雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

世界公平仮説を守るために他者を否定する人たち

ずっと以前な上に私は当事者じゃなくてただの通りすがりだったんだけどきつかった話です。

 

その当時子育て真っ只中だった私はなんでだったか忘れたけどなんか断れない事情があって子供の育て方フォーラム的な怪しげなものに出席していました。その中で発達障害で暴力性の高い男の子をワンオペで育てているお母さんが発言していて、「一言注意しただけで大暴れして殴る蹴るの暴力を振るってくる息子の顔色を伺って生活している、もう息子を愛せないし息子が死んでも泣かない」というめちゃくちゃ重いことを言っていました。

でも講師は「暴れる息子さんの気持ちをくんであげて」とか言うわけですよしねばいいのに。「私の子もワガママ言うことはあったけど話し合ったら解決した」とかいうご高説をひたすら語る。相手の気持ちを尊重してとか傾聴してとか言ってる講師が一番話を聞かない。

私も当時いろいろ大変だったのでもうその問答がつらくて聞いていられなくて「たとえわが子からでも暴力は暴力だし、これは家庭内暴力の問題で、まず被害者であるお母さんの身の安全を確保しないと、あと児童相談所に相談しないと」と口を挟んでしまいました。クソバイスすんなとか言ってるくせにごめん私もクソだわ。でもそしたらその場の全員に母親の愛だとか発達障害が治った事例だとかジョブズ発達障害だとかクソなことをめちゃくちゃ言われた。その後母親の無償の愛は女性特有の素晴らしいものという話題で盛り上がった。

 

なんかもうつらい。めちゃくちゃつらい。なんで母親であるだけでこんなに責められなくてはいけないの。力を貸してくれるはずの人までなんで母親を攻撃してくるの。

 

当時はつらすぎてそれ以上考えられなかったのだけど、たぶん彼らは自分の中の平和を乱されたくなくて目の前の状況を拒絶したのだと思う。

母親を殴る息子なんていないし、息子の暴力におびえる母親なんていないし、愛せないほどの暴力なんてない。そんなの信じたくない。母親は無償の愛を持っていないといけない。それを否定されるということは自分が愛されない可能性につながるから認められない。

そんなちっぽけな世界公平を守るために今目前で苦しんでいる人の存在を抹消したのだろう。

 

多くの人にとって、自分自身の公平な世界観を守るということは公共の福祉をはるかに超える重大なことなのだろう。自分の公平世界が守られるためなら目の前の人が傷ついたって追い詰められたってなんなら自殺したって殺されたって構わない。いや、だれかを傷つけたことすら気づかない。

それはもうしょうがないよねそういうもんだというなら。彼らはそういう生き物なのだ。人食いワニに人道を説いても意味がないからワニは檻に入れて飼いましょう。彼らも檻に閉じ込めましょう。

 

なんかもうトランプと安倍は火星かどっかに移住して新しい国作ればいいんじゃないかな。

 

 

 

 

 

被害者を貶める構造をしたもの=エロなのではないか説

追記:id:xorzxさんから『オタクがキモいのはネトフェミがキモいから。ネトフェミがいなくなればキモいオタクも存在しえない』も成立するの?みたいなコメをもらったので返信します。

他者をAだと思うのは自分がAだから理論という点では成立しますね。全ての感情は自分の心理の投影であると言える。でもエロのキモはそこではなくて、自分が見下しているエロという存在を女性に投影した上に、女性が喜ぶと思っているし拒絶されたら激高するというところです。

ネトフェミは己のミサンドリーをオタクに投影するけれど、「すみませんボクが間違っていました」という答えが欲しいというある種ストレートな要求をしてきます。で、罵られた相手が「ボクは淫乱なオタクですぅぅ」とか言ってションベン漏らしてイぐのを求めるのがエロ男性。

追記ここまで。

 

 

エロはやたらに怒られるし私自身可能な限りエロコンテンツには近寄りたくない。エロ焚書しそうな勢いでエロ即斬なアカウントもけっこうある。

そのことが正しいかどうかはともかく、エロが蓮コラ並みに許せないという感情はあって、それは何に由来しているのかを分析しないとエロが好きな人と嫌いな人の不毛な戦争だけが続くので、ちょっと理由を考えてみた第二弾。

 

rainbowflag.hatenablog.com

こういう人たちはちょっと冷静になったほうがいいとは思うけど、冷静になれないほど大変なのだというのは伝わってくる。だけどたぶんキズナアイを抹消しても少年ブレンダさんが満たされることはなくすぐに次の相手を見つけるだけじゃないかと思う。

 

 

前回の記事ではエロには「他者をAだと思うのはお前がAだから」が適用されるという発見を書いた。「裸の女性をエロいと思うのはお前がエロいから」であってエロいと思う人がいるからエロいのであって、裸の女性単体ではエロは成立しない。逆に「イケメンをカッコイイと思うのはお前がカッコイイから」は成立しなくて、だから少女マンガ表現は良い表現でエロは邪悪な表現だという感性につながるのではないか。

 

女性が女性であること、女性が好きな服装をすることが性的だとか問題だと言われて公の場から排除されたり差別されること、見下されることに対して、怒りを感じていました。

worldhumanrights.cocolog-nifty.com

 

巨乳は悪くて貧乳は可とかロリ顔はダメだけどアメコミ顔は可とかそういう問題ではなく、どのような表現であれそれは個人の自発的な行動なのに、勝手にエロ、つまり不名誉をかぶせられ「かわいい服(巨乳、ロリ顔etc)のお前はエロくて不名誉だ」になること。それが問題なのかと。

 

エロ=不名誉 エロ=押し付けられて喜ばなければいけないもの

 

私は「お前はエロい」とか言われたら相手の心が折れるまでファイトする。「お前はエロい」と言われて名誉棄損で訴えるケースは星の数ほどあれど「お前はカッコイイ」とか「お前はやさしい」と言われて訴えることはまず無い。エロは不名誉で不浄のものであると考えられていて、だから「お前はエロい」は「お前の存在は不名誉で不浄のものである」と同等だ。

なのに、世のエロ男性は「お前はエロい」と言われて喜ぶと思っている。傷ついたというと怒り出す。穏便な男性でも、一瞬でも女性をエロい目で見たことがあるなら今後一生悔い改めろなどと言われたらむっとするだろう。だけどエロ=不名誉という図式を内面化した男はどれほど穏便でもやはりうっすらと加害者です。肉を食べる奴は加害者とか先進国住民は加害者とかそういうレベルですけど。それに男性に限らず「私をエロで侮辱する奴」はすべて嫌いですしできれば消滅してほしいですけど。

 

エロが許せない人の理由

エロが許せないというのは侮辱が許せない、暴力で侮辱を強要するのが許せない、侮辱を喜んで受け入れるべきという二重の侮辱が許せない、ということであって別にちんちん出してるからダメとかゴムつけてるからセーフといった個別事例ではありません。

 

エロが不名誉と不浄の代名詞である以上、セクハラもナンパもセックスも、誘われた側は激怒していい。だけど現実にはナンパされた女性はにっこり笑って穏便に断らなくては身の危険が迫るし、AVの女性は最後には喜んで腰を振る。女性はエロを押し付けられて喜ばなくてはいけない。少なくとも不快感を表明するのは潔癖すぎる。なのに当の男性はエロを見下しているし自分が性的にみられることなんか考えもしない。

他人にウンコをなすりつけて「ウンコをなすりつけられて喜ぶべき、まぁ俺はウンコなんかなすりつけられたくないけどな、ウンコのこと心底見下してるけどな!」と言っている人がいたら一生病院から出てこないでほしいし「ウンコなすりつけられて喜ばないなんて許せない俺は差別されているぅぅぅ」とか言って無理やりウンコなすりつける犯罪者は一生刑務所で暮らしてほしい。

 

 

つまり現在のエロは多分に侮辱欲を含みます。

生殖を目的としないエロがこれだけ氾濫する中、エロは侮辱欲だと言い切ってもいい。そして実際には侮辱されたい男性も侮辱したい女性もいるし一人の人間においても時と場合でゆらぎがありそもそも侮辱なんか関わりたくない人が大半なのに、社会規範によって人間は侮辱して喜ぶべき側と、侮辱されて喜ぶべき側の二種類に分けられる。

駅のイメージキャラクターやラノベの表紙やVtuberに目くじらたてるのもいいけど、もっと根本的に、一対一の親密な関係と侮辱が深く結びついてしまっていることに傷ついていることをちゃんと考えたほうがいい。このままではセックスする度に男も女も傷ついてしまう。

 

そして「俺の見下しているウンコをなすりつけられて喜べ」ってこれ試し行動ですよね。どれだけ嫌なことを受け入れてもらえるか。嫌なことを我慢ではなく真心から受け入れてもらいたい。ネグレクト受けた小学生のガキが小学校でよくやるあれ。なにが男をそこまで追い詰めてるの?そのあたりちゃんと男性学やってほしいのだけど「感じない男」以降ちゃんとした男性学が出てこない。男の闇が深すぎなのか、男が馬鹿すぎて言語化できないのか、優遇されすぎて考える必要がないのか。

 

 

 

 

www.buzzfeed.com

 フェミはこういうのを叩け、というのも考えてみりゃ幼稚です。

労働者は搾取されて殺されてもいいという現実はすべての人に関わりがあるはずなのに、それをフェミが叩いてくれて当然と思っている。男性差別を救わないフェミは差別ぅぅぅとかいうのもありますけどそんなん自分でやれと。フェミニストはお前のママじゃねえよと。なんでそんなに他人事なの。みんな他人叩く前に自分を救おうよ。

 

 

 

最低な漫画を紹介。閲覧注意

 

 腐男子というふれこみですが、他人の同性愛を消費するくせに自分が同性愛者だとみられることは徹底的に嫌い同性愛者の友人を見くだすグロテスクな話。これが笑いとして通用する現状は異常という認識はあっていいと思う。

 

 

以前書いてた関係ありそうな記事。

「いやんらめぇ」からの「ああんだめなのにかんじちゃうぅぅ」は内容がセックスであれもっと軽微なものであれセンシティブタグをつけてほしい。

hedgehogx.hatenablog.com

 

女性向けBLでも、受けになることを嫌がる攻めというジャンルが大嫌いです。じゃあお前は愛するパートナーに「男の沽券に係わる」「人としての尊厳が傷つく」「大事なものを失う」(どれも実際にあった表現)行為を強いた上にそんな行為をパートナーが喜ぶことを強いるのかと。それは愛ではなく暴力です。

 

 

エロはなぜむかつくのかの考察

エロを過剰に規制するのはよくないけど、それはエロを表現の一つとして平等に扱うのとイコールではなく、なぜエロはこんなに怒られるのかは引き続き考えていかなくてはいけないと思う。


この、エロはむかつく、とくに男性目線のエロは大嫌いという感覚はどこ由来なのだろうか。エロ擁護派はフェミの被害妄想ということにしたいみたいだけど果たしてそれだけで片付けていいのだろうか。我々は男性エロの暴力性に慣らされすぎていやしないか。
男性向けエロは単なる一表現であり一般作品のバリエーションの一つと捉えるのは妥当なのか。男性向けエロには本当にヘイトスピーチのように規制すべき要素は本当に微塵も無いのだろうか、とか考えてた。

それでエロは「他者をAだと思うのはお前がAだから論法」が通用するのがなんか関係あるかもと思った。

水着の女性をエロいと思うのは男がエロいから、なところがむかつく。男がいない世界ではエロい女性もいない。水着の女性だけが残る。だから多くの女性は女だけの街をここちよいと感じる。

逆に、イケメンをかっこいいと思うのは女がかっこいいから、は成立しない。女がいようといまいとイケメンはイケメンのままありつづける。すでに主体である多くの男性は男だけの街など無くても構わないのではないか。

みたいに、むかつくかどうかの判定基準の一つとしては「他者をAだと思うのはお前がAだから論法」が成立するかどうかを使うのはどうだろう。

たぶんエロに怒って各方面にガソリンぶちまけている人達は自分が何に怒っているか分析して敵を見極めたほうがいいと思う。

過去記事

http://hedgehogx.hatenablog.com/entry/2017/06/24/225931

最近のフェミとオタクの罵りあいに欠けているもの

ちょっと落ち込んでいるうちにラノベゾーニング問題やキズナアイNHK出演問題がなにやら香ばしいことになっていたんだけど、みんな議論慣れしてなさすぎるので倫理とか哲学とかからやり直したほうがいいと思う。

 

キズナアイちゃんかわいいやんけ…

それだけじゃダメなん (´・ω・`)

 

現状こんな感じらしいです。

音声配信ってみんないつ聞くんだろう。電車やカフェじゃ聞けないし集中しないと聞き取れないしそもそも他人の声聞くとか苦行なのでこの配信もまだ聞いていません。だれか文字起こししてください

www.tbsradio.jp

 

そしてこんな総括的な記事も出てきていました

amamako.hateblo.jp

普通の人にとって、あたりまえを疑うのは苦痛であるというのは斬新な意見ですね。なにせ知的ゴリラなもので、そんな思考もこの世にあるのかって思いました。

そして、当たり前を疑うことも、議論することも攻撃ではないし態度を改めろと言う圧力でもないということをみんなもうちょっと知ったほうがいい。

 

奇乳エロ絵が気持ち悪くて傷ついた心を癒すのは、エロ絵を消滅させることでもエロ絵師を改心させることでもありません。エロ絵で傷ついてエロ絵を排除したら、次は別のことに傷ついたと騒ぎ始め最終的に自分以外の全員を殺すまで満たされないというのは歴史も心理学も証明しています。悲しみも憎しみも自分の中にあり自分の手で解体するしかない。

ていうのと、むかついても我慢しろというのが混同されてる。

結局、僕らは「自分の当たり前の世界を壊してくる他者」から逃げることはできない。なぜなら自分たちがそうだから。僕らみんな、被害者であると同時に、加害者なんです。

大事なのは、そこで居直らないこと、一方で、過度に深刻に受け止めないこと、また、訴える側も、そのようなアンビバレンツを許容することなのでは、ないでしょうか。

なんか、そういう妥協で生きるのはそれはそれで知的マッチョをゴリ押ししてる気がする。当たり前を疑うのが苦痛な人はむかつく点には目をつぶってよい点を見つけるなんてこともできない精神状態じゃないだろうか。

 

だから違うんだよ、弾劾するのでも妥協するのでもなくて幸せの総量を増やす方法がもしかしたらあるかもしれないんだよということを言いたい。

 たぶんちゃんと哲学や社会学をやってきた人たちは、当たり前を疑うその先にある自由を知っているからこそ当たり前を疑えるんじゃないの?疑うことを嫌がる人たちは当たり前を疑うことが他者を排除することや自分が我慢することだと思っていると思う。改善のための議論とガン詰めを混同している。

小学校で気持ち悪い道徳なんかする前に、ディベートとか構造主義とかやればいいのに。

 

 

以下、主に最近のネトフェミ業界のことを言っていますがしれっと個人的な仕事への私怨が入ります。もうやだ仕事。馬鹿ばっか。

 

ほんとさぁ、私はこう思うからこれが正しい、以外のことちゃんと研究しようよみんな!

とりあえず言葉の定義はちゃんと決めよう。ほんとたのむよまじで。まず萌えって何?エロって何?男性が奇乳ロリに求めるものと女性がイケメンやショタに求めるものに違いはあるのかないのか?普通に健全に愛でるのとエロ目線で愛でるのは何が違うのか?

 

そういうの全然考えずに私が気に食わないものはすべてエロいものだとか、逆に俺が好むものはすべて良いエロだとか、幼稚園児かと。そんなんだからちょっとまじめな研究しようと思うと一つ一つの言葉の定義から全て疑わなくちゃいけなくて、なんだよもうなんで私がこんなことまで面倒みてやらなきゃいけないのお前らがっつり研究費貰って何研究してんだよ私にもくれよ研究費!

みたいな気持ちになる。最後の方は仕事の愚痴です。プロの研究者のくせに専門用語の定義すらできてないとか、それが世界水準とか、私もうどうすればいいのかな。いっぺん死んで来世に期待したほうがまだ勝ち目がある気がする。

 

www.anlyznews.com

わー、用語の不正確さ、恣意的な研究、批判不在。めっちゃ既視感。既視感しかない。どの分野もこんな感じなの?やべーな人間の知能。人間なんて知能くらいしかすぐれたところが無いのに知能すらダメとか。

 

私としても奇乳ロリのポスターがべたべた貼ってある書店に娘を連れて行きたくはないし、本やゲームの女性キャラが露出の高い巨乳だけになりがちな現状には嫌悪感を抱いている。

たとえば高熱で寝込んだとして、今私は高熱が出ているというのは誰にでも感覚帝に知分かるけどその原因がインフルエンザなのかピロリ菌なのかは知覚できない。病原菌が病気を起こすというシステムを学んでもそれは後付の『知能』であり私の『感覚』ではない。原因やシステムを理解するのは感覚の仕事ではなくて知能の仕事だ。

そして多くの場合知能の分野では感覚は役にたたない。目に見えないウイルスの仕業と捉えるより気に食わない奴に呪われたと捉えるほうが感覚としてはしっくりくる。

 

だからここに私の抱く嫌悪感がある、という私の感覚は揺るぎない事実で、でもその嫌悪の感覚が何に対してどう発動しているかというシステムはよーく考えないと分からない。ラノベの表紙やキズナアイに嫌悪する人は、ちょっと乳が個性的な形の人が嫌いだとかかわいい女の子が嫌いだとかではなくてその記号と結び付けられた何かを嫌っている。じゃあ私は奇乳に何を結び付けているのだろうというのを考えないと。

 

たぶん私としては、女性のみが奇形化されるのが嫌なのだと思う。

現状では奇形エロ絵は女性に対して「お前の属する性は奇形エロとして消費される性なのだ。男性や無生物は奇形エロとして見られないのにお前の体だけが奇形エロとして見られる、すなわちお前は奇形エロである」というメッセージを発している。

加害者が勝手に欲望を喚起されただけなのに、被害者がエロいのが悪いとされるセカンドレイプの構造と同じことが起こっている。

いや私だって奇形エロ絵だけみて「女性は奇形エロである」というメッセージを読み取るのはさすがにやりすぎだと思う。奇形エロ絵は一部の非実在女性は奇形エロであるとしか言えない。だけど多くの女性が「お前がエロいから男性にエロいことをされるのだ」というエクストリーム理論を押し付けられ続けていることを思い出してほしい。女性はエロいから纏足のような靴を履いてエロさを強調しなければいけないし、女性はエロいからエロいめに合わないようにするには夜道を一人では歩いてはいけないしナンパされても笑顔でかわさなければいけない、それを守らずにこうむった不利益は自己責任。私はエロくなんかないのに、お前はエロいからを理由にうんざりするほど大量の不利益を押し付けられているのだから奇乳エロ絵に対して条件反射的に「これもまた私にエロの規範を押し付けてくるものだ」と構えてしまう。

実際、奇乳エロ絵を見て萌え萌えする男性は「俺が萌えている」という主体としての自覚がなく「奇乳女性がエロいから俺の萌えが喚起された」と己の感情のトリガーを奇乳女性という他者に投影している(よく知らないけどたぶん)。そう思うと男性エロおける、欲望喚起のトリガーを客体に投影する行為がむかつくのかもしれない。

 

とかねー!

そういう風にエロを理性で解体してかなきゃいけないと思うのだけど、それをやる人が少なすぎて、いっちょ考えてみようかとなると今回みたいにエロとは何かという基本的すぎるところから考えはじめなくてはいけなくていつまでたっても結論にたどり着けない。

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人間には言葉があるんだからさー、ちゃんと知見の蓄積しようよ科学の基本じゃん。それができないなら猿からやり直せ。

いやもうフェミとかはわりとどうでもいいんだけどさ、仕事のほうはわりとどうにかしてもらいたい。専門家はちゃんとやれよまじで!なんでこの分野こんなにぐちゃぐちゃなの?!現代の劣化した社会学のがなんぼかましってどういうこと??自分定義で余計なことして迷走するなら初めから何もするなよ!自分の言ってることの矛盾にすら気づかないの病気かな?

 

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話をフェミに戻すと、表現の規制ではなくてファーマティブアクションをすればいいのでは。ショタのちんちんやマッチョの雄っぱいやジジイのアナルを奇形ロリ化し強調するファッションをさせて町中に貼り付ければいい。いや人間だけなんて心の狭いことは言わずケモナーのみなさんにも頑張ってもらおう。ドラゴンカーセックスだってあるんだから無生物もイケる。

モナーといっても現状一般的なロリ娘に猫耳をつけただけみたいなのは女性エロ化に分類する。それは猫耳娘であってケモナーではないと声を大にして言いたい。いや猫耳娘全然アリだけど、それは人間女性であり、動物に萌える者のみが真のケモナーだ。ネコのトゲペニスを、ウマの細長い骨盤を、ヒツジの狭い膣を、トリの総排出口を奇形化し申し訳程度の布で覆い消費しよう。もちろん無生物も同様、戦車に人間の雌のおっぱいをくっつけるのは女体エロ枠とする。

そうしたら「女性は奇形エロ」という図式が消滅し、「奇形エロを消費する奇特な人も世の中にはいる」になっていろいろ捗るのではないでしょうか。いろんな性癖が市民権を得て一石二鳥。

 

こんな感じで、ノーマライゼーションとか弱者救済とかはみんなが生きやすくなるためのものななずなのに、お題目はリベラルなのにやってることはエセ保守のままアップデートできてないのが本質の問題だと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

落ち込んでる

 

このブログでは散々ぐちぐち書いているけど、私には特殊な分野で特殊なことを成し遂げる才能しかない。

以前書いた気がするけど私がものすごく汚れが落ちる洗剤を作ることができるとして、でもそんな才能はごく一部の同業者にしか理解されない。消費者が求めているのはFBやメルマガで流れてくるような怪しげなネットワーク商品であって彼らは別に洗剤の洗浄力なんてどうでもいい。消費者が求めているのはドリルではなくて穴なのだけど、私にはその穴の価値が分からないから高性能なドリルしか提供できない。穴モドキは作れても穴の本質が分かってないから三流品にしかならない。あと病む。

 

事務仕事できないし、名刺交換すらできないし、毎日決まった時間に起きることもできないし、TPOに合わせた格好もできないし、メイクもできないし社交辞令も言えない。そもそも毎日同じ場所にいるということができない。

ほんとーに、才能以外の能力が壊滅的に低いんだよなぁ。。。

たまに入院するとやたらに退院を渋られるんだけど、確かに私の生活力は壊滅的だ。徘徊するし、時間も守れないし、食事すら満足にできない。軽度から中度の認知症レベル。こりゃ介護者無しに生活は無理だしましてや仕事なんてせいぜい作業所くらいじゃね、というレベル。

 

別に役に立たないから死ぬべきだとかは思わない。誰にどんな迷惑をかけても生きる権利はある。だから無能な私は死ぬべき、とは思わないのだけど、つまんないから別に死んでもいいかなとは思う。いや自殺企図とか希死念慮とかではなく。なので通報はしないどいてください。自分から死ににいきたいわけではなく、もし運悪く死にそうな状況になっても足掻かないなというだけなんで。

現在の私は大変恵まれていて、こんなうすらぼんやりしてなにも手につかなくてもまぁいんじゃないと言ってくれる人に囲まれているので、まだ死にません。死ぬほどの熱意を掻き立ててくれるものが無い。無いというのが怖い。むしろ掻き立てることを禁止されている。

 

無能でも有能でも別に構わないし稼げなくたって仕事しなくたってひきこもりしてずっとゲームしてたっていいじゃない、死にそうな顔して仕事しているより役立たずでも笑ってくれているほうがいい。

て、酷くないですか。私は能力よりもただそこに在るお飾りであることを望まれている。トラウマ狙い撃ちかよ。結局私はあの蔵から一歩も出れていない。

いやこのセリフだけ聞くとスパダリみたいですけど。スパダリだったら私も喜んで養ってもらうのですけど、そういうやつではなく。現状、私の家族(家族といっても戸籍上だけの偽装家族なのですが一応共同生活をしています)は私のご機嫌次第で簡単に崩壊して修羅場になってしまう危うい状態です。構成員全員が何らかの関係の病理を抱えていてそれを家族に投影していて、でも本物の家族に病理を投影する恐ろしさはお互いよく知っているので偽装家族として家族ごっこによって関係を再構築しようとしている。お互いの傷を投影した家族ごっこの中で、母親役たる私に求められるのはただそこに在ることです。仕事はしなくていい。家事も育児もしなくていい。ただただそこに在り構成員を肯定することを求められる。だったら仏像でも拝んどけばいいんじゃないですかね。おひいさまとして神格化された私にはぴったりの役割ですね!

 

多分私は、血反吐吐きながら仕事したいのです。その原動力は歪んだものかもしれないけど、仕事がしたい。プライドもなにもかなぐり捨てて得意先回りしてセクハラされてデスマして仕事がしたい。意識高い系を装いカネの話しかしない異業種交流会に出て怪しげな情報商材を売りたい。

でもそれをしたら私の偽装家族が壊れてしまうのです。だったら私は仕事で承認を得ることをあきらめなくてはいけない。

 

ちょっと前だったら、だってしょうがないじゃない私には才能が無いのだから媚びるしかない、私の出した成果なんてすべて自己満足の幻想。と言い訳できたんですけども。でも恐ろしいことに、才能と実績に関しては肯定されてしまった。学会での評価が、論文の引用数が、講演での反応が、私の妄想でなければ、私には類まれなる才能がある。だけどどんなに結果を出してもそれは望まれていない。私は誰かの苦しみを消すことができるけど、誰も苦しみを消すことなんて望んでいない。

 

 

だったらもう私にできることなんて何もない。

何もできないままただ苦しんでいる人の声を聴き続けることしかできない。

いやいいんだけど、役にたたなくたって生きてていいんだけど。でもつまんない。ひたすらつまんない。このクソゲーを最後までプレイする意味が分からない。

 

 

とりあえず薬飲んで寝ます。あ、ODとかではなくちゃんと容量守るんで通報はしないでください。

おやすみなさい。

 

 

 

 

多様性の許容は、殴られても我慢することではない

子供がコンビニに行ったら店員さんに突然暴言を吐かれて問い詰めたらその店員さんの妄想由来の暴言だったという話が上がっていました。作者の人の結論としては、妄想由来の暴言を吐く店員さんのことも受け入れるのが多様性というオチでしたがそれはすごくずれているよという話を書きます。

blogos.com

 

多様な人を受け入れられる社会というのは、自分もまた排斥されない安心感とともに生きていける社会でもあります。もちろん程度問題ではありますが、このメリットを享受することと引き換えに、私たちは全員が少しずつ他者に配慮する、と同時に、ちょっとした不測の事態に直面したとしても、なんとか自分で自分の心を守り抜く、そのための強さを育てていく必要があるのだろうと思います。

 

気に食わない奴を殴る権利を保障するということは、殴りたくなるほどのストレスは一切改善しないという宣言と同等です。

暴言を吐く店員さんを許容するというのは、

『痴漢は女性のお尻に触っていいよ、まぁストレスの現況である満員電車も残業もパワハラブラック企業も一切改善しないけどね!』と同じです。皆さん大嫌いな多様性の拒絶、エセ保守と同じことを言ってしまっています。

 

 

なんというか、妄想由来の攻撃をアトピーとかワキガみたいなどうしようもないものと混同しているのかな?

上記の文章がたとえばアトピーでどんなに治療してもどうしても皮膚が爛れて異臭を発してしまう人に向けてのものだったらまっとうなものだと思う。見た目が違うとか言動が違うとかいった異質が隣人として在ることを許容する社会でないと困る。見た目や言動が目立つと接客業ができないという現在の風潮は変わったほうがいい。

これはICF国際生活機能分類)で言うところの個人因子の部分にあたります。個人の特性はどうしようもないし無理に変えるべきではない。

 

でも、妄想由来で暴言を吐いてしまうというのは、痴漢がどうしてもお尻を触ってしまうのと同じ状況です。

 

コンビニ店員さんにとってのベストは妄想由来の暴言を吐きながら仕事を続けることを尊重されることではありません。

妄想的な認識をしがちであるという性格は気質は個人因子なので尊重すべきところです。ですがこの個人因子が接客という高ストレスな仕事や低賃金やその他の理由との相性が悪く、暴言という困りごとに発展してしまっているという現状には改善の余地があります。我々がすべきことは困りごとの発生するシステムを『尊重』することではなくその人を取り巻く困難な状況を改善しその人の本質を『尊重』することです。

 

そういう人達が迷惑だからと、そうでない人の力で社会から排斥するのは簡単です。でも、それは同時に、ほんの少し逸脱すれば自分もまた、社会から簡単に排斥されてしまうリスクを負う、ということでもあります。

だから、攻撃的な妄想を他者に向けてしまうほどストレスを抱いている店員さんに抗議し店員さんの上司や会社や福祉に何らかの改善を要求するというのは『排斥』ではありません。むしろ現状を受け入れることこそが店員さんにとっての排斥です。

 

 

以前LGBTの権利を認めるなら痴漢がお尻を触る行為も認めるべきだというとんでもない言説が話題になりましたが、これも個人因子と障害全体を混同しています。

LGBTであること、女性のお尻を触りたくなること、小さい子供とセックスしたくなること、などの個人因子は尊重されるべきです。ですが痴漢の被害者を発生させてまで自分の欲望を満たそうとせざるをえない無茶な環境は断固として排斥すべきです。痴漢に必要なのは触る権利などというふざけたものではなく、休養とカウンセリングと生活の保障です。

 

そのあたりを誤解している人がたぶんいっぱいいて、リベラルが毛嫌いされる一因になっているような気がします。他人を受け入れることは無抵抗で殴られることではありません。加害者もまた構造の被害者です。

みたいなことをちゃんと考えていく必要があるのだと思いました。

10年前に親に黙って入籍しました

ご両親に黙って入籍したら修羅場になったよみたいな記事がいろいろ言われてて思ったこと。

 

一方の情報だけでどっちが悪いとか正しいとか決められないというのは当然です。それ以前にたかがブログ記事を読んだだけの通りすがりが筆者の人生に何かしらに介入をするなど不可能で、他人にできることなんてワイドショーを消費するように適当な戯言を垂れ流すだけです。なので私も戯言を垂れ流します。

元記事はこちらです

shinnotsuma.hatenablog.com

 

他の記事を拝見すると、結婚後はご両親と少し距離を置いて関係を少しずつ再構築されているご様子で、他人事ながらほっとしました。よかったまだ引き返せる距離感で…

で、両親の献身を裏切って奔走する子の行動をいさめたい人って何考えてるんですかね。身勝手な子をたしなめ努力する親への援護射撃のつもりですか?この子は私が管理監視しなければと脅迫的に思っている親元に子を返すのは親をさらに追い詰める行為になるわけですが。そういう親至上主義が虐待を生むわけですが、結局面倒事は親にすべて押し付けて一家心中すればいいゴミ社会に出てくんなということですかそうですか。

親がかわいそうというなら必死で育てた子に一生寄生されて一人じゃなにもできない無能な子を残して先立つほうがよっぽどかわいそうじゃないですか。 

 

娘が突然わけのわからない男を連れてきたら動転して娘を罵るのが親の愛みたいな発想も、なにそれこわい。大事な娘をたぶらかしやがってこのやろう不幸にしたら承知しないぞと男に八つ当たりするならわかるけども、とっさに娘disになるってやっぱ親もいろいろ大変そうだと思うけど。

 

どうせすぐに離婚するだろうから子が悪いというロジックも、なんなんですか。

過保護な両親に選択肢すべてを奪われて生きてきた子が初めて行った選択で完璧に成功しないと親が全面的に正しいことになると言ってるわけですがそのあたりほんとに分かって言ってます?そういう人は自分の足で立ちあがった瞬間から一度たりとも転ばず成長してきたんですかね?

 

 

 

 

さて、ここから先は元記事の方とは無関係の私の話です。

要約すると、頭のおかしい私を必死で養育してくれた両親への恩を仇で返し、実家を逃げ出して住所不定無職期間を経て勝手に結婚して家を出た話になります。 

 

私の経験を元に発言しますと、現代日本の戸籍制度では血縁から逃げるためには結婚するしかないという状況が実は結構起こりえます。

結婚や行動の自由が定められている憲法はめちゃくちゃ頼もしく輝く瞬間です。憲法マジイケメン。憲法さんカッケー。憲法なんていう本来国家のあり方を縛るお題目を一市民が実感できる希少な機会です。まじで。いや普通に考えて異性との結婚でしか逃げられないのはおかしいのですが少なくとも一つだけでも逃げられる手段があるというのはありがたいことです。

じゃあ養子縁組や分籍でもいいじゃんと思われるかもしれませんが、それだと『戸籍を出た』ことにならないんです。これは婚姻制度に対する古い考え方と先進的な戦後民法のギャップを利用したハックなので。

 

詳しくはライフハックブログでも参照してほしいのですが、扶養とか保険とかって家父長制になっていて、扶養されている子は親の許しが無いと通院もできないし福祉を受けることもできません。マトモな関係しかご存じない方であれば「扶養されているのだから文句いうな恩を感じろ話し合え」と思われるかもしれませんが、そういう良識が通用しない状況というのがこの世にあってだな。

なまじ親に社会的地位があると子が福祉に相談しても親に頼れとしか言われません。じゃあ分籍しても養子縁組をしても、そこまで勝手にやってしまうイタい子扱いされるだけです。でも結婚となると脳みそが戦前で止まっているジジイやババアでも、もはや子が親の所有物ではないということを理解できます。

 

もうちょっと具体的な例を上げますと、私が偽装結婚を決意したのは措置入院のためです。

精神を病んで措置入院をしたときに、養子縁組や分籍だと戸籍上の親が保護者として扱われてしまうことがままあります。『キチガイ』である当事者がいくら親に連絡しないでくれと言っても誰も聞いてくれません。結果として両親の後見を条件に退院させられて座敷牢に閉じ込められることになります。精神が弱った状態で自宅に監禁されて毎日ずっっっと「お前が悪い」「お前のせいだ」「お前のためを思って」と吹き込まれたまに訪れる福祉の人には「立派なご両親に感謝しなければ」と言われ私の訴えは妄想とされ朦朧とするまでドラックカクテルを処方される。

思考が鈍って身を守れない状態で思考に侵入されるというのは、体でたとえれば全身麻酔で指一本動かせない状態でサンドバックにされるという状態です。かなりガチな生命の危機を感じます。そして濁った思考では感じた危機を正しく処理できず即物的な行動でしか身を守れない。気づいたら血まみれとかわりとよくありました。私は追い詰められると自殺に向くタイプでしたが他害に向くタイプだったら人を殺していたと思う。もし私が殺人をして刑事事件になっても両親が私を追い詰めたことは可視化されず「立派な両親を殺したキチガイの娘」になるでしょう。

 

いやね、私の頭がおかしいことも、私が現実を正しく認識できないことも、確かに本当なのですよ。実際入院するほど病んでるわけですし。だから両親や福祉の人の言うこともそれはそれで一面の真実ではありましょう。

だから問題はどちらが正しいかではなくてどうすれば全体の幸福が増えるか、です。

両親は私のことが心配でしょうがない。では私は両親の求める正しい人生を生きることが正解なのでしょうか。それは両親は幸福かもしれないけど私は不幸です。だったら両親は両親で楽しくやってもらって私は私で別の場所で楽しくやればどちらも幸福です。

別に正しくなくてもいーじゃないですか。結婚しても離婚してもいい。熟慮せずに軽はずみに行動して後悔したっていい。必要なのは正しさではなくてセーフティネットです。

 

ちょっと話が逸れましたがまとめますと、親の戸籍に入ったままだと自動的に親が保護者とみなされてお互い不幸です。でも結婚していると配偶者が第一選択となります。これ超便利。私が倒れても死んでも親が呼ばれない、私に関する決定に親が口を出す権限を失うという安心感が半端無い。

そして配偶者は所詮他人扱いです。世間様は親という生物に過剰な期待をしますが、配偶者に関しては警戒します。配偶者からの精神的肉体的支配はわりと多くの人が理解して手を差し伸べてくれる。私がつらいと言ったらそれを妄想と決めつけずつらさを減らす方法を考えてくれる。

 

ということで、もう10年くらい前に親に黙って入籍しました。

入籍のなにがいいってね、もう住所不定の逃亡生活をしなくてもいいところですよ!

親は子の戸籍を勝手に見る権限があるので、戸籍の住所に住んでると連れ戻しに来ます。家の前で待ち伏せたり車に連れ込もうとしたりピッキングで勝手に鍵をあけて部屋に上がり込んだりしてきます。他人だったらストーカー扱いされる異常な行動も、社会的地位のある親と精神障害のある娘というメガネを通してみればキチガイの娘を案ずる良い親の行動として処理される地獄みのある世の中です。

 でも結婚すると、どういうわけだかこれまで「キチガイ娘と献身的な親」だったのが「苦労する嫁と古い親」になって警察やら福祉やらがめっちゃ守ってくれる。なにこの格差はよ。

 

ただ配偶者をまるっと信頼するのはちょっと心配なのでお互い戸籍を汚したい者同士で偽装結婚がオススメです。できれば性志向が重ならない相手を選ぶと間違っても恋愛関係になってこじれたりしないのでさらによい。

ベストとしては結婚なんかしなくても自由になれることですけども、そうなれない現状がある以上結婚は優秀なライフハックです。