雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

クローゼットに閉じこもる天才たち

天才であることをうらやましいとかねたましいと言う人は多い。だけど誰にも共有されない真実が見えてしまうというのは、思った以上に孤独で残酷で、だから天才は常に狂気の淵を歩いている。

 

最近、「あなたは天才だ」と言われることが随分と増えたし、堂々と「私は天才です」と公言しても攻撃されないだけの対人関係能力を発揮することができるようになってきた。

 

だって、しょうがないじゃん私はギフテットなんだから。それは誰のせいでもなく、それでも責任追及をするなら神のせいにするしかない。

 

「自分は天才だ、だから世の中全ての人は私より劣っている」なんて言うと猛然と噛み付いてくるタイプの人達が結構いる。「なんでそんなに偉そうなの?」「人を見下して楽しい?」「劣等感の裏返しでしょ?」って。

偉そうにして見下して歪んだ承認欲求を満たすためだったら、あるいは劣等感の裏返しだったら、どんなに楽だったろう。だって、そういう欲求であれば、「自分は天才だ、だから世の中全ての人は私より劣っている」と思えば救われるんでしょ?「私の価値がわからないのは他人が馬鹿だからだ」と思って満足できるんでしょ?いいなぁ。

 

私達にとって、自分が誰よりも優れているというのは、呪いでしかない。

だれよりも尊敬したい師が、私にとってまるで無意味なほどの実力しかないのだと、そしてこの実力差を認めることができる程度の能力すらないのだという事実を認めるのは、とてもつらくて悲しい。

そんな残酷な事実に気づくくらいなら、いっそ狂気に身を委ねたほうがいい。

 

私の一言は凡人が何十年も積み重ねてきた努力を全て否定する。私の能力は彼らが人生と魂をかけて手に入れた知性を一瞬で凌駕する。

これまで信じてきた全てを否定された人の顔を見たことがあるだろうか。

私は、あんな表情をもう一度見るくらいなら自分を殺してしまいたいと思う。

 

 

 

狂ったふりをして人生が終わるのを待つのも一つの方法。

劣ったふりをしてごまかすのもいい。

傷だらけになりながら、普通の人を演じることもできるだろう。

 

たぶん、そうやってたくさんの天才が息を潜めて今生をやりすごしている。