雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

自分の現状を言語化してみる試み

記憶や客観性にかけている状態なので、ほんとは身近な人に確認するほうがいいんだろうけど変なのしかいないのでまず一人で整理してみたい。
というより、自己認識が揺らいでいる状態で他人の意見を聞くとそれを自分の認識と混同してややこしくなりそう。
そもそもこの問題は私は自他の境界に潔癖すぎるのが出発点なのかもしれない。私のことは私だけが定義づけるべきで他人の意見を一滴でも混ぜるべきではない。



とりあえず、現状としてはまず数秒前に聞いたことを忘れる。「3つ目の信号を右折」と言われて歩き出して、今目の前の信号がいくつめか分からないしいくつめの信号をどちらに曲がれと言われたかも忘れてる。

どっからどうみてもやべえやつだこれ……

しかも今回はまだ自分が忘れていることの自覚はあるけどいつもは忘れていることすら忘れて平然としているわけで、病院で窓口にすらたどり着けない知能なくせに「ベンチャー立ち上げてます、あ、こちら弊社のパンフレットですご用命の際はご連絡ください」とかいいだしたら「まずご家族の話を聞いて…」ってなるわ。さらに家族は私の仕事も現住所も把握してないとか、ビョーキ通り越してホラーだわ。

自分がどこにいるか忘れる、数秒前の指示すら忘れるという病気はいろいろあるけど、なんかそういうのに比べて私のやつは嘘くさいというか演技っぽいというか、困り度が圧倒的に低いのが胡散臭い。
たぶん私のこれは情報がデリートされているわけでは無い気がする。自分の体験や記憶への信頼が揺らいでいるだけなのかも。となるとやっぱり解離とかそういう系統の問題なのか。
仮に自分の体験への信頼が揺らいでいるとして、なぜ揺らいでいるのか。毒親に否定され続けたとかブラック企業で激務とかそういうの別に無い。最近のストレスとしては刺身タンボボな仕事をちょっとやったくらい。そもそも心理的ストレスから発生する解離という定説自体から疑う必要があるのかもしれない。でもそしたら本当にに心当たりが無い。


原因探しは保留にして、私の嘘臭さについて考えてみてもいいかもしれない。なぜ私はこんなに何もかもできないのにわりと社会生活が営めているのか。そもそも本当にダメなのか。やりたくないことから逃げるために無能を装っているだけなのではないか。でもやりたくないことはやりたくないと言えば誰かがやってくれるので、無能を装うメリットはさほど無い気がする。なにか私が気づいていないメリットがあるのだろうか。

私がすぐ忘れてしまうことと、きちんと覚えていることの違いを考えてみるのもいいかもしれない。
すぐ忘れてしまうのは突発的な短期記憶が多いかもしれない。「3つ目の信号を右折」とかの随時受付中更新される情報に対応できない、とか。でもテトリスのような短期記憶ゲームは普通にできるな。周りが騒がしいと覚えられないとかも無い。

興味の無い情報はすぐ忘れるのかもしれない。
これはなんか正解に近づいた気がする。ハンコを持ってこいとか決まった時間に窓口に来いとか心底興味ないからすぐ忘れるのかも。

今私は自分の興味のあることで頭がいっぱいなのかも。

なんだ私の興味って。
今私は何に興味を持ってるんだ。さっぱり自覚が無いんだけど近々なにか新しいことをはじめたりするんだろうか。

そう思ってみるとうっすら自覚があるような気がしてきた。そうかとうとうあの仕事に着手するのか私。普通にこれまで通りやってれば問題無いのになぜやたら冒険したがるのか私は。やっぱろくでもねえな。