雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

否定してくる人は思った以上にめんどくさい

ド貧乏だったころに金持ちお嬢様の無邪気な振る舞いに傷ついていたあれはなんだったのかを引き続き考えています。

今の私はあの頃よりは経済的に余裕があって気持ち的にも余裕があるけど、ではまた貧乏になったらまたあの頃のようにしんどくなるかな、と考えてみたけど、たぶん今から貧乏になってもあそこまでしんどくならない気がする。

 

ド貧乏といっても近代的貧困というか、衣食住は最低限なんとかなっていた。少なくとも屋根と床と壁の完備された家があり冷蔵庫や洗濯機は一応使えている程度には恵まれていた。

貧乏暇なしでブラック労働をしているとかだとかなりしんどいと思うけど、いろいろと図太くずるくなった今の私なら唯々諾々とブラック労働をすることはたぶんない。そこまでいったら普通に生活保護をもらう。

 

この、普通に生活保護をもらう、ができるかどうかが困難の分かれ道で、実は金があるとか無いとかはあまり問題ではなく、適切な支援が受けられない、パワハラモラハラなど不合理な困難を要求される、というのが困難の根源では。

金がないできる仕事もないもうだめだ詰んだ、と言った時に、おーそりゃ大変だね無理だね頑張れないね、と言ってもらえるかどうか。

そこで選ばなければ仕事はあるとか自己責任だとか家の恥だとかそれくらい我慢しろとか努力すれば解決するだとか、困難を否定する人が周りにいると一気に詰む。

昔の私も、いまの私だったらだったらあれだけ貧乏になったら普通に福祉に繋がれるけど、あの時はそれを妨害してくる人が周りにたくさんいたので出来ないところがしんどかった。

 

貧困でもブラック企業でも不登校でも鬱病でもなんでも、それ自体の困難に加えて無理解による困難が大きいのでは。

なにも理解のある彼君になってわがままを無限に受け入れろとかでなく、積極的に邪魔してきたり、俺の若い頃はとかいって否定してくるのが邪魔。否定したくなるくらい不快なら黙ってブロックすればいいのに、わざわざ口を塞ごうとしてくる距離感のおかしい人がたくさんいて、そういうのは実はかなり人生の邪魔になる、という気づきでした。