雑記帳

リベラルでもフェミでもないただの愚痴

理解不能の他者を考える難易度が高い件について

自分がADHDなのでは仮説を一週間くらい考えていろいろぐぐってみるとなんだかどうも理解不能な現象を理解不能なまま放置しておくというのは多くの人にとって高い負荷のかかることらしいと思った。いや理解不能を理解不能にカテゴライズするストレスについてはいつも思っていたけどもしかしたら思った以上に難しいことなのかこれは。

自分に大きく影響する要因について理解不能なまま放置しておくのがストレスというのはわかる。いつ火山が噴火するかわからない、噴火したら私は確実に死ぬ、というのはストレスだけど、私と関わりの無いどこか遠くの火山だったら噴火しようが何しようがどうでもよくないか。夫婦別姓とか。自分のところの夫婦がどうするかに口を出されるのはストレスだけど他人が苗字をどうしようがどうでもいい。そこに怒りを感じるのが分からない。

そもそも怒りという感情はなんなんだ。

うざい、ほっといてよ。は分かるそれでもしつこく絡んでくるやつにひっこめ!と怒鳴るのも分かる。でもその根底は「私に構うな」であって、私に関わりの無いところで何かをやっているのに対して激しい感情を持つ気持ちというのは存在するのか。名前も顔も知らない人を憎むのは不可能ではないか。

なので関係ない他人に怒り散らしている人というのは、傍から見たら無関係に見えるけど本人の中では関係があるように感じているのだと思っている。私が会ったことも無いミソジニ芸人に怒るのは、まわりまわって私に危害が加わる可能性を考えてしまうからで、たぶん他の人も自分に関係あると判断したものに対して怒っているのだと思っていて、なので夫婦別姓のような自分に関わりのない物に怒る人に対して「それはおまえとどういう関係があるの?」という質問をしつづけてきたのだけど、もしかして何か前提が違っていたのか。怒るって何???