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雑記帳

チラ裏なつぶやき。鬱々しい。

ちょっと文句言うとすぐパニックになる人がうざい。

パニックになるくらい追い詰められるのはきついってのはわかるけども。尻拭いで徹夜明して仕事仕上げた足でクライアントに土下座してきた私がさ、なーんにもせずに職場で泣いてるだけのグズに気をつかってやらなきゃいけないのやっぱ納得いかない。

 

生まれ持った能力が低いってのはしょうがないことだし、初めてやることに失敗するのなんかすごく当たり前のことだし、人類ってのは失敗をフォローしあって生きるもんなんだから別にそこはいいんだけど。今回の件は抱えきれない仕事を振った私のせいでもあるんだから別に相手を責めようとかいう気持ちはない。

だけど、ていうか責めてないからこそ、失敗に至る思考経路を共有して次回以降の対策を練りたくてあれこれ聞いてるだけなんで、いちいちヒステリー起こして怒鳴り散らすのやめて。

 

今回大ポカをやらかした社員君はどうも建設的な議論というものをしたことがなくて、家庭でも学校でも会社でも常に糾弾されて断罪されてたらしい。だから私は別に残念社員君を責める気は全くないのにすごく警戒されててなんかもう保護した野良犬みたいにがぶがぶ噛み付いてくる。めんどくせぇ。

未来が不確実である以上全ての行動は失敗に繋がっていて、失敗なんてのは次回に繋げるデータ収集でしかない。なのに、お前が悪い、お前がいなければなにもかも上手くいったはずなのに、努力と根性でがんばれ、それができないなら死んで償え、みたいなことを言う人はすごく多くて、そのせいで失敗を脅迫的に恐れるあまり失敗から学べない人がとても多い。

そういう生き方が好きなら別にそれでいいんだけども。私はそんな非生産的な生き方嫌なんでよそでやってほしい。

 

失敗とか別にいいじゃん。ていうか私の会社においての失敗ってのは私の狭い価値観にそぐわなかったものという定義なわけで、そもそも社員君と私との間で成功と失敗の定義のすり合わせが上手くいっていなかったのが最初の原因なわけで。

いやちゃんと話さなかった私が悪いんだけどさぁ。話聞かなかった社員君にも責任あるよね。なんでもかんでも安請け合いして「がんばります!」しか言わないで上司にこびへつらうような態度しかとれないんだったらこんな零細に来ずに公務員にでもなればいいのに。いや公務員になれるほど優秀じゃなかったからうちなんかに来たのか。

 

障害あるとか体弱いとかメンタル弱いとかそういうのはしょうがないしどうとでもなるけど、助け合いが大前提のホモサピエンスにおいては他人から適切な支援を引き出すスキルが低いのは致命的だし、なんでもかんでも「がんばります!」でゴリ押しする教育を施す家庭はほんと罪作りだなと思った。

 

 

生きることに執着する人をみると尊敬通り越してなんかコワい

何もかも放り出して必死で生きることにしがみついてる人をみるとオバケ屋敷できゃーきゃー言ってる人を見たときのような微妙な気持ちになる。

なんでみんなあんな生きるの好きなんだろ。

そんな偉そうなことを言ってる私は生に執着がないんか、と言われると少なくとも現時点で生きてるわけで、けっこう執着してるわけなんだけども。私にとっての「生きたい」と一般のそれの間にすごく温度差というか違和感を感じる。

 

たぶん私にとって、永遠と一瞬はだいたい同じものなんだろう。だから大好きな人と一瞬でも一緒にいた記憶がありさえすればそれで満足。もう二度と会えなくてもあんま気にしない。だから友人が死んでもそんなに悲しくない。もちろん自分が死ぬのも悲しくない。てことで延命治療とかわけわかんない。どうせじき死ぬ人に労力つぎこむならさっさと見限ってもっと有意義なことしよ?て思う。

 

じゃあ私は死にたいのかというと別に死にたいわけではない。どちらかというと可能な限り長生きしたい。生物の定義が生殖とホメオスタシスである以上、生きしいけるものは慣性や惰性を好むのであり「生きている」という状態を「死んでいる」という状態にシフトさせるのには莫大な労力が必要で、その労力を捻出するだけの意義を見出せないからとりあえず現状維持で生きてる、って感じ。

実際、マトモな感性してると自殺とかほんとできない。どんなに追い詰められてても絶対踏みとどまっちゃう。逆に言えばマトモでいられない精神状態になれば普通に死ねるしそれは別に不幸なことではない、と思う。

 

そういうスタンスだともう生きるのめんどくさいやってなったときに結構簡単に死を選べてしまう。だから逆に、周りも自分も疲弊して憎み合ってそれでも死なない、殺さないという人達っていったいどういう死生観を持ってるのかなというのはすごい興味があってことあるごとにいろんな人に聞いてみるんだけど、そういうこと聞くとみんななぜか怒り出すのね。すごい不思議。あれだけ独創的ではた迷惑な価値観を持ちそれを実行しあまつさえ他者に押し付けさえするというのに、自分の価値観を自覚してないってどういうことなの。頭の中覗いてみたい。

めんどくさいメンヘラに絡まれた

これだからメンヘラは。なんて言うと思いっきりブーメランだけども。めんどくさい人ほんと嫌い。

 

いっちょ仕事を外注しよっかな、てことで人を探して一度会ってみましょうってことになって「明日だったら行ける」っていうから「明日は午後なら空いてる」って言ったら「明後日は病院の予約があるから明日の午後仕事の打ち合わせして疲れたら困るから行けない」とか言うわけですよ。

「じゃあ明後日はどうだ」と聞くと「明後日は犬の散歩にいかなきゃだから」とかわけわかんないこと言い出して、「じゃあもういいからあんたの都合のいい日はいつなんだ」って聞いたら「今週末は友達と約束があるからそれに備えて休まなくちゃいけない、だから来週木曜日なら行ける、だけど平日はバスの本数が少ないから駅前だったら10時50分に着く、でもバスは遅れるかもしれないから10時50分から12時までの間につくだろうと思う」とかキチガイじみたことを言い出したんでそこでやりとりを打ち切った。

 

 

 

こういう人ってどうせ「打ち合わせの場所に行く途中で足をくじいたから賠償しろ」とか言い出す(実話)んで、もう最初から相手にしないに限る。

なんなんだろね、あのやたら自分の事情を他人に忖度させたがる奴。聞いてもいないのに自分の予定をくっちゃべって忙しいアピールしてくるくせに、その内容は通院と犬の散歩と親戚の法事のみ。知らんがなそんなもん。あと高確率で自律神経失調症とメニエール。ていうかそれ、たいしたこと無いのに病院行って文句つける奴に苦し紛れにつけとく病名の代表例だね。ほんとに自律神経失調症やメニエールで苦しんでる人に謝れ。

 

私は普段、もっさい外見にだっさい服装でなーんも考えずにへらへら生きてるから、どうもちょろく見えるらしい。こいつだったらちょっと脅せば言うこと聞きそう、みたいな。あとビンボーな無職に見えるらしい。はした金ちらつかせれば喜んで靴なめるだろ、みたいな。だから変な人に絡まれることも多い。多分もうちょっと立場と年齢相応な格好と言動を心がければだいぶ人生渡りやすくなる気がする。

でも別にシャネルのオーダースーツとか欲しくないし。服や髪のために生きてるわけじゃないし。昭和アニメみたいなうっすい顔は生まれつきだし。馬鹿のために馬鹿を演じて差し上げるのはなんだか癪に障る。

 

 

 

経産省の次官・若手ペーパーに対しては「おまえが言うな」の一言で切り捨てればいい

なにかと話題になっている経産省の次官若手ペーパー。

これを読んで一瞬納得しかけてしまったけどいまいちモヤモヤが残るという人向けに一体これの何が問題なのかを分析してみた。

http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf

 

次官若手ペーパーの内容ざっくりまとめ

まず、次官若手ペーパーを頭悪くまとめてみた。

  1. 年寄り多すぎ、本人も周りも望んでいない無駄な延命治療多すぎ
  2. 子供少なすぎ、子育て世代貧乏すぎ
  3. 誰も望んでいない無駄な延命はやめて子供支援に回そうぜ
  4. もちろん望まれてる延命はちゃんとやるぜ

通産省の若手官僚さんたちはざっくりこんなことを主張してるらしい。

 

ちなみにもっと頭よくしっかりまとめてくれている方がこちら。

hirokimochizuki.hatenablog.com

 

問題点1 表面上はマトモっぽい

これ、引用されている統計が正しいかどうかという点はおいておくとして、少なくとも文章だけ読めばそんなにおかしな理論を展開してはいない。

べつに「年寄りは死ね」とか「年寄りに医療は必要ない」とか言っているわけではない。ただ「本人が望まない延命治療はやめよう」と言っているだけ。

患者本人の意思が完全に無視され、誰も望んでいない苦行のような延命が蔓延している現代日本の医療現場を知っている関係者なら諸手を振って賛成したくなる内容だ。人には生きる権利と同様死ぬ権利もある。だが残念ながら現代日本の医療現場で死ぬ権利は十分に保障されているとは言いがたい。

 

尊厳死リビングウィルについてはそれはそれでしっかり考えるべき問題だ。

「あらゆる手段を使って生きたい」と思っている多くの方々の意思も、尊重されるべきことです。一方、チューブや機械につながれて、なお辛い闘病を強いられ、「回復の見込みがないのなら、安らかにその時を迎えたい」と思っている方々も多数いらっしゃいます。

日本尊厳死協会

http://www.songenshi-kyokai.com/living_will.html

 

次官若手ペーパーは内容だけみると正論で、だからこそすごくきもちわるいし違和感が残る。

 

問題点2 発言の出所

経産省の次官若手ペーパーは表面上は至極まっとうな問題提起となっている。

ピンピンコロリ、健康でなくなったらあっさり死にたいと願う人は多いだろうから、この内容自体には賛成する人も多いだろう。だけど、問題はこの発言が官僚から出たものであるというところだ。

 

官僚や政治家は政治や行政をつかさどるわけで、彼らは法律や憲法といったルールを作り、ルールをどのように適用するか決める、いわば国民の生殺与奪を握っている人達である。

尊厳死を望む人だれもが尊重される社会を目指そう」と民間の社会運動家が発言するのと、官僚が発言するのでは全く違う意味になる。経産省の官僚にとって尊厳死のススメとは即ち「医療費切り詰めるぜ」であり「尊厳死ゴリ押しするぜ」という意味になる。

 

同様に、「家族を大事に」と民間人が発言するのと憲法に明記するのでは全く意味が違う。憲法の家族条項を改変するということは即ち「障害があったり高齢だったりする家族を扶養しない奴は犯罪者として捕まえちゃっていいよね」という意味になる。

 

どうもその辺、一般用語と法律用語を混同してる人がいっぱいいるっぽい。

 

小学校の教室に張り出されている学級目標と法律や憲法を混同してるからこそ、今回の経産省若手ペーパーにだまされるし、共謀罪自民党改憲草案を支持してしまうのだと思う。

 

 

唯一絶対の真実は人の数だけ存在する

この間飲み物を買おうと思って近所のスーパーに行ったらカツオが2匹で480円だった。お買い得だったので買いたかったが、飲み物だけを買う心積もりだったのでお金が足りない。なので一度家に帰って財布を持ってもう一度行ったらカツオは1匹で480円になっていた。この間、約10分。

場末の閑散としたスーパーにあんなに沢山あった二匹480円のカツオが10分で売り切れるとは考えにくい。だが私は確かに二匹480円のカツオを見て、手に取り、一度はカゴに入れ、財布がないことに気づいてしぶしぶ元の場所に戻したのだ。見間違えようがない。どういうことなの。

 

きっとあれは1匹480円のカツオを買った私のいる世界と2匹480円のカツオを買った私のいる世界の分岐点だったのだ。

 

 

みたいなことが、わりとある。

今回はカツオ1匹分損しただけの不思議現象だけど、もっときもちわるくてキチガイじみたことに遭遇することもあって、人生損してんだか特してんだかよくわからない。

 

 

あとどうでもいいけど私文才ないなぁw

文学系のはてなーだったらこのネタで何万PVも稼ぐだろうに。

自分だけは絶対に正義であると信じる心理

共謀罪強行採決があったので、勇気出してそれでも安部を支持する人達のHPを覗いてみた。すごいきもかった。あと頭悪かった。だけど彼らのことを無視したままでは前に進めない。彼らが我々に歩み寄らないのなら我々が彼らを分析しなければいけない。

 

共謀罪も盗聴法も悪人を処罰するものであって善良な市民である自分には関係ないことだと思っているからこそ安部自民を支持できてしまうのだろう。すごいね、そのお花畑脳。

恐ろしいのはたとえ戦時中のような思想統制が起こったって彼らの中の大半は生き延びて己の信念を強化するのだろうというところだ。第二次世界大戦の日本の戦死者は当時の人口の約4%。あれだけの大戦争で国家があれだけ疲弊しても、たった4%の人しか死んでいない。つまり、殺された4%は凶悪な犯罪者で、生き延びた96%は善良な市民であるという思い込みも成立しうる。

共謀罪も同様だ。共謀罪が成立したとしても、なにも全ての人が刑務所送りになるわけではない。今後共謀罪が暴走し戦前戦中のような思想統制が行われたとしても、実際に逮捕され拷問されて殺される人は総人口の数%にも満たないだろう。今共謀罪に賛成している『自称善良な市民』達のほとんどは共謀罪成立後も『平穏』に暮らす。そして不幸にも政府と警察に目をつけられてしまった『嫌疑のかかった時点で一般市民ではない、凶悪な犯罪者』への制裁を面白半分に消費しながら生きるのだろう。自分が『凶悪な犯罪者』側に落ちる可能性なんて考えもせず。

 

うん。なんていうか、鋼メンタルすごい。人生ラクそう。うらやましい。

 

でもそれって抑圧した不安を他者に投影してるだけだから、たぶんそういう生き方してると自分以外の全ての人を殺さないと安心できないよね。そういう人精神科にいっぱいいるね。すごい暴れる系のスタッフに怪我させるタイプ。あと多分刑務所にもいっぱいいると思う。

 

たぶんなんだけど、某お隣の国が日本に工作員を送り込んでるだとか共謀罪に反対するのは後ろ暗い犯罪者だけだとか思う人ってのは結構メンヘラよりっていうか、ぶっちゃけ統合失調症認知症に近い状態になってるんだと思う。

精神科の分野で妄想とか言われるような、どんなに客観的事実を示しても、いや逆に反証が客観的で合理的であればあるほど絶対に認めようとしない強固な思い込みは、自覚してしまったら平穏を保てないくらいの不安を抑圧して他者に投影することしかできない、という危うい自我の有り方の上に成り立つ。

そういう精神状態になる場合というのは自我の許容範囲を大きく超えたストレスが加わったときで、自我の許容範囲が狭い人、つまり今目の前にある以外の可能性を考える力が弱い人はそういう状態になりやすい。

 

てことで、彼らにどんなに理を説いても理解はされない。だってビョーキだもの。だから同じ人間として理を尽くすのではなくて、カワイソウなビョーキの人を治療するように接しなければいけない。それこそが「理解不能な他者を尊重する」てことなんだと思うんだけど、いやこれすげぇ分かりにくいな。このことを誰かにちゃんと説明できる自信ないや。

 

共謀罪が衆院委可決された

共謀罪強行採決された件。

headlines.yahoo.co.jp

まじでやりやがった…

これでもまだ自民党支持する人の脳内はいったいどうなっているのだろう。と思ってちょっとだけ検索してみた。その結果きもちわるいページがざくざくヒットした。なにこれきもい。頭おかしい。同じ人間と思えない。

だけど彼らの中では彼らの主張が正義で、私の正義と彼らの正義は等しく重みを持つ。彼らをキチガイ扱いしていたって何も始まらない。てことで我々リベラルw勢は、共謀罪に賛成する人がいっぱいいて今でも自民は支持率をさほど落としていないという事実を認めたうえで今後どのように振舞うかを考えなくてはいけないのだろう。

 

ていうかまず、「リベラル派は保守派を馬鹿にしてマトモに話を聞かない」みたいな言説ね。あれすごい馬鹿だよね。そういうこと言ってる時点で発言者が馬鹿であることが露呈されるよね、IQ低い馬鹿相手にまじめにとりあう必要ないよね。てなるんだけど、それって構造主義以降の学問に触れている人であれば呼吸と同じくらいあたりまえな前提なんだけど、いまだにモダンに留まっている低学歴な人にとっては単純に見下されて馬鹿にされているとしか思えない言説だってのがまずすごく大きな壁になってる。

 

結局共謀罪に反対するリベラルな人は『理解不能の他者』という存在を認めている、あるいは認めようと努力している。そして『自分にとっての正義』は『他者にとっての不条理』であり逆も真であることを知っている。先ほど私が書いた「なにこれきもい。頭おかしい。同じ人間と思えない。」というのをリベラルな文脈で解釈すれば「他者は私にとって理解不能の存在でありまた逆も真である」という前提を提示しているだけだ。私は彼らを同じ人間と思えないし、彼らは私を同じ人間と思えないのだろう。お互いにあまりに違う前提を持っている、そのことを認識した上でやっと歩み寄りをはじめることができる。

そんなん、あたりまえじゃん。超ふつうじゃん。

「なにこれきもい。頭おかしい。同じ人間と思えない。」てのは歩み寄りのための希望の言葉じゃん。他者に対する最大限の尊重じゃん。

てのが、リベラルな前提。「息しないと窒息死するよね」「怪我したら痛いよね」レベルで当たり前すぎて自覚すらしていないくらい当たり前な前提。だからリベラルは気楽に他人を否定する。だって否定=尊重だから。

 

だけど「私の正義は世界の正義だ」という天動説的な世界観を持っている人にとって「なにこれきもい。頭おかしい。同じ人間と思えない。」というのは他者を同じ人間として認めない、相手の人権を否定する拒絶の言葉に聞こえるのだろう。たぶん。いやほんとよくわかんないんだけど。

 

この気持ち悪さをリベラルでアカデミックに説明した人は古今東西いっぱいいる。フーコーとか吉本とかパスカルとか荘子とか。だけど頭の悪い人にも理解できるように説明した人はいない。だから彼らはヒットラーやトランプや安部みたいな、すかすかの頭でも理解できることを大声で主張する人を信じてしまう。現状の政治は頭の悪い人がとんでもない方向にいかないように大衆に適切な物語を与えるのことを怠った知識階級の怠慢でもある。

 

 

共謀罪自民党改憲草案に反対するだけでは、今の流れは変わらない。

多層化する世界を認識できない残念な脳みその人達が何を考え、何をどう捉えているのかを理解し、彼らと共存する道を模索することで有効な道が見えてくると思いたい。