たちなおった。はや。
とりあえずあほみたいなBL本を10冊くらい借りて、なんで男同士出会って4ページでセックスしてしまうん?とか言いながら読んでたら元気でてきた。仕事しよ。
そういや私は多重人格(笑)だったな。忘れてた。
世の中で起こる全てのことは私とは無関係に起こっているのだけど、乱数でしかない運命を淡々と受け入れることは弱い人間には難しくてそこになにかしら理由をくっつけたがる。カルマとか前世の業とか自己責任とか。それは私も同じで、でも冷静で科学的な私は多大な労力を払って理解不能の他者と予測不可能な未来の存在を認めようと努力し続ける。だけど人の世はカルマとか前世の業とか自己責任とかいう馬鹿げた因縁を信じる人達でできあがっていて、人の中で生きていくにはあるていどその共有幻想の存在を理解しておく必要がある。
そこで「この世に起ることは全て私の存在や行動につながっている」というアミニズム?ていうんだけっけこういうの?なんかアメリカの先住民みたいなやつ。を心の底から信じている『人格』を作っておくといろいろと世の中の流れが見えやすくなる。
でもやっぱり因果がこの世に存在するというのは私とは相いれなくてこんな馬鹿が自分の中に存在するということに耐え切れなくて時々嫌になる。いや別にビジネスで馬鹿やってるだけですし?時々ちょっとうんざりするだけで。
なのでウィルスはあれだ、人類が感謝の心を持てばブラックホールに消えてくやつだ。共存のための道を選んだりハーモニーでスピリチュアルなマインドでどうにかするやつ。なんかそういうやつで、私のお気持ちが物理的な力を持ってウイルスに作用したりするんだ。むしろ私の中の年寄りはさっさと死ねという黒い心がウイルスという形で世界を襲っているんだ。私の中の死に対する迷いが消えた時ウイルスは問題でなくなるんだ。
うわーーーーきもちわる。
でもこういうインガオホーな気持ちを多くの人は持っていて、そのおかげで結果的に正しい行動をとれたりして、人類はインガオホー機構を搭載することによって予測不可能な未来を疑似的に予測することで生き延びてきていて、たぶん私みたいにノーガード戦法やってるやつのほうが死亡率よっぽど高くて、だからインガオホーは物理的に正しくなくても人類社会の中では正しい。よって私も人類社会の恩恵を受けようと思うならインガオホーをインストールしておくべきなのだ。
というわけで、このコロナ騒ぎは私の中にある死に対する葛藤が外部に現れてるのですよ。老人は死ねという気持ちと、そうはいっても目の前の老人を見殺しにすることはできないという気持ちが戦っているのですよ。
いや目の前の老人見殺しにしろよと思うけども。でもなんか普通「見殺し」って「見殺し」って意味なのよね意味わかんないけど。私の言う「見殺し」というのは「死と苦痛の恐怖に向き合いながら、壊れつつある生命体を悼み、死の向こうという未知を未知であると正しく受け入れる努力をしつつ、これまですごした時間を噛み締め、己のエゴと向き合い、存分に悲しみにくれること」なんだけど。
どうせじきに死ぬんだからちゃんと死のうぜ。死にたくないとかまだ死なないとか言って管つっこんで切り刻んで電気ショックかけてわけわかんないうちに実験動物のカエルみたいにいつの間にか死んでるんじゃなくて。いやそういう死から目をそらせたい気持ちというのも最大限尊重すべきなんだけど、それ以外にも大事にすべき気持ちたくさんあるだろ。肉体を延命する以外にも大事な時間いっぱいあるだろ。
とは思うけどたぶん私はまだ延命に縋りついてそれしか目に入らない未熟者なので、その未熟なお気持ちが世界に反映されて延命至上主義者がこれだけ湧いて出てきているのだ。全て私の未熟な心が導き出した結果にすぎない。
と、思ってみるのはなかなかラクでいいな。
そらニュースなんか無数にあるから私の妄想を強化するのに都合のいいものを探し出すのなんか簡単だもんな。私は千羽鶴を折ったりマスクの買い出しに並んだり米を買い占めたりネトウヨを叩いたり狂信的なブコメを連投したり、なんかそういう世界を公平にするための行動を続けていればコロナ禍はいつか私にとって最も心地よい形で収束するんだ。
はーーーーーーー。
ばかみたい。
仕事しよ。