雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

人格統合かと思ったらむしろ逆でちょっとしょんぼりした夢分析第二弾

正月に実家に帰ってSAN値が削れてる人たちのエントリがはてなトップに多くてほっこりした2018年の始まりでした。この宇宙から実家という概念が消滅すればいのに。

 

そんで最近見る夢を勝手に夢分析モドキしてみた自分メモの第二弾。

めっちゃ死にたいとか言ってるのでそういうの苦手な人は見るのやめておいたほうがいいです。

 

以前、子供のころからの夢がどのように変化してきたのかを自分なりにまとめてみて、夢なんてのは無数にみてほとんどを忘れるものなのでそれを思い返してまとめて当時の状況と結びつけて分析するということは恣意的な要素がほとんどを占めて、それは己に名をつける呪、つまりナラティブアプローチなんだな、と味を占めました。

通常のナラティブアプローチだと事実(と本人が思っていること)を基にするという制限がかかるので覚えていることが極端に少ない&過去を捏造している可能性が否定しきれない私の場合不利だけど、夢であればどんな状況を描写しても許されるので自由度の高い書き換えができるというのも利点。

なのでこれからも積極的に書き散らして自分流解釈を生産していこうと思います。

 

 

とりあえずこれまでの夢の変化としては

  • 高いところから落ちて死ぬ夢
  • 自分が殺されるところをエンドレスリピートの夢
  • 自動車暴走の夢→自殺衝動を自分でコントロールできてない
  • 刑務所入所の夢→自殺を実行できない場所に監禁される

と変化してきていて、ここまでの流れは自分の自殺衝動を自覚するプロセスなんだろなと思っている。

一番初めの、高いところから落ちて死ぬ夢、というのも怖いとか死にたくないとかそういうのが全然無くて、やっちまったなー、みたいな他人事感がすごい。

二番目の、自分が殺される夢では、死を意識しているという点で一歩深まってはいるが、死のモティーフははじめ他殺という形で現れて、死にたいという自主性は外在化され他者として認識されている。だがこの他者の存在感は希薄で、あくまで自分がどのように殺されるかを他人事のように観察するという他人事感がすごい。生存本能とか生にしがみつくとかそういう感じが一切感じられない。殺される自分を天井あたりから眺めているという第三者視点になることすらなく、あくまで自分の意識が入った自分の体が死ぬのを眺めている。死と死に伴う苦痛なんて解離する必要すらないささいなこと、みたいな所、ヤバ味があってわりと好き。

三番目の、自分の乗っている車のブレーキが壊れて止まらない夢、というのでやっと死に対して多少の自主性が現れている。車という、コントロールできない他者のブレーキが壊れているというこれまた他人事感あふれる不完全な自主性ではあるが少なくともそこに何かしらアプローチ可能な問題が存在しているという自覚は出来てきている。

四番目の、刑務所に入所して絶望している夢では「刑務所なんか入っちゃったら24時間監視されておちおち自殺もできないじゃん」と思っていて、ここでやっと私は自分の自殺衝動を自覚した。

 

そして自殺したいと思う状況を恐れているのではなく、自殺の手段を取り上げられることを恐れているのだということがやっと分かった。

死ぬこと自体は別にそんなにたいしたことじゃないと思う。だってみんな死ぬんだし。それが今でも100年後でもそんなに変わらない。死に伴う苦痛も、まぁ直面したら大騒ぎするけど別にお化け屋敷できゃーきゃー言うのと変わりないエンタメの延長にすぎない。それよりもやりたいことがやれないことのほうがよっぽど重大。もう絶望しかない。そんなの生きてる意味ないじゃんむしろ積極的に死んで来世に期待したいところじゃん。安楽死超歓迎。自分のことが知れてよかった。

 

と、ここまでの流れは自分にとって何が一番大切なのかという価値観を自覚する夢で、どこまでいっても自分自身だけしか出てきていなくてとんだナルシストだったわけなんだけども、最近の夢は少し毛色が違って徐々に他人が出てくるようになってきた。

思えば暴走自動車の夢では対向車や歩行者、刑務所の夢では同房の受刑者と地味にモブが顔出してたけども今度は名前の無いモブではなくてきちんと役割のある他者が出てくる。でもそこで出てくる他者はやっぱり私の別人格でしかなくて、なんだよやっぱナルシストかよorzてなった。まぁいいや。どうせ私は自分のことしか考えられないサイコパスナルシストだもの。。。

 

 

 そして夢に『兄』を象った別人格が出てきて他人を撃ち殺しまくるのを眺める夢を見るようになったんだけど、これって人格統合的な流れじゃね?俺すごくね??

『兄』というのは『私』と完全に断裂した、つまり深層心理に押し込めた人格の破片で、その『兄』を『私』が自覚した、あまつさえ『兄』の望みを夢と言う形でかなえた、というのは『私』が『兄』を自分の欲求として自覚し統合するプロセスなのではないだろうか、

 

…みたいに思ったけどなんかちがったっぽいorz 

 

 これ『私』が『兄』を取り込む話じゃなくて、むしろ『兄』に象徴された存在は単に抑圧された感情なんて単純なものじゃなくて、多分これ『私』と『兄』が人格として互いに独立するためのプロセスだ。

 

そっかー…

まぁそうだよねーー…

 

そもそも過去に抑圧された感情、なんていうシンプルなものだったら鬱病とか統合失調症とかになるよね。それか共依存とかアダルトチルドレンとかそういう形になりそう。そこであえての多重人格を選択するんだから、そりゃ当然切り分けた自我の破片は 人格として成り立つくらいの容量があるよね。

でもそこはせめて、トラウマを引き受ける人格とそれによって生かされた人格、みたいな典型的な解離であれば自信を持って解離性同一性障害ですって言えたのになぁ。たぶん私の場合、意識の分断ではなくて、普通の人が無意識として知覚していない部分を他人格として扱ってる疑惑が上がってきた。なにそれめんどくさ。みんな無意識なんて全部ゴミ箱につっこんで生きてるんだから私だってそうすればラクなのに。

 

 

あと私の夢に私と私の別人格しか出てこなくて、どこまで行っても他者が出てこない、というのも、たぶんこれ私の他者認定が厳しすぎるからだ。私の認識する『他者』は私の感覚器が情報を捕らえ私の脳が解釈したものにすぎず、それは本当の意味での他者ではなく私が私である限り他者に出会うことはできない、みたいななんかコギト的な哲学っぽいことを煎じ詰めると私の夢には私しか登場できない。

 

なので今度気が向いたら、兄が銃を乱射しまくる夢がガラス越しに人形に見据えられる夢に進化した話を書こうと思います。