雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

独身で子なしのつらさを想像してみた

この間仕事で長期出張してコンドミニアム的なところで数週間一人暮らし体験することになって、これめっちゃきつくね?てなった。

 

まず、朝起きて自分のいる場所が思い出せない。関連して今日が何月何日かもよく分からない。つまり自分が何者で何歳なのかもよくわからない。鏡みて「わー私こんな顔なんだー。多分女?だよね??」みたいなレベル。当然仕事の予定なんか思い出せるはずもなく、下手すると遁走とかしかねない。

そもそも仕事が終わってから仮の住処であるコンドミニアムにきちんとたどり着くのが結構難関。だって真っ暗な一人部屋とか帰りたくないじゃん。ついふらふらときれいなお姉さんについていっちゃったりしそうじゃん。ていうかむしろ自分が今住んでいるコンドミニアムの場所とか名前とかをすぐ忘れて路頭に迷ってしまうので、一昔前の知的障碍者みたいに首から住所と連絡先を書いたパスを下げて最寄の交番でパスを見せてここに行きたいんだけどって毎日道を聞いてた。まじで。おまわりさん手間かけてすみません。

 

もう気分は入院で環境ががらっと変わって悪化した認知症のばあちゃん。

いやでもまじで悪化するって。自分の中で同一性が崩れている人の場合、住み慣れた家とか、毎日顔を合わせてる家族とか、そういうの同一性を保つためにすごく大事。ていうか「いつもどおりの日常」だけが己の同一性を保障する唯一のものなんだということがよーーーく分かった。

地震で家が崩れたとか殺人鬼に追いかけられて逃げてきたとかそういうエマージェンシーモードだったら環境が変わってもわりと平気だったりするんだけど、日常の延長なのにそこに私を知る人だけがいないってのはほんと病む。

 

いやまっとうで健全な人ならここまで崩れないんだろうけども、でも方向性としてはだいたい同じような追い詰められ方をするのだと思う。

一人暮らしにおけるサイコな追い詰められ方を物理的な困窮と同等に考えて現代社会における子育ての困難を子持ちに押し付ける言動はやはり不合理で意味が分からないけど、でもその裏には彼らなりの苦痛があるのだということを考えていかないと正論だけでは絶対に認めないんだろな、と思った。

 

 

 

 

考えたら私、一人暮らししてたときもたいてい友人や恋人の家に転がり込んでたから一人で寝たことってほぼ無いんだった。

あと今思うと多分、精神科病院に入院したときも同じような状況になってた。ここはどこ?ていうレベルではなくて、健全な知能と認知を持つ人間であれば誰しも自分が誰であるのかそして自分がどこにいるか自分自身が把握してしかるべきであるという認識自体が欠落していたから恐慌状態に陥ることはなかったし、閉鎖病棟は情報量が少なく設計されていたからあんまり露呈しなかったけど。

やべー。私にとって抑圧しているという認識自体が欠落するというのは普通のことだけど、でも一般的な基準に照らし合わせたらほんとやべー…そりゃ退院渋られるわ。。。

 

 

怒られていることが理解できない情緒の欠陥?みたいな子の原因とか考えてみた

うちの子がほんと人の気持ちを逆なでにすることばっかりしてなにこいつ発達障害かよてことでWISC受けさせたらただの高IQで、じゃあ障害とかじゃなくてサイコパスかよやべーwwてなってたんだけど、たぶんこれ逆転移という人類の基本機能の一部がインストールされてないだけじゃね、ということに気づいたメモ。

 

うちの子は先生や親に怒られるときの態度が超最悪。

ごめんなさいが素直に言えないし、そもそも怒られてるのによそ見してへらへらしてたり、話を聞く態度が火に油を注ぐ。どんなに怖い顔をしても大声を出しても怒っているということが伝わらない。

これってあれだよね、発達の教科書で見たやつ!

表情で感情を伝えるというノンバーバルコミュニケーション能力が使えない発達障害の一例のやつ。トーマスの顔みたいなフェイススケールで表情と感情の関連を勉強するんでしょ知ってる!

 

て、思ったんだけど、どうもうちの子の場合ちょっとそれとは違うっぽかった。

 

おそらく一般的に想定されている発達障害というのは感覚の異常と知能の異常に大別されて、発達障害における知能の異常とはミラーニューロンが発達してない的な、自分以外の視点が存在することを想定できない障害のことを指すのだと思う。

でもうちの子、他人の視点はめっちゃ理解してる。3歳時点でお気に入りの人形について他人に聞かれたとき「私の人形」と答えるレベル。普通だったら「私の友達のメルちゃん」とかになるじゃん。そこで「これは私の友達のメルちゃんだけど他人から見たら一般の人形と同様に見えるのだ」とナチュラルに理解してしまうほど客観視してる。

 

なんか、普通にノンバーバルコミュニケーションはできてるし空気も読めてて相手が怒ってるってことは理解してるっぽい。どうにか怒りを静めたいという気持ちもあるっぽい。えーー?じゃあなんであんな火に油を注ぐ態度とっちゃうの。普通にごめんなさいすればいいじゃん、と思って数年疑問だったんだけど、どうやらうちの子は怒るという感情がいまいちよく分かってなかったらしい。

 

彼女は基本怒るということがなくて、だから他人が怒っていてもそれがどういう状況か分からないし何をしていいのかもわからなくて、ごめんなさいを言えば丸く収まるということも理解できなかったっぽい。

 

「怒る」と「叱る」と「駄々をこねる」の三つはぜんぜん違う。

 

  • 「駄々をこねる」は自分の感情を制御できなくて泣いたり暴れたりしてしまうこと。
  • 「叱る」は相手との関係改善を目指して話し合うこと。
  • 「怒る」は制御できない自分の感情を他人のせいにすること。いわゆる逆転移

彼女は「叱る」と「駄々をこねる」は理解していたけど「怒る」がわからなかったらしい。彼女にとって自分の感情はあくまで自分の感情で、制御できなくて大泣きしたり癇癪を起こしたりはするけど、それはあくまで自分の責任であって他人のせいではない。

たとえば、お菓子がほしいのに買ってもらえなくて大泣きしたとする。

それはお菓子を買ってもらえなくて悲しいという気持ちをうまく制御できない自分自身の問題であって、大泣きすることで親をコントロールするための行動ではない。なので彼女は泣いた後「迷惑かけてごめんなさい」と謝りにくる。泣いたことを親に謝る子供ってどんなだよむしろ親が悪者みたいじゃんと思うけど彼女の中ではそれで筋が通っているらしい。

そして泣いたことを謝った後、どうしてお菓子がほしいのか、どうしてお菓子を買ってはいけないのかという話し合いを経て両者の合意点を見つける、というのが彼女にとってデフォルトの流れ。

彼女にとって感情というのは自分自身で尊重するものであってそれを理由に他者を動かすものという発想はない。

 

でも普通さぁ、「お菓子を買ってくれないママが悪い」になるじゃん。

そんで泣くのだって「泣くことでおかしをかってもらおう」という目論見が入るじゃん。人間は社会性の動物だから、感情を発散させることが他者をコントロールすることにナチュラルに繋がるじゃん。

怒るのも同様に、怒って大声を出すことで言うことを聞かせようという目論見じゃん。だから怒っている人には理屈なんか通じなくてとりあえずうわべだけでも従順にしておけば満足するんだよ、ということをどうにも彼女は理解できないらしい。

 

ああぁぁ、めっちゃデジャヴュ!既視感が半端ねぇ!!

 

そうだね私もそうだったよ…自分の感情を他人に逆転移するというのは私たちにとって、とても難易度の高いルールなんだよ……

だけどそれ知らないと暴力に巻き込まれたり下手すると殺されちゃったりする可能性もあるからね…

 

とりあえず

  1. 多くの人は非理論的に行動する
  2. 非理論的な人に理論は通用しない
  3. 彼らは動物のように扱うと満足する

という人付き合い三原則を教えたらめっちゃ人当たりよくなった。よかった。

 

 

何も考えずのほほんと生きていける人たちについて考える

たとえば私がうなるほどの金とヒマを持っていたら、1ヶ月くらいは南の島でのんびりするだろうけどその後はなんだかんだで事業とか始めてやっぱり今みたいな生活をすると思う。うなるほどの金とヒマではなくてもっと小規模な、たとえば突然1ヶ月休みになったりとかでも、その1ヶ月でなんだかんだ新しいことをはじめてしまう。

だから会社の朝礼とかPTAとか夏休みの宿題とか中学校の部活理論みたいな、ヒマだとロクなことをしないからやるべきことを与えるという発想がめっちゃわけわからない。そんなくだらないことやるんだったら休みにすればいいじゃん。そしたら各々勝手にやりたいことを見つけて世の中発展するだろうに。

 

なんだけど、強制されなきゃなにもやらないタイプの人というのが結構いるらしい。

それとか、みんながやってるからというだけの理由で周りに合わせて生きていて、自分の選択に別段愛着がないとか。

なにそれどうしてそんなんで生きてんの。やりたいことがみつからないとか私なら自殺してるけど。やりたいことが無いとか、生き物としてどうなのそれ。実は生き物じゃなくて石像かなにかなのかな?

 

いや別にそれは構わないんだけど、そういう人ってなんていうの、めっちゃデリケートwでナイーブwwでよくわからんことで絡んでくるのが意味わかんない。

「なんでその仕事選んだの」とか「なんでその服着てんの」とか「なんで影で文句いいながら毎年盆正月には実家帰るの」とか聞くとなんかよくわかんないけど激怒すんじゃん。「そんなくだらない仕事しやがって」とか「くそださい服着てるね」とかだったら怒るのわかるけど、ただ聞いただけでなんであんなに怒るの。

聞いたら怒るのはまだいいよ。私が聞かなければいいだけだから。自分から「この仕事どう思う?」とか話振ってきて、「めっちゃ不合理な仕事だと思うし、私ならそんな仕事しない」って正直に答えたら怒りだすとかほんとなんなの。「誰もがみんなあなたみたいに合理的な判断をできるわけじゃないのよ!ほんとはあなたが正しいって分かってるけど行動できないの!」とか言われるけど別に私合理的なんかじゃないからね。ただ好き勝手やってるだけで正しいとかそういうんじゃないから。

 

別に不合理だろうが正しくなかろうが不幸だろうがそれが好きならそれでいいじゃん。私にはちょっとよく分からないけど、そんなにブラック仕事が好きなら続ければ別にいいんじゃね。

て、私は思うんだけどそうすると「こんなブラック仕事好きなわけ無いでしょ!ほんとはやめたほうがいいって分かってる!」とか最終的には「偉そうに見下さないでよ!」てもうなんだよ意味不明だよおまえペッパー君のがよっぽど理路整然と話すぞ。

 

んーと、なんだろう、なにか根本的な前提がくいちがってる気がする。

 

私自身はブラック企業とか意味が分からないし絶対さっさとやめるけど、だからって別にブラック企業に勤め続ける人を否定する気はない。私にはちょっとわからないけどきっとブラックなほうが好きという人だってこの世にはいるんだろう。そういう人がブラック企業でたのしくブラックしてるならそれはそれでよいことだ。

なのになんで「どうせあなたは私のことを見下してるんでしょ!」になるの??

いや別に見下してないし否定もしてないし。ただ私とあなたの価値観は違う、それだけのことを言いたいのになにヒス起こしてんの。

 

なんか多分、彼らは私が「ブラック大好きでブラックに勤めたくてたまらない」と言うまで攻撃を止めないんじゃないかな、と思ったりもする。

彼らが気に食わないのは自分と違う価値観を持つ人がこの世に存在するということ自体で、だったら自分以外の人を全員殺すまで平穏は訪れない。なんかたいへんそう。

 

 

己の生い立ちを語ってみたら思った以上にカオスで苦笑い

 

 

たぶん、私にとって最も原始的な感情は悲しみとか憐れみという類のものだったように思う。

 

子供の頃、当時私は「本家のおひいさま」として実家の蔵で大半の時間を過ごしていたのだけれど、目の前で起こっているのはニュートラルな現象にすぎないはずなのに、なぜか私の心はそこにままならない悲しさとか生をまっとうできないことに対する憐れみだとか、そんな勝手な判定をつけてしまうことを不思議に思っていた。そしてなんの選択権もなくただ眺めているだけだというのに、目の前に起こる現象に意味づけをしてここにはない未来を願ってしまうヒトという仕組みはなんと罪深いのだろうと思っていた。

私は蔵の白壁しかしらないはずなのに、ままならない、だとか、生を全うできない、だとか、一体何と比較してそう判定しているのだろうと、そしてその判定に対して沸き起こるこの感情は一体なんなのだろうというのが当時は分からなかったけれど、選択権を完全に剥奪され自分のことも他人のこともただ眺めることしかできなかった当時抱えていたあの感情はたぶん「祈り」という言葉が一番近かったのではないかと今ではそう思っている。

 

今思うと、私の家が神道系でわりと救われていたのかもしれない。これでキリスト系だったりしたら人間の生き様を人間が判定するとか罪悪感半端無いのかも。いやでも神道系だったからこそ「おひいさま」を擬似的な神として隔世に閉じ込める的なことが発生しちゃったわけなんであんまよくなかったのか…?

 

 

あと、なんとなくノリで自分の生い立ちを語る的なことをしてみたんだけど、これすごいおもしろい。自分のナラティブを自分で能動的に組み立ててくってリアルタイム歴史改変すげぇ。

でも私の人生はすごく説明しにくいってことが分かった。

これが普通の虐待とか貧困とかだったらまだ共感のベースがあるけど生まれたときからずっと蔵に閉じ込められてたりとかどこのファンタジーだよと。そんでなんだかんだで大人になって楽しく悪徳業者とかやって人生謳歌してるとかほんと意味わかんねー。何がどうしてそうなった。いっそ舞台を大正時代とかにしてファンタジーですみたいなことにして小説家になろうとかで書いたほうがよっぽど収まりいいんじゃね。

 

てか「自分のナラティブを能動的に選び取る」というのが目的であれば生い立ちが事実であるかどうかというのは関係ないので、記憶や事実に拘らずいろんな設定で書いても別に構わないのかもしれない。

 

たとえば

  • ごく普通の中流家庭に生まれ、姉は優秀だけど私は優秀じゃなくていつも比較されて育った、とか。
  • 嫌われるのが怖くていつも他人の顔色を伺っていたら本当の自分が分からなくなった、とか。

こっちのがずっとほんとっぽい!全部ウソなのにめっちゃほんとっぽい。これならわりと共感してもらせそう。私的にはさっぱり共感できないけども。

 

 

いやでも、生い立ちを捏造するというのはおもしろそう。

現在の私の寄って立つところとしてどのような物語が一番しっくりくるのか、また他人も納得するのか、みたいなのを考えてみたい。

 

 

 

仕事がめんどくさい

なんでみんな文章読めないの。たった二行の注意書き読まないのなんでなん。ほんともうなんで。馬鹿か。馬鹿なのか。日本語が不自由な人なのか。

 

でもこういうのは馬鹿な相手じゃなくて馬鹿を馬鹿として正しく扱えないシステムを作っちゃった私が悪いんだよねわかってる。

ライオン用にデザインされた檻にブタを詰め込むようなもん。だれも得してない。サルはサル用のサル山に閉じ込めておかなくてはいけないのに、人間様の住むような家を与えてしまったらそりゃ荒れるわな。

分かってるんだけど、ほんと分かってるんだけど、なんなの!という気持ちをぬぐいさることができない。ほんと何なの。サル山とか私絶対住みたくないんだけどでもサル山のほうが居心地がいいというならそれはそれとして尊重されるべきだと思うんだけど、でもなんかものすごく納得いかない。

本を出さないかと言われたので断った

このタイミングでくるオファーなんかどうせ詐欺まがいだろなと思いつつ一度会ってみたら案の定詐欺だった。

 

具体的な会社名称は避けますが、『恒星やコンパクト星、ガス状の星間物質や宇宙塵、そして重要な働きをするが正体が詳しく分かっていない暗黒物質ダークマター)などが重力によって拘束された巨大な天体(wikiより)』というコスモを感じるブックスな出版社から来た話です。まぁ聞くところによると他の出版社も同じようなものらしいですね。文庫本図書館に入れるな騒動など見るにつけても、もはや出版社は読者に情報を提供するという存在意義を自ら手放したのでしょうね。

 

 

出版社側の事前説明

「hedgehogx様の発信している情報は価値が高いのでぜひ出版させてください。流通と製造コストは弊社で負担しますのでhedgehogx様は構成デザイン費のみご負担ください」

だそうで、ここまででだいたいオチは見えてたんだけどためしに一度会ってみた。

 

まず、これまでの出版実績なるものを見せられる。軒並みアマゾンランキング一位を取っててドラマ化されたものもあるとか説明されるけどもそれみんな読者登録数万人単位のパワーブロガーだよね。私が本出してそこまで売れるとかないわー。

そんで『流通と出版コストは弊社負担です』とか言うからせめて初版千部くらい刷って書店流通くらいさせんの?と思ったらアマゾンに出品するだけだってさ(@°▽°@)しかもオンデマンドだから在庫コストゼロだそうでww

流通と出版コストゼロやん。

 

でもまぁプロの編集者入ってデザインもしてくれるならお値段次第ではワンチャンあるかもと思ったけど「誤字脱字以外修正しません。先生の思ったように書いてください、資料集めもレイアウトも全部先生がやってください」だそうで。まぁ校正や表紙デザインにもコストかかるもんね、5万くらいかな?と思ったらまさかの60万だってさ。

 

ない。ないわーーー。

 

だって校正2万デザイン3万アマゾン出店代100円やろ?

在庫リスクなしで売れたら売れただけ儲かるんやろ?

そんで著者から60万ふんだくるとか、それもう本売る気ないよねww

出版社サイドとしては私から60万せしめた時点でもう利益確定してるんで、雀の涙程度の売り上げのために編集やら宣伝やらやったらやっただけ損だよね。お互いの時間の節約のために、弊社は著者から金を巻き上げるビジネスモデルですって正直に言えばいいのに。

 

だったら自分で本出してアマゾンとキンドルに出品して60万でがっつり宣伝するわ。

 

明確に詐欺、ではないけどまぁ限りなく詐欺に近いな。

たぶん本に過剰な憧れを抱いている老害を慰撫するビジネスなのだろう。

世の中にはいろんな悪徳ビジネスがあることがわかってよい勉強になりました。私も一応悪徳業者を自称してるんで非常に参考になった。

 

 

 

 

 

夫婦別姓が気に食わない頭の悪い人たち

ここで別姓を認めないのは馬鹿、とか言っちゃうとリベラルは他者を見下してるとか言われるんだろうな。このブログにおける私は別にリベラルじゃないんで。ただ文句言いたいババアなだけなんで、言ってしまおう。

 

選択性夫婦別姓を認めない人は馬鹿!低脳!サル以下!

 

わーい言っちゃった。

 

いやでもさ、これ選択vs強制の話よ?強制より選択肢があったほうがいいに決まってるじゃん。毎日カレーよりもカレーとうどん選べたほうがいいじゃん。カレー食べたい人は今まで通りカレー食べればいいんだし。

もちろん選択性夫婦別姓には、行政手続きが煩雑になるという手続きの問題や、いっそ姓なんか無くしてしまえだとかもう結婚っていらなくね?といった扶養と雇用システム全体の問題の発端の一部なので簡単にほい変えますよとは言いにくいかもしれない。だったら旧姓を公式使用して名義なんかは全部旧姓のままでOK、くらいからはじめたらどうだろうか、とかそういう検討は大事。

 

だけど夫婦別姓に反対する人達は結局、他人が楽しそうに好き勝手するのが気に食わないらしい。

自分はカレーを食べた、だから全人類は全てカレーを食べるべきだ、って何様?王様?それとも神様かな?

 

でもそういうこと言うと、馬鹿にするなとか見下してるとか言ってヒステリー起こすのよね、『保守』の方は。

どうがんばったって他人をコントロールすることはできなくて、できるのは互いにとって心地よい場所を模索することだけ、なんていう自他の区別は二歳児のイヤイヤ期にクリアしとくべき人類の最低限の知恵なんで、それができない二歳児以下の大人を表す言葉として、馬鹿以上に適切な言葉が思いつかないんだけど。なんていえば満足なの?「知能に欠損をお持ちの方」とか言えばいい?

 

まぁ別にいいんだけどね。

でも彼らは奴隷労働することと他人の足をひっぱることしかできないので、めっちゃ邪魔してくるからそれだけ気をつけないと、と思いました。