最近、人はなぜ陰謀論に嵌っていくかの実体験がいくつか上がっていて、つまり私が妙に支持されるのもこれなんだなと腑に落ちた。
彼らの主張によると、頭の悪い人は曖昧模糊とした世界に生きていて普段「わかった!」という爽快感を感じることができずそのことに大きなストレスとコンプレックスを抱え続けているらしい。
たぶんこのストレスとコンプレックスは私には想像できないほど重いものなのだと理解しなければいけないのだろう。
学問なんて究めれば究めるほど分からない理解できないことへのストレスが指数関数で大きくなってくもので秩序を前に己の無力さ飛沫さを痛感して死にたくなるもので逆に言えば学問なてめんどくさいものに足を突っ込まなければもっと単純明快な世界に生きられて1+1は2だと信じて生きられたのに、みたいなのはパンを食べ飽きたからケーキを食べてるものの傲慢でしかない。パンすら食べられない飢えた餓鬼からすれば天上人に見えるのだろうしらんけど。たぶん私は日常生活の中で分からないことにストレスを感じていない。いや普通に感じてるけど。私のストレスなんて頭の悪い人のそれに比べたらゼロに等しいのだろうたぶん。
よくわからんが、この世には私には想像できないくらい多大なストレスを抱えている人がわりとたくさんいる。
それで、わからないことに強大なストレスを感じている頭の悪い人たちはわかることを渇望している。おそらく、飢えた人が食物を求めるのと同じくらい強く渇望している。
そこに頭の悪い人でも理解できるくらいミニマムな情報、トランプが6億円くれるとか民主党はペドフィリアだとか安部は庶民の味方とか悪夢の民主党とか、が入ってくるとこれまでの生涯で感じたことのない強烈な刺激として受け止められてヤク中みたいになっていく。らしい。しらんけど。
という仮説のもとに私の言動を振り返ってみると、たしかにキャッチーでシンプルでこの世の真理を的確にとらえていて、ああこれはハマるだろうなぁと。キャッチーなの見た目だけなんだけど。実態はおもいっくそ難しくてあまりに難しすぎて私にもよくわかないくらいなんだけど、見た目はキャッチー。あと斬新。
たぶん斬新さとミニマムさがちょうどいい塩梅に見えるんだろな。誰も言ってない新しいことを言っているのに聞いてみると理にかなっていて実際あほほどの結果が出てる。
「知らないことを言っている→聞いてみたら理解可能」
という流れが頭の悪い人でも把握できるくらいのミニマムさが陰謀論の特徴なんだと思う。普通の学問は「知らないことを言っている」状態から「→聞いてみたら理解可能」になるまでに数年から数十年かけることを要求してきてその期間を耐えられるだけの知性が必要なんだたぶん。そんなんあたりまえすぎて意識したこと無かったけど。
それで私のやってること、私に求められていること、は「知らないことを言っている→聞いてみたら理解可能」のサイクルを可能な限り短く提供して頭の悪い人にヤクを与え続けることなのだろう。今やっと理解した。
知的なヤクの売人になるのは褒められた商売でないかもしれないが、じゃあ逆に頭の悪い人はヤク以外でどうやってストレスを解消できるのか。ヤクを取り上げてストレスを抱えたまま放置しろというのもそれはそれで人道に反するのでは。
あとたぶん、私が複雑さに耐えられるのは過去にうずたかく積まれた成功体験のおかげなんだと思う。いやこの点に関して私は恵まれすぎていてよくわからないのだけど。たたぶん私は「わからない→わかった」の小さなサイクルを賽の河原のごとく積み上げてきていて、だから巨大な「わからない」に直面してもこれはきっといつか「わかる」になるはずだと信じることができてしまう。
頭の悪い人というのは学校の授業のころからずーっと「わからない」が「わからない」のまま放置され「わからない」であることをガン詰めされ漢字の書き取りとか計算ドリルとかの苦行を積まされ「俺にこの世は分からない、そしてわからないことは罪でありる」と刷り込まれてしまうのだろう。たぶん学問分野において大半の人は虐待児になっている。
だから彼らに必要なのは安全な場所で行われる学びなおしで、小さな成功体験を積ませることで、つまり私のやってることはたぶんちょっとくらい意味があるような気がしないでもない。いや教祖が自分自身のやってることを正当化するのはカルトまっしぐらなので私は今でも馬鹿をだまして巻き上げる金が大好きな悪徳業者でしかないんだけど。