雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

キモくて金のないオッサンが救済されないのは、有害だから。

追記

どうもこの文章を「オッサンは真の救済を欲しているに違いないという主張」と誤読する人がいるらしいので、要約を追加しておく。真の救済wとはなんぞ。宗教かと。

 

オッサンが不幸なのは結婚できないからでもポルノの肩身が狭いからでもなく、

  • オッサンの幸せ=結婚
  • 結婚の代替品=ポルノ
  • ∴結婚≒ポルノ

という、誰かが傷つかなければ幸せになれない価値観を維持していること。これがある以上、どのような救済もオッサンの孤独を救わない。いいかげん結婚幻想とオンナ幻想以外に目を向けたら?

以上です。

 

追記2

今日はとっても暇なので、いろいろ書いとく。

元の文章には状況について「もちろんこれはよいこと」とした上で、「VRポルノやアンドロイド技術などには、彼らの慰みとして高い期待」と書かれているのに、なぜ「女をあてがうしかない」と言う話で読むのだろう。

 というブクマについて。

元記事に準拠して結婚の代替品がポルノのみ、という発想に則るのであれば、結婚に求めるものはポルノ的なものだけなのかと、それ以外の交流は無視かと、そこを問題にしている。

結婚→キモくて金のないオッサンと文句言わずに結婚してくれる女性が必要。

アイドルオタ→キモくて金のないオッサンを拒否しない女性が必要

ポルノ→裸の写真を撮らせてくれる女性が必要。

つまり「どんなにキモくても受け入れてくれる従順な女または女の代替品をあてがうしかない」という結論になるわけで。いやアイドルもポルノも否定しないけど、ていうかわりと好きだけど、人間それだけじゃないだろうと。

あともう一つの可能性として、元記事における「アンドロイド」がラブドールではなく人間的交流を可能にするドラえもん的なものを差しているのであれば私の批判は的外れと言うことになる。でも文中にポルノ以外の交流について言及がないこと、またアンドロイドの直前がVRポルノのため、この場合のアンドロイドもポルノ的な用途なのだろうと読んだ。

 

この人がゲイの生きづらさについてどう考えてるのか非常に興味がある

というブクマはちょっと意図を測りかねて逆に気になる。

ブクマ主はキモいオッサンとゲイをどのような存在だと捕らえているのだろう。あとでじっくり考えてみたいところ。 

 

 「家族を得る」ということを「女をあてがう」とか表現するの下品だなあ……。

そう規定しているのは、結婚の代替品としてポルノしか上げていないあなた(id:KoshianX)でしょうに。 

 

 

 

 

 

以下本文

 

キモくて金のないオッサンは「かわいくない」から救済されないのではなくて、有害だから救済されない。救済したらかみ殺されるかもしれない猛毒ヘビなんか誰も救おうと思わないでしょ。

オッサン共はオッサンを構成するアイデンティティがどれほど迫害的かということから目を逸らして弱者面してたらそりゃいつまでたっても地獄に住むことになるよ。

 

koshian.hateblo.jp

 

 

なお、今回の記事は「オッサンの社会的立ち位置」がテーマである。個々のオッサン一人ひとりがどのような人であるかは問題ではない。福祉サービスを規定する官僚あるいはオッサンを眺める通りすがりの人達は個々のオッサンの内面なんぞに興味は無く、統計上のオッサンを扱い、概念上のオッサンに対するイメージによって個々のオッサンに与えられる地位が決まる。

よってこの記事では個々人のオッサンではなく、オッサンという概念についてとりあげている。「オッサンはこんな奴」といった決め付けを多く書いていくが、これは「オッサンというカテゴリに対して現在の社会が付与している性質はこんなものであると私は捉えている」という意味であり「オッサンに対して多くの人が抱いているイメージ」の話をしている。それは個々のオッサンがどのような人柄であるかには関係ない。

これは例えるなら「女はスイーツが好き」と同じようなものだ。女というカテゴリに属する人種はスイーツが好きだと思われているから、女はスイーツを貰いやすい。だがそのことと個々の女がスイーツをどう思っているかは関係ない。

 

 

というわけで、本題。

 

『キモくて金のないオッサンは、誰もが結婚するのがあたりまえだった時代には結婚できていたはずなのに、結婚しなくてもいい時代になったからあぶれた。よってキモくて金のないオッサンには結婚の代償となる救済を与えるべきである。』

というロジックのキモさにまず気づいてほしい。

 

このロジックが成立するための条件は

  • 結婚=幸せ
  • 結婚できない=不幸せ
  • 不幸せを解消するためには=結婚の代替品が必要

である。結婚しさえすれば幸せという図式もキモいが、このロジックのキモさのキモは結婚の代替品として『アルコール、犯罪、アイドル、ポルノ、VRポルノ、アンドロイド』が上げられている点だ。つまり、社会に復讐するか、女の代わりのセックスドールを手に入れるか。

ということは

  • 結婚の代替品=セックスドール

という図式になっている。これを裏返すと

  • キモくて金のないオッサンが真に救済されるためには女をあてがうしかない

になるわけで。つまり、オッサンの真の救済のためには

  • 女はキモくて金のないオッサンとセックスしろ異論は認めない

なわけで。

そりゃ無理だよ・・・

そんな価値観を維持したまま承認欲求を満たしたいならポルノで我慢してください。ていうかむしろポルノとオッパイとラーメンだけ供給されるオッサン収容所で一生を過ごしてください。自分のことをかわいそうとか思う前に、自分がどれだけ他者を踏みにじっているかよーく考えてほしい。

 

 

なので、オッサンの救済は結婚でもポルノでもなくて、オレのオンナを所有することを幸せの必須条件としている現代社会の常識を解体すること、具体的には、オンナ以外の娯楽をみつけることだ。オンナと、オンナを取り合うライバルという欲望の三角形から抜け出して、オンナでもライバルでもないニュートラルな他者という存在を認めること。

社会がオッサンに対して用意すべき救済は、オンナをあてがうことではなくて、新しい関係を提案すること。なんかこう、シェアハウスとかそういう的な。

 

英語どうやって勉強したの?って聞かれたから答えたらスシのテンプレみたいな反応された

聞かれたから普通に答えただけなのに、どんどんしおれていく質問者。どういうことなの。

 

f:id:hedgehogx:20170529102139j:plain

 

ていうかそもそも私の英語は論文を読んだり書いたり討論したりできればそれでいーやというやっつけ感溢れる目的なので、TOEICとか英検とかなにそれおいしいの状態。日常会話に関しては最近borrowという単語を覚えましたみたいな中学レベル。やべー普通にrentつかってたよ。小学生の娘のほうがよっぽど英語上手いんだけど。

 

でもって、私がどのように英語を覚えたか。

 

  • まずyoutubeの子供向け動画とかみてフォニックスリエゾンを理解する。
  • ニュースとか論文とかを読み上げツールで再生してひたすら聞き流す。暇があったら英文を読みながら音読を追う。これを数年やってるとなんとなく理解できるようになってくる。
  • あとはひたすら専門用語を覚えて論文をいっぱい読む。

補足として、

  • 専門分野がガテン系の分野なのでデータとグラフと専門用語を組み合わせればだいたい何を言っているか分かるためとても難易度が低い。これが哲学とか文学とかの分野ならもっと苦労してたと思う。
  • 英語はそもそも非ネイティブ同士の共通言語なので、間違った用法というのは存在しない。その場で臨機応変に多数派の表現に準じるという柔軟な発想が必要なため文法を暗記してもあまり意味が無いという点でハードルが高くもあり低くもある。ある意味空気読み力が一番必要な言語。その点ドイツ語とかラテン語とかの話者の少ない言語なら小説と辞書を読み込めば習得できるのでそういう意味ではラク。

 

みたいなことを答えたら「チクショウお前はいつもそうだ」みたいな反応されたんだけど。いやこんなの超普通だしそもそも私英語力高くないからね、てフォローしたら「誰もお前を愛さない」みたいな絶望顔されたんだけど。意味わかんないんだけど。そもそもなんで私にそんなこと聞いたの。

 

てことで、どうしてここまで会話が噛み合わなかったかじっくり考えてみた。

 

たぶん、質問した人はNOVA的な手取り足取り方式を期待してたっぽい。レッスン1、レッスン2、みたいに懇切丁寧にカリキュラムが決まってるやつ。でもそういうのってすごい無駄じゃん。自分にとって必要なことだけ抽出してさっさと習得したほうがラクじゃん。ていう発想がそもそも駄目みたい。

自分が何を望んでいるか自覚して、目的達成のためには何をすべきかというタスクに落とし込むということがすでにハードル高いんだろな。て思うんだけどだったら彼らは何のために生きているんだろう。人生って自分のやりたいことをみつけて頭絞って挑戦するためにあるんじゃないの。違うの?

 

あと、聞き流してるだけで自然に習得できるってのも駄目っぽい。

ほんと手取り足取りやんなきゃ駄目なんだろなぁ。この辺はたぶんIQの差もある。私は一回聞き流すだけで経験値が1増えるとして、普通の人は経験値が0.00001くらいしか増えないのかもしれない。そんなに理解力低くてよく勉強とかできるな、て思ってしまうけど、彼らは彼らに適したカリキュラムを与えると彼らなりに習得できるから、たぶんこれは単純なIQの差だけでなくて理解様式の違いというのもあるのだろうけどそのあたりほんとよく分からない。

彼らは何をどうすれば理解できるの。あるいは理解できたという気分になれるの。

 

普通の人って未知の存在だなぁとあらためて思いました。

 

 

 

 

 

 

仕事もブログもバズらせるだけの根性が足りてない日常を綴る。

 

 

 

やろうと思えばバズらせることも炎上させることもできるんだけど、なんかそういうのやると病みそうな気がしていまいち踏み切れない。

でもブログはともかく、仕事に関してはマーケティングだけは上手い最底辺の有害情報がのさばっている現状をどうにかするために私が全力で売り込みするのはそれなりに社会的意義のあることだと思う。ていうか迷ってないでさっさとやるべきだ。

 

結局、売れるってのはこの世の大半を占めるブタ並みの知能の人達に対してブタ語で語りかけることで、なんかもうブタにかかずらわるのめんどい。研究だけしてたい。実際研究だけしてれば食ってけるんだけど、あんまりにも有害情報が出回っているこの状況下で、楽しく研究してるだけってのはちょっと道義的にどうなんだろう。道義とかどうでもいいにしても私の劣化コピーが出回ってる現状に単純に腹立つ。コピーしても構わないけどちゃんとコピーしてほしい。

 

あと自分の立ち位置を固定するふんぎりがつかない。毒を吐いても許されるキャラクターというのは誰彼構わず貶めているようにみえて、自分を支持する層に対しては強烈に存在を肯定するメッセージを送っているからこそ許される。自分を支持する層を見誤って毒を吐けば失脚させられる。彼らは心の赴くままに自由に発言しているようにみせかけた大衆の代弁者にすぎない。でも私は私の味方でしなかない。私は研究者としてもメンヘラとしても高IQとしてもセクマイとしても虐待サバイバーとしても立ち位置が独特すぎて特定の層の代弁者たりえない。

ていうかそもそも、自我の境界線が強固あるいは過敏すぎるのが問題なのかな。「私」が「私達」と等号で結ばれてしまう違和感に耐えられない。

 

ということで、今回の文章の要約

オレはやればできる。まだ本気出してないだけ。

という中学二年生感あふれる甘酸っぱさでお送りしました。

 

 

 

 

中学を中退して一人で勉強するための参考書いろいろ

中学はひたすら耐え抜き、高校を辞めたかったけど猛反対され高校の無意味な授業を受けつつ空いた時間に受験勉強をするというダブルスタンダードを強いられてそれなりに大変だったババアですこんにちは。自殺未遂めっちゃしました。フローリングの隙間に染み込んだ血は後々腐って臭いがとれません。やらないで済むのが一番ですが、やるなら風呂場でやりましょう。今はフリーランスで楽しくちんたら生きています。ちなみに病名は解離性同一性障害です。

 

今回の記事はこちら様の記事を読んで、私もなんか補足したいなという気持ちになったので書きました。

syakkin-dama.hatenablog.com

 

 

 高校や大学レベルの独学用参考書はいろいろあるけど、小学校や中学校の独学はあんまり情報がないかなと思いましたのでまとめました。

 

 

選択肢1 塾

お勉強=塾 みたいな風潮がありますが、塾やフリースクールは所詮一対多です。教室よりややマシていどのものです。あと高いです。ので、状況が許せば塾もよいでしょうが、必ずしもベストではありません。発達障害や高IQなどの非定型発達の場合はそもそも定型発達を想定したカリキュラムが合わないので、塾もイマイチなこともままあります。あと高い。日本の人件費半端無い。なので、必ずしも塾に行く必要はないと思います。

 

 

選択肢2 通信教育

Z会

まず、選択肢としてZ会というのがあります。Z会をしっかりやれれば高校卒業レベルの知識が手に入ります。ですがZ会はクセが強く、向き不向きがあるので万人向けとはいえません。私はあんまり向いていませんでしたが試してみる価値はあります。進研ゼミも同様です。

 

一般の教材

まずは小学校~中学校レベルのたしざん、ひきざん、読解など基本の学習のための教材をご紹介します。

教材の使い方

学校に馴染めないということは即ち学校式の学習に馴染めないということなので、中退を検討するタイプの子供は基本の学習習慣の時点で躓いていることがほとんどです。持ち前の地頭のよさでなんとか授業にはついていける場合でも、基本ができていないといつか躓きます。ですので、小学校1年レベルから学習を始めることをお勧めします。

学習は積み重ねです。土台ができていないと応用はできないし、逆に土台さえしっかりしていれば後は楽勝です。たとえば小学校一、二年生レベルの学習、つまり、一桁の四則計算が全くストレス無くできるようになれば何桁の計算でも怖くなくなります。国語でも理科でも社会でも同様のことが言えます。一冊600円という驚きの安さなのでケチらず小学校一年生レベルからいっぱい買うといいです。

 

TOSS

あまり一般に知られてはいませんが、非常に優秀な教材がそろっています。発達障害向けの配慮に関しては日本で一番優秀ではないでしょうか。ノートのとりかたから漢字の覚え方まで、学校では教えてくれないことを丁寧に教えてくれます。

www.tiotoss.jp

欠点を挙げるとすれば、元々教師向けの教材のため独学で使うには少々説明不足という点があります。また、非常に優秀な教材にも関わらず普及率が低くよい指導者に巡りあえないというのも欠点です。ですが文字の大きさから紙質まで分かりやすさを徹底した教材のため独学でも効果が見込めます。

 

くもん

くもんのメリットはどこの書店でも手に入ることです。類似の学習ドリルはたくさんありますし、その中でくもんは地味ですが、書店で手に入る中で一番質が良いのがくもんです。学研は駄目です。カラフルで目をひきますが、指示がわかりにくい、一つ一つの課題が大きすぎ、毎回問題の形式が違う、など、学習能率を悪くする仕組みが満載です。その点くもんはめちゃくちゃ地味です。たとえば公文の小学校一年生の足し算のドリルでははじめの10ページを「x+1」に割いています。「1+1 2+1 3+1 4+1 5+1 6+1…」で10ページ。どう考えても無駄っぽく感じますが、これがものすごくいい。ので、騙されたと思って小学校1年生のドリルからやってみると計算の基礎体力が段違いに向上します。

 

ドリル系教材まとめ

くもんとTOSSが二強ですね。それ以外は正直微妙です。

くもんは算数が秀逸ですが、国語はちょっと微妙。

TOSSは全方位抜かりなし。とくにあかねこ漢字スキルやフラッシュカード系がすごいので、漢字苦手なら一度ためしてみてください。本当は算数のノウハウもすごいのですが独学系だとあまり良さが発揮できていないかも。

なので独学するのであれば、算数は公文、それ以外はTOSSがよさそう。

 

応用の教材

Z会、TOSS、公文の三種の神器があれば、偏差値50程度までなら独学でも十分フォローできます。ですが、できれば偏差値60や70を狙っていきたいところ。そこで有効なのが大学受験向けの参考書です。

この辺りについては「大学 参考書」などとググると「東大にストレート合格した僕が使った参考書一覧」みたいなのがいっぱい出てきますので私は基本の部分だけご紹介しておきます。

 

応用教材の使い方

はじめはちんぷんかんぷんでいいから、とりあえず流し読みする。できればノートに書き写してみる。最終的なゴール地点が見えると学習能率が上がります。

 

赤本

京大と東大の赤本を買ってきて読んでみる。最終的にこんな問題が解ければいいんだなという目安になります。

 

チャート式

チャート式のメリットはコスパがいいことです。なんせ一冊に一教科がまとまっていますから。数学と理科に関してはとりあえずチャート式の問題と答えを写経のごとく丸写ししとけばいいんじゃないでしょうか。学校では、答えを見ずに自分で考えろなどと寝ぼけたことを言われますが、自分一人で考えられることなどたかが知れています。無駄に頭を絞るより、さっさと先人の英知を暗記しましょう。

 

国語や英語に関しては、とにかくいっぱい本を読むという体育会系のゴリ押しをするか、こんな感じ↓でアルゴリズムでゴリ押しするか、どちらか自分に向いているほうをやっとくといいと思う。

www.amazon.co.jp

 

英語を乱読&乱聴するのであればこんなサイトをば。

www.eigo-net.jp

リスニングならこちら。

learningenglish.voanews.com

ちなみになぜか日本の英語教育では重視されていませんが、フォニックスは絶対やっておくべきです。

フォニックス - Wikipedia

mamagyutte.jp

 

また、これは大学受験の小手先テクニックですが、第二外国語という選択肢もあります。韓国語、中国語、ドイツ語などの英語以外の言語で受験するとライバルが少なく高得点が狙えますので、余裕があればちょっとかじっておくとよいでしょう。 

 

 あとはこんなのとか。

学問に興味があるタイプなら、大学では何をやっているかを知るとテンションが上がるかもしれません。

www.yukisako.xyz

 

私はCiNiiでがっつり論文を読むのが好きでした。最新の研究はたいてい英語なので、英語の勉強にもなります。

 

 

 

 

無料で使える予備校とか

これは高校の内容のみになりますが、最近は無料の予備校なんてのもあります。

chinopos.jp

 

 

 

最後に

学校をやめるなんて根性が足りないなどナメたことを言う大人もいますが、そんなのは地獄を知らないボウヤの戯言です。無視しましょう。いのちだいじに。

まぁなんていうか、レールから外れた人生というのもなかなか悪くないものです。楽しく生きてください。そして困ったらツイッターかなんかで発信してください。大概のことは誰かがなんとかしてくれます。

 

 

メンヘラは風邪引かないという伝説について考えてみた。

メンヘラは風邪をひかないという都市伝説がある。

たしかにメンヘラは常に具合が悪いし寝込むしちょっとしたことですぐ大騒ぎして通院するし、自律神経失調症過呼吸メニエール病更年期障害にはなるけど、ちょっと熱がでてモモ缶とプリン食べて一日寝てたら治る、みたいな普通の風邪ってあんま引かない気がする。ていうか健全な風邪をひいたメンヘラってみたことない。

 

 

一般に風邪と呼ばれている曖昧な体調不良はそこらにウヨウヨ漂っているさほど強くない細菌やウイルスに感染して起こる、とされている。医者としてもたかが風邪なんかにいちいち精密検査なんてしないから、感染も無く臓器にも異常があるわけでもないのになんとなく具合が悪いという原因不明の症状が風邪と診断されることも多いだろう。実際、風邪の市販薬の多くは消炎鎮痛を目的とした対処療法作用しかない。

つまり、風邪というのは疲れた体がリフレッシュするための、いわば体の有給みたいなシステムだ。

 

で、メンヘラをメンヘラたらしめる所以というのはひとえに休み下手な点にある。

健全な人間が簡単にこなせる日常会話で一人だけがっつり消耗する。健全な人間がぐっすり寝て回復している時間に悪夢を見てさらに消耗する。メンヘラとして生きるということはRPGでいうところの毒状態みたいなもので、何をしてもしなくても勝手に消耗し回復薬も無効になるような状態だ。

ただし、これはメンヘラが休み下手な人種であるということではない。メンヘラはたいてい過酷な環境で生きている。いつ怒鳴られるか殴られるか分からないような状態でぐっすり安眠なんてできない。一見ごく普通の家庭に育ち普通の格好をして普通に仕事をしていながら、普通とはかけ離れた過酷なサバイバルをしているのがメンヘラという人種だ。

過酷な状況で緊張して生きることに慣れすぎてしまったメンヘラは環境が変わっても適応できず、過去の状況を再現し続ける。だから、メンヘラは安全な場所を手に入れても安眠することができない。

 

だから、メンヘラは風邪を引けない。

熱が出て頭がぼんやりして節々が痛くて食欲が無くて眠い、なんていう無防備な状態になることができない。結果として常に緊張してHPを削り続けある日ぽきりと折れる。

 

 

私自身、普通の風邪を引けるようになるまでにはとても時間がかかった。いまでも上手に風邪をひくのは難しい。すごい勇気がいる。でもちゃんと風邪を引けると、想像を絶するスッキリ感があるのでもうちょっとがんばってみたい。

 

ちょっと文句言うとすぐパニックになる人がうざい。

パニックになるくらい追い詰められるのはきついってのはわかるけども。尻拭いで徹夜明して仕事仕上げた足でクライアントに土下座してきた私がさ、なーんにもせずに職場で泣いてるだけのグズに気をつかってやらなきゃいけないのやっぱ納得いかない。

 

生まれ持った能力が低いってのはしょうがないことだし、初めてやることに失敗するのなんかすごく当たり前のことだし、人類ってのは失敗をフォローしあって生きるもんなんだから別にそこはいいんだけど。今回の件は抱えきれない仕事を振った私のせいでもあるんだから別に相手を責めようとかいう気持ちはない。

だけど、ていうか責めてないからこそ、失敗に至る思考経路を共有して次回以降の対策を練りたくてあれこれ聞いてるだけなんで、いちいちヒステリー起こして怒鳴り散らすのやめて。

 

今回大ポカをやらかした社員君はどうも建設的な議論というものをしたことがなくて、家庭でも学校でも会社でも常に糾弾されて断罪されてたらしい。だから私は別に残念社員君を責める気は全くないのにすごく警戒されててなんかもう保護した野良犬みたいにがぶがぶ噛み付いてくる。めんどくせぇ。

未来が不確実である以上全ての行動は失敗に繋がっていて、失敗なんてのは次回に繋げるデータ収集でしかない。なのに、お前が悪い、お前がいなければなにもかも上手くいったはずなのに、努力と根性でがんばれ、それができないなら死んで償え、みたいなことを言う人はすごく多くて、そのせいで失敗を脅迫的に恐れるあまり失敗から学べない人がとても多い。

そういう生き方が好きなら別にそれでいいんだけども。私はそんな非生産的な生き方嫌なんでよそでやってほしい。

 

失敗とか別にいいじゃん。ていうか私の会社においての失敗ってのは私の狭い価値観にそぐわなかったものという定義なわけで、そもそも社員君と私との間で成功と失敗の定義のすり合わせが上手くいっていなかったのが最初の原因なわけで。

いやちゃんと話さなかった私が悪いんだけどさぁ。話聞かなかった社員君にも責任あるよね。なんでもかんでも安請け合いして「がんばります!」しか言わないで上司にこびへつらうような態度しかとれないんだったらこんな零細に来ずに公務員にでもなればいいのに。いや公務員になれるほど優秀じゃなかったからうちなんかに来たのか。

 

障害あるとか体弱いとかメンタル弱いとかそういうのはしょうがないしどうとでもなるけど、助け合いが大前提のホモサピエンスにおいては他人から適切な支援を引き出すスキルが低いのは致命的だし、なんでもかんでも「がんばります!」でゴリ押しする教育を施す家庭はほんと罪作りだなと思った。

 

 

生きることに執着する人をみると尊敬通り越してなんかコワい

何もかも放り出して必死で生きることにしがみついてる人をみるとオバケ屋敷できゃーきゃー言ってる人を見たときのような微妙な気持ちになる。

なんでみんなあんな生きるの好きなんだろ。

そんな偉そうなことを言ってる私は生に執着がないんか、と言われると少なくとも現時点で生きてるわけで、けっこう執着してるわけなんだけども。私にとっての「生きたい」と一般のそれの間にすごく温度差というか違和感を感じる。

 

たぶん私にとって、永遠と一瞬はだいたい同じものなんだろう。だから大好きな人と一瞬でも一緒にいた記憶がありさえすればそれで満足。もう二度と会えなくてもあんま気にしない。だから友人が死んでもそんなに悲しくない。もちろん自分が死ぬのも悲しくない。てことで延命治療とかわけわかんない。どうせじき死ぬ人に労力つぎこむならさっさと見限ってもっと有意義なことしよ?て思う。

 

じゃあ私は死にたいのかというと別に死にたいわけではない。どちらかというと可能な限り長生きしたい。生物の定義が生殖とホメオスタシスである以上、生きしいけるものは慣性や惰性を好むのであり「生きている」という状態を「死んでいる」という状態にシフトさせるのには莫大な労力が必要で、その労力を捻出するだけの意義を見出せないからとりあえず現状維持で生きてる、って感じ。

実際、マトモな感性してると自殺とかほんとできない。どんなに追い詰められてても絶対踏みとどまっちゃう。逆に言えばマトモでいられない精神状態になれば普通に死ねるしそれは別に不幸なことではない、と思う。

 

そういうスタンスだともう生きるのめんどくさいやってなったときに結構簡単に死を選べてしまう。だから逆に、周りも自分も疲弊して憎み合ってそれでも死なない、殺さないという人達っていったいどういう死生観を持ってるのかなというのはすごい興味があってことあるごとにいろんな人に聞いてみるんだけど、そういうこと聞くとみんななぜか怒り出すのね。すごい不思議。あれだけ独創的ではた迷惑な価値観を持ちそれを実行しあまつさえ他者に押し付けさえするというのに、自分の価値観を自覚してないってどういうことなの。頭の中覗いてみたい。