雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

健常者が最優先だから障害者はつつましく生きろという暴論がまかり通る国

バニラエアで車椅子の人が搭乗拒否された件が荒れていて、日本の民度がすごい。私、日本人でよかったwwwこの国に誇りを持って教育勅語を唱えながら銃剣道を極め天皇国家元首としてあがめようと思いましたよ。

 

障害者は健常者様に迷惑かけずにつつましく生きろ、と言う人はさ、『障害者』の部分に『女』とか『奴隷』とか『百姓』とか『子供』とか『黒人』とか入れてみ?

 

女性は男性の性欲を誘発しないように男と二人きりで食事をするな。

黒人は白人に迷惑がかからないようにバスでも電車でも立ってろ。

同性愛者は異性愛者に迷惑がかかるからカミングアウトするな。

ユダヤ人はアーリア人に迷惑にならないように殺してしまえ。

 

わぁ、なんて素敵な世界でしょう。

 

…というのはまぁ多分に詭弁を含んでいると思われるのだろうな。だって女性や黒人は労働力として役に立つけど障害者はひたすら迷惑をかけ続けるだけの存在じゃん。そんな奴らに優しくするなんてむしろ障害者が健常者に寄生して搾取してるだけだよね。という発想をたぶんするのだろう。

 

なんだろうこれどこから説明しなきゃいけないんだろう。

 

なんかまず、「車椅子の人が連絡なしで公共交通機関を使えるようにする」というのは全てのバスや電車や飛行機に人員やスロープを配置するという意味じゃねぇよ、というところ。

まわりに人がいっぱいいるんだから、階段くらい通りすがりの人が運んでやればいいじゃん。というのがバリアフリー。でもって、もし運んでいる最中に誰かが怪我をしたらそれは各個人の責任。健常者が駅の階段を転げ落ちて自分と他人が怪我したからって鉄道会社に損害賠償請求しないでしょ。車椅子の人だって同じ。OwnYourself。

そんでそのせいで電車や飛行機が遅れるのはお互い様。健常者だって駆け込み乗車して遅れさせることぐらいあるじゃん。電車も飛行機も数時間くらい遅れるくらいでちょうどいい。むしろいろんな人が乗ってる公共交通機関が1分刻みで正確に運行していることが狂ってる。amazonお急ぎ便くらい狂ってる。

もし飛行機が墜落して、車椅子の人がいたせいで犠牲者が増えたらどうしてくれると言うけど、これもどうだろね。私のイメージだと、緊急脱出しなくてはいけないような状況だったら脱出しようとしまいと全員死ぬんじゃね?数分脱出が遅れたくらいで命が助かるかなと思うんだけど。車椅子の人が一人いることでほかの乗客の危険度がどの程度上がるのか、そのあたりよーく研究してから考えたほうがよさそう。

 

日本ではなぜか、バリアフリーにすることで健常者の負担が増える、という考え方になっちゃってる。

 

でも、バリアフリーに一切配慮しない健常者を最優先した社会というのは健常者にも優しくないよ。

飛行機は格安になって労働条件が悪くなり事故が増える。でも大丈夫邪魔な車椅子が無いから墜落しても速やかに避難できる。

電車は1秒も遅れない。乗車しようとしてうっかりドアにはさまれても容赦なく発車する。でも大丈夫ドアに挟まれた腕が吹っ飛ばされたらめでたく障害者だからもう電車に乗れない。

エレベーターもエスカレーターも無い。でも大丈夫足を怪我した人はつつましく家に閉じこもってる。

市民、幸福は義務です。

 

弱者を切り捨てる社会というのはamazonお急ぎ便と同じで、誰も求めてない過剰サービスと過剰労働がひたすらに加速する。

 

もっとさぁ、ゆるっと生きようよ。

 

 

hedgehogx.hatenablog.com

 

 

 

車椅子の人が飛行機に乗るときに事前連絡する、というのはどれくらい不自由なことか

バニラエアが車椅子の人の搭乗を渋ったから自力で階段を這って上った件、叩かれてますね。

「車椅子は周りに迷惑がかかるから事前連絡すべき」という意見がまるで常識的なもののように扱われてるけど、これどんなに無茶な要求をしているか、分かってます?

まぁ、飛行機に乗るという非日常であれば事前連絡するのもそんなに手間ではないでしょう。また飛行機はバスや電車に比べて事故のあったときのリスクが段違いですから他の人の安全のためにも連絡してほしいというのもあります。そういう意味で今回の木島さんは航空会社に連絡したほうがよかったかもしれません。

その主張をする人のイメージは、飛行機に乗るという年に何回もあるわけではない珍しいイベント時くらい連絡すべき、というものなのでしょう。

 

車椅子の人の生活って想像したことあります?

一歩家から出るだけでも誰かの許可がいるんですよ。

まず自分の家の玄関の扉を開けてもらわなくてはいけない。自分の家の玄関の段差を誰かに下ろしてもらわなければいけない。駅までいく福祉タクシーを予約しなければいけない。福祉タクシーに乗せてもらう人を手配しなければいけない。どの駅に何時に乗ってどの電車に乗ってどの駅で降りどこの出口で外に出るか連絡しなければいけない。目的地までに階段があるなら上り下りさせてくれる人を手配しなければいけない。目的地までに細い路地があるなら幅を調べて車椅子が通れるか調べなくてはいけない。目的地の建物の階段やエレベーターを調べてもし階段であれば上らせてくれる人を手配しなければいけない。エレベーターがあるとしても古いエレベーターだと車椅子が入らなかったりするから型番まで聞かなくてはいけない。

もちろん、帰りはこの逆をやります。ちょっと外出するだけで一体何本の電話をしなければいけないでしょうね?

 

これらを一つ残らず抜かりなく完遂しなければ「車椅子のくせに事前連絡しない迷惑なクレーマープロ市民」なんてディスられるわけです。

これを一生です。

 

車椅子の人は事前連絡すべき、という意見を、取引先に訪問する際に電話一本入れる、みたいな常識と一緒にしないでください。

 

社会人だったら取引先に訪問する前にアポをとります。木島さんだって航空会社にメールするだけなら別に普通にやったでしょう。乙武さんだってレストランに電話一本入れるくらいであればやったでしょう。

でもそうじゃないんです。莫大な事前連絡が必要な中で一つ二つ取りこぼすことはある。そしてその一つ二つを叩かれ社会人としての常識まで疑われる。そんな状態であれば、そもそも家から出るだけでこんなに連絡しなきゃいけないんだ、バリアフルな社会が悪いとなるのはあたりまえでしょう。運動家になるのもあたりまえ。そして障害者の事前連絡と健常者の事前連絡を混同して叩き一向に変わらない社会を変えるためには、炎上させるくらいしか方法が無い。

 

でも今回の木島さんのように炎上させると、障害者をプロ市民と揶揄する人はますます意固地になるでしょう。だから彼らに分かる言葉でプレゼンして差し上げる必要があります。

てことで、障害者は一歩外に出るだけでめちゃくちゃ手間がかかるんだよ、あなたが車椅子になったときにそんな生活に耐えられますか?みたいな方向性のキャンペーンをしていくのがマイルドで現実的かなぁと思います。

 

 

hedgehogx.hatenablog.com

 

車椅子客は階段を這い上がる権利すら無いのか

車椅子客が格安航空を使って階段が上れずに這い上がった件について、情報が錯綜してんなと思うのでざっと調べてあと所見も入れてまとめてみた。

 

www.asahi.com

 

「車椅子の人が事前連絡すればよかったんじゃね」という意見が多いようだったので、 続きを書きました。

hedgehogx.hatenablog.com

 

格安のLCCは車椅子に対応すべきかどうか案件

これに関しては、少なくとも現代社会の常識としては問答無用で対応すべき。してないほうが悪い。実際バニラエアもこの問題の後迅速に対応している。

ただ現実問題すべての場所ですぐに完璧に設備が用意できるわけではない。より多くの人が利用する場所を優先するのが現実的。なので奄美航空で設備が用意されていなかったことはいちがいに責めることはできなさそう。

職員は規則を遵守すべきだったかどうか案件

現状では乗客に怪我させたらいかなる理由があれ航空会社の責任を問われるため、職員としては規則を守るしかない。空港職員に医学知識もないわけだからどれだけ危険かを判断することもできない。

てことで、リスクのある乗客に関しては「怪我しても自己責任ですよ責任持ちませんよ」的な一筆を書いてもらって他の乗客がいない時間に搭乗してもらうという案はどうだろう。

健常者が階段で転んで怪我をしたら自己責任なのが当たり前なのに、ひとたび障害者というレッテルを貼られると怪我の責任を自分で取ることすらできないという常識自体を変えてほしい。

車椅子の人は事前に連絡すべきだったかどうか案件

特別な配慮が必要なんだったら事前に連絡すべき、というのは一見正しい。

でもそれは障害者目線で見ると、一歩外に出るだけでも誰かに連絡して都合をあわせてもらわなくてはいけない生活だ。つまり障害者は外に出るだけで社会の許可がいるという、執行猶予中の犯罪者よりも自由度が低い生活を強いられる。

一度や二度航空会社に連絡するのは手間ではないかもしれない。でも障害者は近所のコンビニに行くのにも犬の散歩に行くのにも一人でぶらりと旅に出るのにも全て事細かに予定をたて許可を貰わなければいけない。途中下車なんかもってのほか。そんな社会でいいわけないよね。てことでバリアフリーの法律ができたわけで。

車椅子の男性が運動家な件

乙武さんもそうだけど、計画的に炎上させている姿勢に反感を持ってる人がけっこういるみたいだけど、そうでもしないと変わらない社会のほうを早急になんとかしてほしいものだ。

朝日新聞の見出しが釣り案件

朝日も墜ちたねぇ。

 

 

 

さて、ここからは余談。

 

車椅子の人が階段を這い上がるというのは悪いことかどうか案件。

一般的な感性であれば、階段をいざって上るという光景は非常に衝撃的なのかもしれないけどあれ結構普通だし合理的な方法。

 

むしろ階段をいざって上る人がその辺に当たり前にいるくらい車椅子の人が外に出れるような社会になれば諸々解決じゃん。

 

写真を見る限り、木島英登さんという人はわりと身体能力が高く状態の安定した脊髄損傷っぽい。であれば急な階段を上るときに車椅子を抱えてもらうより自分で這い上がったほうが安全で合理的という判断は十分にありえる。

だけどそういう『異常』なことって全力で阻止されるんだよねぇ…

責任取れないっていうけど自分の怪我の責任なんか自分で負うっつの。なんで障害があるってだけで責任能力無いみたいな扱いされなきゃいけないの。

 

ノーマライゼーションっていうなら別にいろんな階段の上り方だってあっていいじゃん。未だに全ての人を『普通』の鋳型にはめるのがあるべき姿という発想が強くてやんなる。

 

 

 

既視感があると思ったらこれ支部でみたやつだ

今日もあいかわらず誰の役にも立たないことを書くよ。うっかり見ちゃった人ごめん。

 

リアルSAN値チェック案件発生→過労→入院という流れの中で妙に退院を渋られたのはあれもしかしてめっちゃ誤解されてたのかも?疑惑を書きながらこれどっかで見たことある流れだとずっと思ってて、あーこれ支部でよくある成り代わり勘違いじゃん、と気づいた。確かに成り代わり勘違いものを読むと何故か他人のような気がしなくて、あるある感がすごくて実録エッセイを読むような気持ちになってしまうのはこれだったのか。

 

成り代わり勘違いテンプレ、とうらぶの場合

 

大怪我した状態で厚樫山で発見される

元は一般人だから、基本的な常識すら知らない

もしかして監禁とかされてた?みたいな勘違いをされる

 

あー、まさにこれ。

 

既往歴も受信暦もないなか急に運び込まれて多分私、ごく普通の健全で常識的なお嬢さんだと思われたのだと思う。それががりがりに瘦せてて体中傷跡だらけで、会話もまともにできなくて、いきなり独房みたいな場所に閉じ込められても平然としてる、とか絶対どっかおかしいな…

私としては今回のことは明らかなイレギュラーだったので再発の可能性はきわめて低いし、精神に保護的な場所でしっかり休ませてもらって回復したら病院は用なしだったんだけどそういやそのあたり全然説明してなかったから、恒常的に高ストレス下にあると思われたのかもしれない。

 

いやだって、私別に暴れたとかじゃないので精神科でなくて内科とかに運ばれる可能性もあったわけで、そしたら熱中症かなんか適当な病名つけられて数日でさくっと退院させられる流れじゃないですか。内科だったらなんで熱中症になったのかとか再発防止とかそんなこと聞かないじゃない。内科なら明らかな暴行の跡でなければ傷跡だらけでも別に気にしないじゃない。だから精神科もそんなノリなのかと思ってなんの説明もしなかった。でもよく考えたら精神科は特殊なのかもしんない。

 

あと別ルートの勘違いとしては、今回のことがイレギュラーだったということは踏まえたうえで一度狂気の淵を覗いてしまった人への危惧、みたいなのかも。まぁ普通なら、幻聴幻覚聞こえるくらいの強いストレスにさらされたらさくっと回復できないししばらくはちょっとしたことで再発するよねたぶん。いきなりは普通の生活に復帰できないよね。

ただまぁこういうのは慣れだからなぁ。自分の中から崩れていく狂気ならいざしらず外的要因が原因でかつその要因はすでに取り除かれているのならPTSD的なものは普通にコントロールできるもんじゃん。

 

結局、妙に退院を渋られたのは病院と患者間の情報共有が上手くできてなかったからということでいいんだろうか。私がもうちょっとちゃんと説明すればよかったんか。

でもさぁ、すぐ退院しちゃってその後会うことも無い短期の人の事細かな事情とか別にいらないじゃん。でも彼ら私が話したらそれカルテに書かなきゃいけないじゃん。残業じゃん。なんか悪いなって思うじゃん。

ていうか評価結果を患者と共有しなかった病院サイドが一番問題じゃね。彼らが私をどう評価したのかは結局一度も共有されなかったんだけど。私だって誤解されてるって分かったらちゃんと説明したのにさぁ。いやでも評価結果を知りたがらない患者が大半だからしょうがないのか?なんでみんな自分の体と人生を医療に丸投げして平気なの信じらんない。

 

 

hedgehogx.hatenablog.com

 

あと厚樫山の場所を調べたらわりと近所だった。こんなところもシンクロww

行政のHPがお役所仕事すぎてなんかすごい

いっちょまえに電子申請とかやってたので試してみたらすごかった。

まずホーム画面でスマホ用とPC用サイトを選択させられる。私はPCから申し込みをしたかったのでPC用サイトを選択したら「ブラウザがサポート対象外です」ときた。へ?普通にクロームの最新のやつだけど??と思って詳細を見たらサポート対象はIE9~11のみ。

どういうことだってばよ。

お役所だからね、いろんな人が使うからIEにも対応しなくちゃいけないのかもしれないけどだったらIE9以上って意味不明だよね。ていうかIE9~11のみてどんだけニッチな需要なの。

そしてためしにスマホ用サイトを見てみたら問題なく手続きできた。どうやらブラウザで振り分けしてるだけみたい。

 

いやCSS振り分けしろよ一行で済むだろ…

 

ていうかそもそも、phpcssのみのメールフォームのどのあたりにIE限定じゃないといけない要素があるんだ。あとフラッシュとJSも最新じゃなきゃ表示されないんだけど、どこにそんな高度な知識を使ってるんだ。

 

不可解な気持ちのままフォームに必要事項を入力すると、無駄に半角と全角数字を区別してエラーを出してくる。ここに使ってんのかJS。だがどこがエラーなのか指摘されないというお約束のめんどくささ。使えよせっかくのJSとフラッシュ。こちとらこのためにわざわざアップデートしたんだぞ。しかし今度は自動送信メールが送信されない。申し込み番号は印刷してとっておけということらしい。じゃあなぜメアドを二回も入力させた上にパスワード設定まで求めたよ。印刷するボタンの前にやることあるだろ。ほんとたのむよ使えよJSとフラッシュ!!

 

なんだろう、この何もかもが意地悪のために存在するようなお役所HPは。

付け焼刃知識の職員がホームページビルダーで片手間に作りましたというにしては手の込みすぎている意地悪がそこかしこに仕掛けられている。たぶん無駄に金かかってる。どこに発注したんだ。

 

まぁJR東日本に比べたらよっぽどいいけど。

 

 

自閉症の感覚過敏がイラつくのはなぜか

こういうこと言うと怒られるんだけど、自閉症とかADHDとかASDとかの人と話すのはすごく疲れる。

相手にだっていろいろ言い分があるんだろうけど、私の目線では健常者は彼らに対して一方的に接待して差し上げなきゃいけない状態になっててなんで私がこんなに気を使ってあげなきゃいけないの、て気持ちになる。しかも感謝されない。いや感謝されないのではなくて、私の望む感謝の態度が得られないというべきなのかもしれないけどとにかく報われない。

 

で、そういう人の感覚過敏ってやつもなんかもうほんとムカついてしょうがない。

おそらくこの点に関しては多分に同属嫌悪を含んでいて、私も感覚は相当過敏なのに彼らの感覚過敏は私の感覚過敏と決定的に違っているから、感覚過敏なんて嘘じゃないの、私をムカつかせるためにわざとやってるんじゃないの、みたいな被害妄想めいた気持ちになる。

 

だって彼ら過敏とか言うくせにぜんぜん過敏じゃないんだもの。

触覚過敏だっていうなら触るだけで板ガラスのメーカーと作成年代くらい分かるよね。嗅覚過敏なら洗濯後の臭い嗅ぐだけで誰のハンカチか判別できるよね。聴覚過敏ならまさかマイク通した音と生音の違いが分からないとか言わないよね??

みたいな。

私にとって感覚過敏というのは世界が全て平等に拡大され目前に迫ってきてしまうということなんだけど、彼らにとっての感覚過敏は非常に恣意的だ。彼らは平然とジャンクを貪るくせに都合の悪いことだけ過敏だと言い訳している、ように見える。

 

てことで、私にとっての感覚過敏と彼らにとっての感覚過敏はどのように定義されているのだろうというのが長年疑問だったのだけどこちらの書評を見て納得いった。

「自閉症と感覚過敏」レビュー・感想前編 むしろ感覚過敏が自閉症を形成する? - decinormal

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そういうことかぁぁぁ!

 

自閉傾向というのは、ある特定の刺激を非常に過大に受容し、その他の刺激を見落としてしまうこと、らしい。

いやでもそれって『過敏』じゃ無いよね。もっとなんていうか、恣意性とか選択性とかアンバランスとかなんかそういう用語のがしっくりくるんじゃね。て気がしなくもないけど。

 

そして、私はなぜ自閉傾向のある人にイラつくかというと、彼らは彼らの感覚を好き勝手に選んでいるのに私はそのことに対して気を使わなきゃいけないという不平等があるからなのだと思う。

例えばこれが単純に、すごく耳のいい人がいて耳障りな音に耐えられない、というのであれば私はその人の前では静かに話して物音も立てないように気をつけていればそれで済む。でも自閉の人は時と場合によってあるときは物音に過剰に反応するくせにまた別の時には爆音で音楽を流さないと耐えられないとか言い出して基準が一定でないから周りが空気よんで臨機応変に対応してあげなくてはいけない。なのに彼らは他人の空気を一切読まず好き勝手やっている。という不平等が生じる。私はそこにイラついている。

 

自閉傾向のある人にとって、どの刺激を過大に感じてしまい、どの刺激が見落とされてしまうかは個人や状況によって変わってくるから本人にもどうにもならない、らしい。

だからほんと別に彼らが悪いとか意地悪してるとかじゃないのだろうけど、それを理解したいとは思うんだけど、忙しいときとかはほんと迷惑。

 

 

 

男性向けエロのどこがキモいのか考えてみた

たとえば同じおっぱいのでかいお姉さんのイラストでも、男性向けと女性向けは何かが決定的に違う感があってなんなのだろうとずっと思っていた。

女だってエロい目線で男を見るんだから男だってエロ本とか見ていいじゃん、という女のエロと男のエロを同列に扱う主張にもすごく違和感があって、たしかに女だって対象を性的に消費したいと思うけどなんか違うんだ男が女を消費する目はものすごく気持ち悪いんだという拭い去れない違和感について今回真面目に考えてみた。

 

女性にとってのエロは関係性を内包する。

イケメンが好き、という女の定義するイケメンというのは鼻の高さが何センチとか目の大きさがどうとかいうパーツではなく、毎日風呂入ってるとかこちらの人格を尊重してくれるとかそういう社会性すべてを包括してイケメンと表現している。

だからイケメンの鼻を削いでもそれは高い鼻であってイケメンではない。

 

男のエロは単体でも成り立つところがキモいと思う。

でっかいおっぱいは女性を監禁しても成立し得る。なんだったら乳肉だけを切り取ったってでかいおっぱいはでかいおっぱいで有り続ける。結局男性向けのエロでは関係性を全て喪失したパーツとして対象を消費する。エロのフィルターを通したとき、男性にとって女性は肉の塊でしかないところがすごく気持ち悪いし死ねばいいのにと思う点だ。

 

対象を肉の塊として扱う男性向けエロは巷に溢れすぎていて麻痺してしまっているけれど、やはり我々は男性向けエロをみて傷ついていいんじゃないだろうか。