そもそも、人間を、それも極めて社会的な側面をDSMで分類することの不条理さという根本的な問題がある。アスペルガーだの学習障害だの鬱病だのもっともらしく名前をつけてなにかが分かったような気になってしまうが、それは医師が把握した表面化した問題だけを分類した名前にすぎない。
おなかが痛い人は胃潰瘍も子宮筋腫も盲腸もみんな「おなか痛い病」、背中が痛い人は心臓病も肩コリもすい臓がんもみんな「背中痛い病」、みたいな、なんの解決にもなっていないカテゴライズ。
めちゃくちゃざっくり言えば、空気が読めなくて、突然暴力を振るったりウソをついたりパニックになったりする人はアスペルガー。(正確にはもっとずっと複雑だけど、今回のテーマは対人関係なのでとりあえずそういうことにしておく。)
でも、空気が読めないというのは厳密には自閉症の直接の症状ではなくて、二次障害だ。
だからより正確に描写すると、『自閉傾向のある人は一般的な教育システムでは社会活動を理解できず、境界性人格障害を起こす*1。だが彼らにあった教育を受け、かつ、社会活動に必要は他のスキルが欠けていない場合、社会活動を行うことができる。』になる。
ここで問題になるのは自閉傾向ではなく結果として併発する境界性人格障害のほうで、そのあたりがどうも混同されてあまつさえ単なる境界性人格障害なのにアスペルガーと言われて問題が解決しない人も多い気がする*2。
ざっくり言うと、なんか、ワガママで精神年齢低くてめんどくさい人全員が自閉症スペクトラム、みたいなくくりをされてしまうのがあまりにも大雑把すぎる。
一般人ならともかく専門家はそんな大雑把な診断しないよ、と思うかもしれないが残念ながらWAISの結果しか見ない医者は結構多くて、まぁ経済構造がそうなってるからしかたないんだけどなんだかなぁと思う。