雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

怒鳴られるのが不快な若者は怒鳴られても平気であるという点について

最近考えている、強者ってなんであんな地雷踏み抜くような言動してくんのデリカシーとかないんか?問題について、これは私の個人的な体験であると同時に時代共通のものなのであろうという観点から考えていた。

 

私が何が嫌だったかって、貧乏だったことでも金持ちの余裕に嫉妬したことでもなく、他者の立場を考えることのない傲慢な強者様の振る舞いという一点に集約される。

いや金持ちむかつくけど、死ぬほど羨ましかったしその後私も金持ちになって死ぬほどスカッとしたけど、たぶん本質はそこじゃない。もし貧富が私の本質だったら私は世界一の富豪になるまで満足できないはずだし金持ちにしか苛立たないはずなので。

では私は何が嫌だったのか、主語を大きくして言い換えると、令和のこの時代に我々はコミュニケーションをどのようにアップデートしつつあるのか。

これはたぶん、盗んだバイクで走り出す的な、自分が世界の主人公であり自分に立ちはだかるものは倒すべき敵または注目に値しないモブの二択、というシンプルな世界観から、バイクなんか盗んだら盗まれた人が迷惑じゃんか、という、他者もまた他者の人生の主人公であるという相対的な自己認識への変革なのでは。

 

 

ある時期から『人が怒鳴ったり怒鳴られたりを見るのが苦痛な学生が増えたから配慮が必要』と言われるようになった「それはそう」「泣きそうになる」

https://togetter.com/li/2425279

 

 

まず、なんか誤解している人が多いけど、怒鳴り声が苦手と言ってる人は怒鳴り声を聞いても別に萎縮しない。怒鳴るという文化圏にどっぷり浸かっていると、怒鳴るのが好きかさもなくば怒鳴られて縮こまる側かの二択でしか物を考えられなくなるけど、世の中には怒鳴る文化圏の外側というものが存在する。

怒鳴る文化圏の外側からすると、怒鳴る人は最低限のコミュニケーションのルールを守らない人なわけで怒鳴るというのは全裸で外出して出会い頭に噛み付いてくるとかくらいのレベルで非文明に見える。

 

だから、怒鳴られるのが苦手だなんてそんなクリーンな世界に慣れてしまったらいざ怒鳴る奴に遭遇したら恐怖でフリーズしてしまわないのか?というのは的外れ。あっヒトの皮をかぶったブタだ!意味わからんこわ…近寄らんどこ……てなるだけなので。ボケ老人に向けるのと同じ憐れみを向けられ、ボケ老人と同じく粛々とあしらわれるだけ。

 

この辺がたぶん、怒鳴って怒鳴られてそこで思考が止まってしまってる世代にはなかなか分かりにくい点なんだと思う。たぶん私も本質的には分かってない。けど、どうもこの辺りに自分の知らない価値観があるらしい、という予測をたてておくことくらいはできる。

 

怒鳴られて萎縮しないというのは昭和の年寄りには本当に理解が難しくて、そんな繊細に育ててていたらちょっと怒鳴られただけで立ち直れないやわな子になるのではとかは今でも普通に言われる。あと、理不尽なことをされても怒れない子になるのでは、とか。

そういうわけじゃないんだよーーー…

犬のしつけと同じ。適切な時期に適切な方法を行えば暴力よりよほど能率よく安全に成果が上げられるのにわざわざ暴力なんていう非効率的な手段を選ぶという原始人の意味が分からない。普通に街を歩いていてウホウホ槍を振り回している原始人がいたら目を逸らしてそっとその場から立ち去り速やかに通報する。そこで自分もウホウホしなきゃとか槍で戦わなきゃとかいう発想にはならないのがマトモな人類というもの。

怒鳴らない風潮がクリーンすぎて息苦しいとか言ってる人は自分が原始人だと自覚して山奥でひっそり暮らしてほしい。