誰かを憎むとか大袈裟すぎるしもはや被害妄想。たぶん私普通に生まれて普通に勉強して普通に就職してたら速攻廃人コースだわ。他者への憎しみが止められない。
そして私やっぱ子育て向いてない。子育てはガキの都合にかしづく労働で、そのうえ私の子も私と同じ性質だから下手するとバトルロワイヤル勃発する。やべー危ないところだった……
あと精神障害者の復帰の定番、ビル掃除のバイトもしなくてよかった。壊滅的に苦手ってだけでなくガチで他害してたかも。たまに掃除のおばさんで妙に攻撃的な人がいるけどたぶん私と同じようなタイプなのでは。

結局私は私のやりたいことだけをやっていたくて、やりたいことを貫くためなら死んでも別に構わないしやりたくないことをやるくらいならおまえを殺して俺も死ぬ。


つまり全体的に女性ジェンダー及び弱者に求められる役割が著しく苦痛で、さらに女性ジェンダー及び弱者であることで得られる利益が全て苦痛でしかない。なのに外見はいかにも女性ジェンダーかつ弱者。事務員とか向いてそうだし率先して皿洗いとか始めそう。
だから私が弱ってるとケアマネとかが善意でビル掃除のバイトとか持ってくる。それか専業主婦になって子供とゆっくりする時間をとか言ってくる。違うんだバイトや子育てなんかしたら本気で死ぬんだ研究職でフルタイムで働くほうがいいんだ。でもそんなこというと「なまじ高学歴だからプライドが邪魔してる」みたいな扱いをされる。掃除のバイトなめんな…他人の決めた基準を他人の決めた時間内で他人の決めた手順でこなすんだぞ……科挙のがよっぽど楽だろ………

ぼくもう疲れたよパトラッシュ。




そりゃあ今ほど福祉が充実していない閉鎖的な田舎でこんなのが生まれちゃったら神様扱いするしかないよねえ。むしろ普通の家庭に生まれてたら病むことに理由が見つけられなくてよっぽど苦しかっただろうと思う。
子供の頃は新興宗教御神体やってたんで座敷牢暮らしで時々おっさんとセックスするのがお仕事でした!って言っとけば愛想笑いできないのも就職できないのも仕事できないのも記憶障害も自殺未遂も乱交も許される雰囲気ある。いやそんなずっと昔のことなんか別にくよくよ悩んでなんかいないし私が狂っているのは私が不良品だからでしかないんだけど、なんか許される感はたしかにある。
その後の座敷牢脱出からの才能愛されおまえは生きろフェーズといい今後の宗教設立フェーズといい、なんで世界はあの手この手で私を生かすんだ。私の才能なんかちょっと先進的なだけであと100年もすればみんな追い付くようなもんでしかないのに。もっと大事にすべき人がいっぱいいるだろ香港の指導者とか。でもたぶん神が私を生かしてるのではなくてたまたまそういう巡り合わせだっただけで、今後転落する可能性は高いのだろう。



私みたいなのはおそらく一定数発生してそのほとんどは野垂れ死ぬんだと思う。そして孤独に死ぬのはたぶんそんなに不幸なことではない。
我々にとって問題は死ぬことではなくて生きることを強要されることで、善良で慈愛に満ちた親学とかやっちゃうような方々にひとたび補足されてしまったら刺し殺すまで死ねないかもしれない。誰かを憎んでしまうことが怖い。

己が無能だと認めることができない人の存在を考える

京アニの事件ではどうやら犯人は新人賞的なやつの橋にも棒にも引っかからなくて逆恨みしてアイデアを盗まれたとか言って凶行に及んだらしいと聞いて。それとか煽り運転とか息子を殺した事件とか、ひとつひとつの真実がどうなのか私は知らないけど、嫉妬というやつがこの世にはあって、わりと深刻に精神を蝕んで、それはたいてい他人への憎しみとなって、たぶん私はとてつもなく恵まれているから未だ嫉妬を知らない。ということを考えたい。

才能に満ちあふれて才能だけでのしあがった私としては、凡人の人生なんて想像かつかない。

私はどうしようもなく私でしかなくて、どれだけ叩かれても否定されても私は私であるしかない。薔薇は向日葵にはなれない。反骨心とか承認欲求とかそんなのではなくできれば私だってあたりさわりなく平均の答えを出したい。普通になりたいのに普通が分からない。

というところまでは、自分を特別だと思い込みたい人も同じだと思う。

でも私の場合は称賛されてしまう。なんか一定の割合で信者が発生して頼んでもいないのに拝みだして勝手に貢ぎだす。たぶんそこが明暗の分かれ道なのだろう。きっと私と彼らの差異は己の妄想で他者を喰うことができるかどうかでしかない。まぁそこが狂人と天才の絶望的な差異なんだろうけども。

私としては別に狂人として野垂れ死ぬのでも別に構わなくて実際わりと死にかけたりもしたのだけど、そんな余裕なことを言えるのは生まれてすぐに承認を喉に突っ込まれて心理的フォアグラにされたかなり特殊な生育環境のせいだと思う。もう承認とかくい飽きた。なのに私にはやっぱり才能があって、結局なんだかんだパトロンが現れて金と設備とコネを用意してさあ自由に遊べとせっつかれる。なんかもう石油王が毎年宝くじ当ててるみたいな。そら憎まれるわ。だけど生まれてからずっと承認漬けの私には承認なんてウザいものでしかない。

たぶん私はそろそろ本格的に宗教を作らなくてはいけないのだと思う。

この間もなんかよくわからない人によくわからない怒られ方をして、周りの人に「相手はあなたの才能に嫉妬してるだけだよ」みたいなことを言われて、いやそんなわけないやろ私がなんか悪いことしたから怒ってるんだろ下手な慰めなんていらないよという、これまで何百回も繰り返した流れをまたやってるんたけと、そろそろ認めよう。たぶん私の謙虚な態度が相手をよけい追い詰めるんだと思う。石油王で毎年宝くじ当て続けてしかも謙虚で優しいとかもう憎むしかない。せめて性格が悪くないと。才能を鼻にかけて高飛車で不幸にならないとバランスとれない。そういや私は傍から見れば家庭的にも恵まれてるんだった。
溢れかえる才能で好き勝手やって才能に惚れ込んだパトロンが何人もいてわがままほうだい気まぐれに仕事して幸せな家庭があって教養があって家柄もよく育ちがよくて学歴もあって、うわわりと最低じゃね傍から見た私。いや中身ボロボロだけど。家族は偽装だし家柄ヤバいし現人神(セックス込み)だし。いい大学だってあれヒモするための交換条件だっただけだし。わがまま放題も時間感覚がおかしいメンヘラなだけだからな。社会人として余裕でアウトなのに才能に惚れこまれてるだけだから。


たぶん私は多くの人が欲しくて狂うくらいのものを腐るほどもってて、自分が持ってることに気づかないくらいもってて、だから私はそろそろ本腰入れて人間やめて象徴になるんだろう。まあそれはそれでありかな。