雑記帳

チラ裏なつぶやき。鬱々しい。

また自民が勝ったんだけど、自民のやってることをちゃんと調べて投票したのだろうか問題

安部は経済優先だから投票するといっていた人たち、この選挙で消費税10%が確実なわけですが

f:id:hedgehogx:20171023151853p:plain

いやいいんだけどね、貧乏人から搾り取った消費税で金持ちの子供が大学無償化なんてサイコーに気分いいけどね!

 

 

自民を支持してる10代20代の人たちは自民がやってることを理解して投票してるのだろうかというのがほんと疑問。少なくとも私の周りの20代は「アベノミクス効果あったじゃん?」くらいの認識しかないんだけど。

経済効果はアベノミクスじゃなくて人口減のおかげなんだけどね。終身雇用を維持したまま派遣なんていう奴隷制度を作ってさらに改悪してるのは自民なんだけどね。いやもういいよ別にさ。私は富裕層向けのビジネスに転向すればいいだけだし。貧乏な若者が自ら奴隷になりにいくというなら止めない。むしろ私にとっては好都合だから別にいい。

いまから基盤を海外に移すのはさすがにちょっと面倒だから、戦争だけはやめてほしいんだけどもうそれもいいや。好きに殺しあってくれ。

 

シャネルは時代遅れでオッサンくさくてださい。

シャネルは基本的に王様が使い捨てするもので、洗濯を想定していないというのがホテントリにあがってきてたので。

 

せいぜい藍染くらいしかなかった大昔には、鮮やかな花からとった色素を塗りこんだ数日で色あせる衣装というのはとてつもなくオシャレだったのだと思うのですよ。庶民は黒や茶色しか着れない中、鮮やかだけど洗えない衣装はとても斬新に写っただろうし羨望の的だったと思う。でもココシャネルやスワロフスキー以降、庶民にも鮮やかな色が手に入るようになって、今では町中にビタミンカラーやらパステルカラーやらが溢れてる。

 

そんな中、洗うと落ちちゃう前時代の遺物を平然と押し付けるシャネルさんはサイコーにダサいね!加齢臭がものすごい。

 

科学染料が登場してもう100年近くたつのに、いまどき家庭でだって堅牢で鮮やかな色が染めれるのに、情報をアップデートできてない感。線香と腐った木と魚の内臓が混ざったような臭いがしそう。

 

科学染料の普及により鮮やかな色というアイデンティティを奪われた洗えない衣装というのはつまり一度目に着た瞬間が一番美しくてそれ以降は汚くなっていく存在であるという意味しかなくて、おまえそんな人生でいいのかよと。そんな主張をするファッションを身にまとう人生その程度でほんとに大丈夫?老いと劣化を認められないバブリーな見苦しさがすごい。

 

 

あと単純に、水を通すことを想定してない衣装は着心地が悪い。

なんか動くたびにどんどん着崩れてくるしなんだったら動かなくても勝手に崩れてくる。生き物としてありえない。オートクチュールでもアイロンで無理やり立体感を出してるやつがあるけど、そんなことしたいなら粘土で造詣でもやってろと。むしろ3Dプリンターで出力すればいいじゃん。

 

ファッションは主張であり人生であり、私がほしいのは生きて活動する生物である私に寄り添う服であって、最盛期だけ美しくてあとは見苦しく汚れていく一方なんていうメッセージを発したくはない。

組み体操を欠席させよと思う。

今娘が通っている小学校は毎年組み体操で怪我が起きていて、今年も運動会当日に骨折事故があった。

娘も来年は組み体操をやるのだけど、これを欠席させようかどうか迷っている。

 

子供が楽しみにしている小学校最後の運動会の目玉である組体操を欠席させるなんて、親のエゴだろうか?

 

でも、毎年怪我をするような行事に子供を参加させるほうが虐待だと私は思う。

それを虐待だと思わずに笑顔で強要してくるほうがよほど気持ち悪い。

 

救急車で運ばれていく子供を尻目に何事もなかったかのように進行する運動会はなかなかに地獄味がある。

 

wikiで組み体操の事故をみたら、二段とか四段で死亡事故や頚椎損傷が起きていた。

こんな感動ポルノで一生を捨てるとかありえない。やっぱ欠席させよう。

 

 

www3.nhk.or.jp

ぼくのかんがえたさいきょうの打倒安部後の政治

 

 

よく安部支持者が「アンチ安部は安部憎しが空回っているだけで、打倒安部の後のビジョンがない」みたいなことを言ってるらしいので、天才の僕がさいきょうでかんぺきな打倒安部後をかんがえてあげたよ!これを実行すれば、にほんは安泰だ!(めがねをくいくいさせながら)

 

 

さいきょうの三本の矢

  • 経済政策

年寄りが全員死ねばおおむね解決。

そもそもとっくに寿命が来た人たちを無理して生かしている現代が異常なので、正常に戻せばいい。胃ろうと抗生物質を廃止すれば要介護認定されて数ヶ月で死ねる。

  • 国防

ごちゃごちゃ言ってないで9条書き換えたら?

経済と国防にかこつけてファシズムしたい政治家が多いことにはどれくらいの人が気づいているだろう。経済さえよくなれば自民でもかまわないとか言ってる人たちも、現在の自民のヤバさにいいかげん気づいてるよね?少なくとも小池氏のヤバさには気づいてるよね??大丈夫だよね?

安部氏や小池氏が言っている「改憲」というのは自衛隊の扱いがどうとかではなくて政治活動や思想の自由を奪うナチス以下の憲法にしたいってのは分かってるよね?てか自民を支持してる人は自民党改憲草案をちゃんと読み込んで熟考してください。

 

 

 

まとめ

30年前から危惧されてきた少子高齢化になんの対策も打たずにここまで来てしまった以上、2030年から2040年くらいにかけてあふれかえった老人が地獄絵図を繰り広げるのはもう確定なわけで、どのような政治的思想を持っていたとしても結局落ち着くところは 老人の皆殺しだろうなというのが現実的な見通し。

ただ問題は老人の皆殺しをどのように実行するかで、水と安全と医療はタダだと思っていらっしゃる平和ボケ日本人は下手なことをすると暴動を起こしかねない。

 

ここまで自体を悪化させた以上、もう経済復興とかそういうのは期待しないんで、なんだったら貧富の差が拡大とか治安悪化とかも受け入れるんで、せめて国民の自由と安全を保障する国家の基盤だけは死守してください。それができないと次世代がほんと困るんで。モンゴルみたいになるんで。もう私の世代に関しては静かに老いて早々に死んでくで全然構わないので、次世代の枷となることだけは排除してほしい。せめて。

 

 

 

政治は分からんが少なくとも枝野氏をクリエイターとして尊敬する

すごい、普通だ…

政治家なのに普通に意味の分かる日本語話してる…

 

ていうか枝野氏の言ってることはものすごく普通なんだけどそれが際立って見えてしまう現状のヤバさがものすごくよくわかった。

 

枝野氏が言ってたことの雑なまとめ

  • 憲法に基づいていろいろ判断しようね、
  • 表現とか自由とか守ろうね、
  • ルールは守って公平に、
  • 記録はきちんと残して、
  • 金持ち優遇ではなくて貧困層支援を通じて経済回復目指そうね、
  • 以上、難しいけどがんばるからほんとよろしく

ほんと普通。小学校で習うような普通のことしか言ってない。

 

原文はこちらの方がまとめてくれています。

枝野氏演説全文(10月3日)

 

 

でも現状、

  • 憲法どうでもいいから戦争しようぜ
  • 表現も自由も安全も守らないぜ
  • ルール?そんなの知らない
  • 記録?捨てたよ!
  • 景気?派遣使いつぶせばいいじゃん
  • 以上、数の暴力でゴリ押しする反論は認めない

なわけで。やばいよこいつジャイアンかよ。

 

消費税がどうとかやたらこだわっていた人も、古き良き「民が自ずから治める」自民党へのノスタルジーを捨て切れなかった人も、これで現状が分かったのではないだろうか、ていうかいいかげんそろそろ分かれ。現実を見据えろ。

 

ただなぁ、カネの話をしないと多くの票はとれないのではないかという懸念は大いにある。

「盗聴法や共謀罪が成立しても誰も逮捕されてないから大丈夫」「憲法の文章なんて変わっても国民の生活には影響ない」「そんなことより景気回復(だが格差社会を悪化させる政党を支持)」という人にとっては、今回の枝野氏の演説だっておキレイな戯言にしか聞こえないのだろう。われわれ人類が哲学にどれほど支配されているのか知ろうとすらしない軽量化脳みそを搭載している層にこの言葉がどの程度響くのか。急ごしらえの今回はともかく、今後も枝野氏率いる立憲民主党が成長できないのであれば知的活動により繁栄してきた人類というシステム自体が賞味期限切れなのかもしれない。まぁ私は私と私の子が逃げ切れれば別にどうでもいいんだけど。

 

 

 

というのが一市民としての視点なんだけど、これクリエイター目線でみると枝野氏の知力と胆力がほんとものすごくて、クリエイターあるいは(近現代的な意味での)建築家としてすごく尊敬する。

 

たとえばもし私が枝野氏の立場に立ったとして、そもそも民進失脚時点で心が折れて仕事やめてるだろうけどもしも今の枝野氏の立場までこぎつけたとして、やっぱり自民と安部と小池死ねとしか言えないと思う。彼らがヤバいというのは私の中で絶対の決定事項でそれを他者に説明する必要があるという発想に至れない。

そこでまず開口一番、立憲という言葉の意味、長く続く中で空気のように当たり前になった立憲主義の重要性を説くという発想、しかもそれを相手を見下すことなしに行うというなんというか合気道的な方法がすごい。

あと単純にこんなに理路整然とした文章を口頭ですらすら言える記憶力すごい。頭の中どうなってんだろ。ものすごく複雑なことをあたかも理解できたかのように錯覚させるこの力量を目標に精進したい。

 

自分の中での絶対的な正義をニュートラルな視点で前提から説明するというのはかなり怖い行為で、だからこそ人は狂ってゆくわけだけど、そこを超えたときに人は神の領域に少し近づいているのではないか、なんてことを思った。

 

 

 

差別主義者の気持ちになりきってみる思考実験

このあいだ鉛筆もお箸も普通に両方で使える両利きの人に会って、ちょっとびっくりした。両利きといってもたいていはどちらかが優位になるものだけどその人は少なくともぱっと見は右手と左手を同じように使っているように見えた。

その人が言うには、右手と左手の違いはただ経験値の違いにすぎなくて、左手だって右手と同じように経験を積めば同じように使えるようになる、脳の構造の違いも経験によって後天的に形作られる、とのことで、まぁそれがほんとかどうかは知らないし、人類が利き手システムを採用してきたということは利き手があるほうが有利なのかもしれないのだけど、少なくとも今目の前に両利きの人が存在していて右手と左手の左右差は解消できるということを証明していた。

 

 

この驚き感、なにかに似てると思っていろいろ考えていたんだけどこれは差別が当然と思っている人が被差別者の逆襲にあったときの気持ちに近いのではないだろうか。

 

私は右手優位主義者であり左手蔑視主義者で、右手で鉛筆を使ったりお箸を使ったりといったメインの仕事をすることにまったく疑問を感じていないし、左手が紙を押さえたりお椀を持ったりというサブの仕事をするのも当たり前だと思っている。

なのにある日突然左手が「われわれは差別されている、われわれも右手と同様に扱われるべきだ」とか言い出したら、たぶん私は鼻で笑うと思う。「左手なんて不器用で何も出来ないくせに右手と同じことしたいなんて何言ってるの?」というのは「女性は馬鹿で感情的で何もできないくせに男性と同等だなんて何言ってるの?」とまったく同じ構造だ。

 

そして左右同権社会みたいなものができたとして、右手と左手を差別するのは良識ある大人のやることではない、みたいなのが常識になったとして、そこで左手で字を書くなんていうめんどくさいことを強要された私は古き良き右手優位主義社会を懐かしむだろうし、なんだったら左手優位復権を唱える安部自民や小池新党に投票しちゃうかもしれない。

 

そう考えてみると性教育をやるなとか教育勅語復活とかいうバックラッシュを恥ずかしげも無く実行してしまうオヤジたちの面の皮の厚さというのも少しは理解できるかもしれない。彼らの中では彼らが正義なのだろう。私が虐げられてきた左手のことなんて考えもしないのと同じように、彼らは彼らが踏みつけてきたもののことなど考えもしない。そんなやつらはやく死ねばいいのに。

 

 

 

 

 

現実問題、全員を救済はできない

安楽死小説がはてなのトップに上がってて、あれは格差社会とかがメインで安楽死自体はサブテーマなのだけど、安楽死ってまじ必要だよねと思った。

 

たとえば、胎児の人権だとか言ってNICU作って重度障害者を量産したわけだけど、それをもっと推し進めたら重大な遺伝子欠損があって受精はしたけど着床はしなかった受精卵だって人権を与えるべきということになる。

NICU上がりの重度障害者というのは目も耳も聞こえず知能も無く一生病院で管にまみれたスパゲッティみたいになって奇声を発しながら管から十二指腸に栄養流し込まれつつ何十年も生きるわけだけど、着床すらできない受精卵を救ったらもっとすごいことになるよね。無理やり培養したとしても試験管の中に浮いてる脂肪の塊にしかならないよね。グロい脂肪の塊を生かすために医療費が一日あたり一千万単位でかかるんじゃね?

てことになる。

 

認知症もそう。あれ病気だっていわれてるけど実際は知能の低下に環境に適応できないストレスが加わったコンボ技だから。

だから生活様式と価値観が激変している現代では認知症が大量発生する。つまり認知症になるということはヒトとしての賞味期限が切れてバグを起こしている。無限に金とヒマがあれば知能の低下に対応した環境整備もできるかもしれないけど、それはつまりバブル期の島耕作的な世界観であったりホモを笑う精神性を構築してさしあげることだ。

 

ミクロ視点で見たとき認知症の介護というのは大好きな身内を見捨てることだけど、マクロ視点で見たとき、もうじき死ぬ年寄りにいい思いさせてあげるためだけに多くの人の人生を犠牲にすることになる。

介護のなにがきつかって、肉体労働の部分ではなくて「被介護者を愛すること」が「自分の人生を食いつぶすこと」と等価交換になっていることだ。じいさんやばあさんを愛する気持ちがあるなら自分の人生を犠牲にできるはずだ、犠牲にできないのであればおまえなじいさんばあさんを愛していないのだ、という。

 

そういうの、お互いに望んで無くない?

じいさんばあさんだって息子や娘が自分たちのために人生をささげるの望んでないだろうし、むしろ「子供は親のために犠牲になって当然」みたいな身内とはさっさと手を切ったほうがいい。

 

もういいよ、許してあげて。

生きる権利ガーとか環境さえ整えバーとか言うのやめたげて。